最後に紅茶を。 | ナノ
最後に紅茶を。


灰色が広がっている。不安定で揺らぐこの世界は一体何処なのだろう。誰か、誰か。不安で仕方がなくて当てもなく進んでいくと、いつのまにか見覚えのある部屋に来ていた。テーブルの上にあるティーカップに、紅茶を淹れているのは。
そうだ、君に会いたかった。この暗がりの世界で探して居たのは君だったのだ。「はい、紅茶入ったよ」そう言って微笑む君を見て、この不安定な世界の中で安心感を覚えた。

「美味しい?」
「凄く。何で不二ん家の紅茶はこんなに美味しいんだろ。何か入れ方にコツでもあるの?」
「くすっ、秘密」

それを最後の言葉にしてまた世界は大きく揺らいだ。離れていく、君。手に持っていたティーカップが重力に従って落ちて行き、それが床とぶつかって音を立てる前に視界は真っ暗になった。

「……!……、起きて!」

遠くから誰かが呼んでいる。ああ、起きなきゃ。目をゆっくり開けると、そこに広がったのは真っ白な殺風景な景色だった。そして心配そうに私を見つめる彼は、世界で一番大好きな人。

「ごめんね愛、起こしちゃって。なんだか寝苦しそうだったから」
「ううん、平気。ちょっと懐かしい夢を見てたんだ」
「へえ、どんなの?」
「周助の家に行ったらね、前みたいに紅茶を淹れてくれて、それから少しお話した夢」

私がそう言うと周助は「なら早く元気になって、僕のうちに遊びに来なよ」と頭を撫でてきた。その言葉に私が笑って誤魔化した理由を彼は知らない。周助は私のことなんて大抵お見通しなんだろう。だけど、今私が嘘を吐いていることや、これから先に起こることだけは知られてはいけないんだ。

「そういえばさ、みんな寂しがってるよ。愛が学校来ないから」
「しょうがないじゃん、私だって行きたいけどさ」
「まあ、あと1週間の辛抱だからね。ほんと、風邪を放置したせいで肺炎なんてついてないよね君も」

ねえ、胸が痛いよ。大切な人に嘘をつくのってこんなに苦しいんだね。いっそ本当のことを言ってしまえたらいいけど、そうしたら優しい周助は幼馴染の私のために泣くでしょう。そんなの嫌なんだ。最後の最後に、悲しむ君の姿は見たくない。
喉の奥から込み上げてくる熱いものを無理矢理飲み込んだ。駄目だ、泣いたら。悲しませたら。

「愛、なんか上の空だけど大丈夫?具合悪い?」
「ううん、全然大丈夫!」
「なら良いんだけど。無理は禁物だからね」

はーいと間の伸びた返事をすると、今度は頭を小突かれた。今までは当たり前だったこんなやりとりが出来なくなってしまうのかと思うとひどく恐ろしい。ねえ周助。怖いよ。離れたくないよ。淋しいよ。ずっと、隣に居たかったよ。私、もうすぐ死んじゃうんだって。本当は肺炎なんかじゃないんだって。すぐにでも弱音を口にして、気休めでも良いから安心させて欲しい。ずっと言えなかった、「好き」を言いたい。でも、万が一周助が私の気持ちに応えてくれたら?私はもうすぐこの世界からいなくなるんだから、余計に悲しませるだけだ。
わたしが死んでも世界は何一つ変わらずに廻る。私が死んでも周助は変わらずこの世界を生きていく。だから私が今、引き止めてはいけない。足を引っ張っちゃ、いけない。全部全部我慢するから、どうか最後の我儘を聞いてください。

「ねえ周助。抱きしめてくれない?」

周助は驚いた様な顔で私を見る。それもそのはずだ、私達は付き合っているわけでも何でもない。もしかしたら周助に好きな子がいるかもしれない。それでも私はたった十五年という短い生涯をかけて愛した人の温もりを、全身で感じたかった。一度だけ、一度だけで良いから。

「甘えて良い時は甘えないクセに、大胆なことを言うね」
「ごめん」
「なんで謝るの。分かってる?僕、一応男だよ」
「うん」

不二は小さく溜息を吐いて本当に分ってるんだか、と呟いた後私の腕を引き寄せて、気がついた時には私は彼の腕の中にいた。あ、周助の匂いだ。彼が呼吸をする度に少し息がかかって、この状況をリアルに感じた。柔らかくて女の子みたいな甘い匂い、綺麗な指先、色素が薄くて柔らかい髪、いつまで経っても華奢な肩、何度羨んだか分からない綺麗な顔立ち、優しくして少し高めの声、澄んだ青の瞳。
いつかその全てに触れるのは他の女の子なのかもしれないけど、今だけで良いから。周助の背に手を回して強く抱き締めれば、彼もその腕に力を込めたのが分かった。離さないで、離さないで、離さないで。ずっと、このままでいたい。だけど。

「……ありがとう、ごめん」

これ以上こうしていたら泣いてしまうから。最初で最後の抱擁は余りにも苦いものだった。
ねえ周助。私がいなくなって、大人になって、大切な人ができて、お祖父ちゃんになっても。たまにでいいから私のことを思い出してね。貴方の記憶のほんの片隅でも良いから、私の居場所があるなら私はそれで満足です。
もし生まれ変わったら、また貴方に恋をしよう。

さようなら、大好きでした。

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