蒼の金魚 | ナノ
 


 君の背中が震えていた。



なんて声を掛ければ良いのかなんて分からなかった。自分がもし中学時代にテニスを失ったら、何らかの原因で出来なくなっていたら。その時、僕は周りの人間にどうしてもらうことを望んだだろうか。自分に置き換えていくら考えてみても答えなんか出なかった。どんなに想像してみても、実際には体験してないのだ。理屈なんかじゃない。
結瀬さんはまたこちらに背を向けた。背中が震えている。小さな背中が壊れそうに感じた。何か、何か言わなくては。そう思うのに情けなくも自分の口から何かが紡がれることは無かった。

「部屋にいなかった何週間か、入院してました」
「…そう」
「いつも通り泳いでる最中に肩に激痛が走って。病院行ってみたら腫瘍があるとか言われて。そこからはもうとんとん拍子です、手術して大会に間に合わせようと無理して余計悪化。当分水泳は出来ないし、リハビリしてもまた出来るようになるか定かじゃないそうです。コーチにも実家でゆっくり休むといいって言われちゃったので、もうすぐ不二さんともお別れですね」

結瀬さんは自分の右肩を抑え、恨めしそうに、そして愛おしそうに見つめた。

「水泳が私の全てでした。泳いでる最中、水と一体化出来るかもなんて思うくらい水が好きだった。翼のない鳥があるなら、今の私はヒレのない魚です。あとは堕ちて、死ぬだけ」
「結瀬さん、」

まさか死のうなんて考えてないよね。そう言おうとして思い留まった。いくらなんでも考えすぎだ。結瀬さんは一瞬過った僕の考えを何となく感じ取ったのか、歪んだ表情で笑った。

「やだなあ、そんな顔しないでください!比喩ですよ、比喩。ごめんなさい重い話になっちゃって!不二さんが折角見に来たいって言ってくれたから謝りたかっただけなのに余計なことまで話しちゃって…ほんとごめんなさい」
「謝らないで。僕は全然大丈夫だから。ここにはあとどれくらいいるの?」
「再来週にはこの部屋を出るつもりでいます」
「そう」

彼女が先ほど入れてくれた紅茶に初めて口をつけた。時間が経っているせいでグラスは汗をかいている。カラン、と氷の音だけが部屋に響き渡った。
行かないで欲しい。言葉にはならなくても、確かに身勝手にそう願っている自分が居る。
この感情の正体に僕は気づいている。もう二度と大切な人を失う苦しみも、後悔も、味わいたくない。

「ねえ、結瀬さん。明後日、そこの公園で花火大会があるんだけど、一緒に行かない?」

不謹慎であることは分かっていた。空回りに終わるとしても、気晴らしになって欲しい。そう思った。
結瀬さんは迷ったような素振りを見せた後、じゃあ行こうかな、なんてはにかんでみせた。

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