蒼の金魚 | ナノ
 


 「翼をなくした鳥」



気がつけば8月半ば。結瀬さんが言っていた大会の日は確実に近づいていた。黙って姿を消されて二週間が経ち、いい加減心配で堪らなくなった頃に彼女はまた突然姿を現した。

「あ、不二さん!おひさしぶりですー!」
「だからいい加減インターフォン使ってってば…。毎回ドア叩かれたら壊れるよ」
「あはは、ごめんなさい。ちょっとお話があるんですけど、いいですか?」

何処に行っていたのか、何をしていたのか、聞きたいことはあったがそれより先に結瀬さんが口を開いた。何となく、いつもと雰囲気が違う。私の部屋にお茶用意してあるので、と言われ断ることも出来ずに自分の部屋に鍵だけ掛けて彼女の部屋にお邪魔した。リビングに通され、ソファに座る。異様な違和感を覚えた。あまりにも生活感が無く、部屋には段ボールばかりが積み重ねられていたからだ。

「はい、紅茶です。何キョロキョロしてるんですかー?」

あ、もしかして洗濯物探してます!?不二さんのエッチ!!なんてふざけながら体を捩った結瀬さんには「紅茶ありがとう」とだけ笑顔で返した。くまさんパンツ見て喜ぶ趣味なんか無い。

「それで、話って?」
「……やっぱり何でもないです」
「話したくなかったら話さなくていいなんていうほど優しくないんだけど」

結瀬さんは困ったように笑った。引くことが出来なかったのは、繋ぎとめておかなければ離れて行ってしまうような、そんな不安に駆られたからだ。「ちょっと外の空気吸いたいです」そう言いながら彼女はベランダに出た。

「わあー、流石に夏でもこの時間だと真っ暗ですね。吸い込まれそうっていうか、なんか今なら空飛べる気がします!!」
「やめてね。目の前で死なれたらショック大きいから」
「あはは、冗談ですよー」

抑揚のない声で笑う結瀬さんの背中がすごく小さく感じる。沈黙を先に破ったのは彼女だった。

「よく挫折した人のことを翼をなくした鳥、とか比喩するじゃないですか。あれって意外と的を射てるなあって思って」
「…何があったの」
「…先に謝っておきますね。大会に来てもらうっていう約束、果たせそうにないです。私、」

ずっと背を向けベランダから下を見ていた彼女が此方に向き直った。外は暗くて結瀬さんの姿はよく見えない。だけど、彼女の頬に伝い光るのは紛れもない涙だった。

「私、もう辞めなくちゃいけないんです」

何を、なんて聞かなくても明確だ。それなのに聞いてしまいそうになったのは、彼女にとって水泳がどれ程大切なのか、それを失えばどれほどの絶望感が伴うのか、スポーツをやっていた僕には分かってしまって、それを信じたくないと思ったからだった。

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