蒼の金魚 | ナノ
 


 彼女の世界を知りたいと思った



最近、結瀬さんの姿をあまり見ない。隣室であるということ以外に関わりはないので不思議ではないが、最後に会った日から二週間にもなるので流石に心配になった。ポストに新聞が溜まっていのを見る限りどうやら部屋にもいないらしい。大会間際に合宿や旅行に行っているとは考え難かった。
他人のことを考えるなんてらしくない。思っては掻き消したあの子以外のことなんて今までまるで眼中になかったからだ。付けっ放しのテレビから流れるくだらないトークはまるで頭に入ってこなくて、馬鹿馬鹿しいと電源を切った。携帯のホームボタンを押す。時刻は22時42分。仕事から帰ってきても何時の間に二時間も経っている。疲れているはずなのに、寝るのは何だか気が進まなかった。

「……ちょっと留守番しててね、ティファニー」

目的があるわけではないがコンビニにでも行こうと財布とスマートフォンをポケットに突っ込み、重たい体を起こした。
ドアを開けた瞬間に体を包む生暖かい空気。真夏だとはいえ、日が沈んでいるので体感温度はちょうど良かった。階段を降りて大きな公園を通れば、コンビニはすぐそこだ。歩いている最中、日本特有の湿った空気と虫の声がやけに五感に染み渡った。薄暗い街灯、響く自分だけの足音。込み上げる感情を形容するのなら何だろうか。寂しい?切ない?虚無感?どれも当てはまって、どれも違う気がした。

「あ…」

通りかかった公園にあるテニスコートに目が留まり、足を止めた。見慣れているはずのそれは夜というだけで随分異質に感じる。ちらほらと転がっている空気のないボールを手に取り、軽く握ってみた。感触はまだ覚えている。そして連動するかのように思い出すのは、歓声の中で味わうスリル感、敗北、勝利。そして、仲間達。
あの時の僕からテニスを取ったら何が残っていたのだろう。それこそ、今の自分なんてきっといない。あんな熱い気持ちを味わうことができたのも、苦しいときに乗り越えることが出来たのも、全部「あの頃」があったからだ。自分の性分に合わない、スポーツという勝ち負けを競うものが自分を作ってきたのだ。テニスがなかったら、もしあの頃にテニスが出来なくなるようなことがあったなら、今の僕はいない。また彼等とテニスがしてみたいと、柄にもなくふと思った。
結瀬さんの持っている世界もきっと僕と同じだ。水泳が居場所で、自分を作ってきたもの。スポーツマンにしか分からない想い。
早く彼女の姿が見たい。結瀬さんがどう水を掻くのか、泳ぐ姿が見たい。彼女の世界を少しでも知りたい。虚しくも切なくも虚無でもあるようなこの感情は、恋に似ている。

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