姉弟 | ナノ
遭遇
周囲を見回しても、そこは見慣れた場所。
そして、感じる神気も自分にとっては慣れ親しんだもの。
けれど、真っ先に考えなくてはならないのは、そんなことではない。
確かにその手を掴んでいたはずなのに。
肝心の掴んでいた相手が隣にいない。
そのことに内心焦りを感じるが、跳んだ先が熊野ならば多分大丈夫だろうと推測する。
熊野権現に愛されている浅水この熊野で危険にさらされることはないだろう。
となると、考えられることは一つ。
「僕だけ母上とは違う場所に跳ばされた、ってことかな?」
何とはなしにぽつりと呟く。
とりあえず、もう一度周囲を見回して、自分が今いる場所から本宮までの距離を計算した。
おそらく、最終的な目的地は本宮だろう。
ならばこちらから本宮へ向かえばいいだけの話。
幸いにして、熊野は自分の庭も同然の土地。
ただ、問題があるとすれば、別当のことだろう。
出発前にヒノエと浅水が話していた会話は、カノエにはよく理解出来なかった。
けれど、どうやらもう一人のヒノエがいるらしいということ。
もしそれが本当なら、自分のことは知らないという話になる。
浅水が一緒にいるならまだしも、ここには自分一人だ。
なんとかして切り抜ける術を見つけなければ。
「ま、ここにいても仕方ないし。本宮に行くしかないか」
幸いにしてまだ日は高い。
仮に別当からの助力が得られなくとも、姉と母を捜すだけの時間はあるだろう。
気を取り直して本宮へと足を向ければ、後方から誰かがやってくる気配。
どこか身を隠せる場所、と思ったが、その中の気配の一つは自分のよく知る物。
探す手間が省けたと思うと同時に、一連の騒動について、一度きつく言ってみようかと決意する。
近くの木にもたれかかり、気配が近付くのを待つ。
しばらくしてやってきたのは三人。
けれど、姉以外の二人の姿にカノエは思わず息を飲んだ。
遙か彼方に追いやられていた記憶が、鮮明に蘇る。
自分と相違無い髪の色。
かつては理解できなかったが、今の自分ならその理由も頷ける。
けれど、と思い直したのは、あのとき感じていた気を感じられないせい。
やはり、確認するためにも接触は必要らしい。
それに、ここは通り道だ。
こちらにいる自分の姿は相手にしっかりと見えているだろう。
今更姿を隠す方が怪しいというもの。
「こんなところで、どうかなさったの?」
声を掛けてきたのは女性の方だった。
記憶の中にある姿と声。
それは、酷く懐かしく。
そして、忘れようと思ったいた物までを思い出させる。
こちらが口を開くより先に小さく声を上げたのは、少し離れた場所にいる姉。
「カノエ、知り合いか?」
「え、えぇ」
男が姉を呼ぶ名前に思わず顔をしかめた。
どうして彼女は自分の名前を使っているのだろうか。
これでは余計に話がややこしくなる。
「……姉上」
じっ、と睨むようには見やれば、姉の翅羽は気まずそうに視線を逸らした。
視線を逸らすのは相手が後ろめたい気持ちを持っているから。
もちろん、この場合は目の前にいるカノエの名を使っていることに対して。
小さく溜息をついてから、カノエは再び口を開いた。
「姉上、彼らはまだ……?」
それだけでこちらが何を言いたいのかわかったのだろう。
ハッと視線を向けたのが何よりの証拠。
けれど自分たちを見ている二人には何のことかさっぱりだ。
姉と呼んだことで姉弟だと理解はしても、警戒を解かないのは全面的に信用していないから。
「ええ、そうよ」
固い表情で頷く翅羽に、こちらも了承の頷きをかえす。
そうしてから、様子を見ている双子を見て、やんわりと微笑む。
「初めまして、ですね。ヒノト殿、一華姫」
そう言えば、更に警戒が強まったように思う。
だが、三人の出会いを知らないカノエには仕方のないこと。
大方、原因を作ったのは翅羽だろう。
向けられる敵意にも近いそれに怯むことなく、笑顔のまま言葉を続ける。
おいそれと感情を表に出すものじゃない、という教育は、こういうときに役に立つ。
「姉がご迷惑をかけたみたいですね。変わりに弟の僕がお詫びします」
「……で?あんたの名前は?こっちの名前を知ってるくせに、自分は名乗らねーわけ?」
敵意というよりは、不機嫌。
そう表現したほうが相応しいヒノトの様子に、あたかも今思い出したように「あぁ」と声を上げる。
「僕は……カノトと呼んで下さい」
我ながら安易だと思うが、翅羽が自分の名前を使っているのだ。
何の意図があってかは知らないが、それは汲まなければならない。
「カノエにカノト、ね」
静かに呟いた一華は、何かを思案するように顎に手を当てる。
ヒノトが一華の少し前にいるのは、自分から隠すためか。
「あなたも、本宮へ?」
「そうです。多分……母が別当殿と面会するはずですから」
別当、と言ったとたん双子の視線が光った。
けれど、それは瞬き一つする間に何事もなかったように身を潜める。
さすが、としか言いようのないそれは、その身体に流れる血のせいか。
「カノト、どういうことか説明してくれるかしら?」
逆に問い返してきたのは翅羽の方で。
ここぞというときは鋭いのに、どうして普段はわからないのだろうか。
「どこかの誰かさんが、突然消えたせいですよ。アレも持たずに、どうやって帰るつもりだったんですか」
「今回は不可抗力だったのよ」
「それで別当殿を当てにする辺り、成長しませんよね」
「仕方ないでしょう。ここでアレを持っているのは、彼だけだもの」
突然始まった姉弟のやりとりに、ヒノトと一華が呆気にとられたのは言わずもがな。
ヒノトなど、翅羽を見る目が先程までとは違っている。
まるで同情のような、何とも言えない表情をしている。
「二人に会えたからよかったものの、もし会えなかったらどうするつもりだったんですか」
「ていうか、ここでする話じゃないでしょう」
このままでは説教が始まりそうな勢いのカノエに、翅羽がストップをかけた。
このしわ寄せは邸に戻ったら来そうだが、今はそれよりも目先のことの方が大切だ。
「ま、それもそうですね。今は本宮へ行くことの方が優先ですし」
「で?もういいのか?」
話がまとまったところでヒノトがよっ、と声を上げる。
どうやらその場に腰を下ろしていたらしい。
そのことに謝罪すれば、ひらひらと手を振った。
「いーっていーって。面白いもんも見れたしな」
「あら、それを言うなら私たちにも同じことが言えるかもしれませんわよ。ヒノト」
「ゲッ……それは勘弁」
どこでも似たような光景はあるもの。
思わず顔を見合わせて笑い声をあげれば、それは連鎖する。
ひとしきり笑った後は、歩き出すだけ。
二人に未だに残っている警戒心はそのままに。
本名を名乗っていない自分たちには、それを許容しなければならない。
そしてカノエはようやく思い至る。
本宮で浅水が別当に会うのなら、大切な人というのはそういうことなのだろう、と。
いつか、母が教えてくれた不思議な言葉。
それは自分たちには関係ないものだと思っていたけれど、そうでもないらしい。
それは目の前にいる双子が証明してくれた。
自分たちが今ここにいるのは、おそらく必然だったのだろう。
それ以外に、理由は見つけられなかった。