カモミール | ナノ


13


時刻は16時少し前。あの約束の日だ。そして私は今、学校の屋上にいる。____英二との約束を守るために。
ちょうど16時になったところで、屋上のドアがぎぃっと鳴って、彼が現れた。



「杏里……来てくれたんだ」

「……うん」



ここに来た理由は、彼が自分にとってどれ程大きな存在だったかよく分かったから。嫌がらせを受けている時、闘うことが出来たのは彼がいたからだと離れてから改めて気づかされた。酷いことをされても彼と付き合っていたのは、それだけ彼が好きだったから。この人は誰よりも私のことを分かってくれていて、これからも誰よりも私を愛してくれる。



「英二の馬鹿。なんで別れようなんて言ったの?私には英二しかいないんだよ」

「……俺も、あの時杏里を手放すの死ぬほど辛かった」



今すぐ抱きしめて欲しい。絶対に離れないように。早く、早く捕まえて。



「でもそうでもしないと杏里さ、自分の気持ちに気づかなかったじゃん」



そうしてくれれば、私は貴方の横で何も気付かずに笑っていられたのに。そんな私ですら気づかないような気持ちなら、放っておけば良かったのに。もしも今、「おかえり」と抱きしめてくれたならば、私は貴方の元に戻っていけた。なのに貴方は、どうして自分を犠牲にしてまで私を愛してくれるのですか。

私は気づいてしまった。越前への気持ちに。

だからここに来た。あんな別れは嫌だったから。ただ一方的に告げられた別れなんかは。



ここに来た理由は、
ちゃんとお礼を言いたかったから。



「英二」

「何?」



きっと英二も分かっている、私がここに来た理由を。だから私が居たら普段なら飛びついてくるのに、今日はしなかったんだ。



「ごめん、ごめんね」

「謝らないで、杏里」

「私……ちゃんと英二のこと好きだったよ。本当に、大好きだった」



泣かないようにしなくちゃ、って思ったのにごめん、英二。それは無理そう。意思なんて関係無く、ぼろぼろと涙が頬を伝っていく。



「杏里、ここで泣くのは狡い」

「ご、ごめっ……」

「もう俺は杏里の涙、拭ってやれないからさ。……行きなよ、おチビのとこ」



伝えたいことは多すぎて言葉にならない。ありがとうとごめんねを何回伝えたら私の気持ちの大きさになるのだろう。
泣き続ける私を英二はくるりと反転させて、とん、と背中を押した。



「英、」

「振り向くなよん!」



振り向こうとした私を彼は止めた。わかってる、今振り向いたら私はきっと未練のせいで戻ってしまう。だから彼は止めたんだ。



「……ありがとう。英二、本当に大好きだった」



一歩を踏み出して屋上のドアに手をかけた。もうあと戻りは出来ないんだ。幸せだった時間は、今、過去になる。そして新たな未来を刻むために私達は別々の道へと進むんだ。さようなら、愛した人。スローモーションのように閉まっていく屋上の扉が、ガシャンと大きく鳴り響いた。





***







駅前に着いて、時計を見ると既に17時を回っていた。もう帰ってしまったのかもしれないと思いながらも、越前の姿を探す。吐く息が白い。いくらなんでもこんな寒い中で一時間も待ってるわけないか、と半ば諦め掛けたその時だった。



「……越前っ!」




駅前の時計台の下にうずくまっていたのは、見間違えるはずのない小さな体と綺麗な黒髪。駆け寄って再び声を掛けると、越前はゆっくりと此方に目を向けた。



「ごめんね、寒いのに……!どっか入ろう!」



そう言って引いた越前の手は、氷のように冷たくて罪悪感で一杯になる。とりあえず体を暖めなくてはと近くの喫茶に入ろうと思ったのだが、越前はその場から動こうとしない。



「越前?ごめん、怒ってる?」



黙ったままの越前に視線を合わせて問いかければ、越前はぎゅっと私を抱きしめてきた。首のあたりを越前の柔らかい髪が擽る。何も言わずにただそうする越前が何だか消えてしまいそうに脆く感じて、離れないようにと私も強く抱きしめた。



「……もう、来ないかと、思ったっ…」



ようやく聞こえてきたのはそんなか細い声で。余裕でも生意気でもない、本当の越前の気持ちが滲み出ているかのようだった。痛いくらいに私を強く抱きしめる越前が愛しくて堪らない。



「遅くなってごめん。待っててくれてありがとう」

「……いいの、俺で。俺菊丸先輩みたいに優しくないよ。菊丸先輩みたいに杏里先輩の幸せを願って手放したりなんてしない。どんなに先輩が離れたいって言っても離してやらないよ」

「良いよ。越前がいいの。離さないで、絶対に」



そういった私を見て越前は優しく微笑い、沢山の白い花束を差し出してきた。



「いつの間に、」

「……来ないだろうって分かってたけど。この花、先輩にそっくりだから買っちゃったんだよね」



受け取ったそれは私を泣かすには十分で、零れた涙が雫として花についていく。



「花言葉は、苦難の中で。何があっても、どんな苦難があってもあんたを守るから。……だから俺と付き合ってください」



見つめあってキスをすれば、涙が頬を伝った。人を好きになるってこんなに怖くて優しいものなんだ。幸せになる者がいれば、傷つく者がいる。残酷だけど凄く綺麗なことだと思った。

ねえ、越前。私達はお互いに愛し方なんて知らなくて遠回りをしすぎたけど、それでもきっとあの出来事はムダではなかったと思うんだ。あんなことがあったからこそ、今こうしていられるのだ思う。それに、傷ついた分だけ貴方が癒してくれればそれで良い。

どんなに時が流れようとも、日常に流されそうになっても。私達が見るのは過去じゃない。今を見て、そして未来を築いていく。





ずっと、貴方の側で。











カモミール
花言葉:苦難の中で




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