姉弟 | ナノ

出会い





さわさわと風に揺られた枝が音を鳴らし、着物の裾がひらひらと揺れる。
下を見れば少し離れたところに地面が見える。
どうやら自分は、木の枝に座っているらしい。

らしい、というのには理由がある。
なぜなら、木に登った覚えなどなかったのだから。



「……やぁ、可愛い姫君。その朝露みたいな瞳にオレを映してくれないか?」

「……え?あのっ、私ですか?」

「はは、オレの前にはお前しかいねぇって。ほんっと可愛いね」

「やだ、そんなこと……」



ふいに、聞こえてきた声に下を見れば、そこには一組の男女。
話を聞く限りでは、男の方が女性を口説いているようだった。

眼下で繰り広げられている光景に、思わず笑みがこぼれる。
緋色の髪の青年が、女性を口説いている様子は、まるで自分のよく知る誰かを彷彿させる。
けれど、それが別人であることはその身に纏っている気配でわかった。


なぜ自分がここにいるのかはわからない。


本来ならば、ここではない場所に帰るはずだったのに。
しかも、帰るための手段を今の自分は持っていない。
どこかで落としたか、なくしたか。
どちらも考えたくないが、持っていないのは事実。
自分が出来ることは、今いる木から眼下の光景を眺めるだけ。


幸いにも、ここは熊野らしい。
それさえわかれば、本宮へ向かい別当に協力を仰ぐだけ。


最も、自分が別当に会うことが最大の難関だが。
彼らにも協力してもらった方がいいだろう。

そう思い、下を見る。
少し離れた場所から歩いてくる一人の女性。
表情は見えないが、その身なりは立派な物だ。



「ほら、顔を上げろよ。赤くなってる君をオレの眼に映 「あら、また浮気?」

「げっ。お前かよ」

「……あの?」



突然現れた女性に、口説かれている方の女性が戸惑う。
青年を見て、その隣にいる女性を見ると、その人は着物の袖を目元に持って行った。



「酷いわ。私と言う家族がありながら、他の女性にまた手を出すの……?」



いかにも夫に浮気された妻。
震えている声は、泣き真似でもしているせいか。
堂に入ったその演技は、慣れたもののようにも感じられた。



「お前ね。誤解受ける発言、止めてくれねぇか?」



それを見た青年が、溜息をつきながら肩を竦める。
けれど、その言葉は誤解した女性まで届くはずもなく。



「……奥さんいるのに声を掛けるなんてさいってー。じゃぁね」

「ちょ、誤解……」



怒りを露わにして、女性はその場から立ち去っていった。
残されたのは、青年と女性のみ。



「って、行っちまったじゃねぇか。どうしてくれるんだ?一華」

「私は嘘を言っていません。ちゃんと見ずに勝手に解釈したのは彼女でしょ」



つん、と顔を背ける一華に、青年がニヤリと口角を斜めに釣り上げる。



「なんだよ?モテる弟にヤキモチか……いててて、やめろって!髪引っ張るなよ!」

「私と同じ顔であちらこちらの女性を口説くのを見ると虫酸が走るのだと、何度も何度も何度も何度も言っているのに分かってくれませんか?残念ですね」

「仕方ねぇだろ、双子なんだから……大体お前だって二重人か……グェッ!!」

「何か言いました?」

「……いや、何でもありません姉上」



大人しくなった弟に、一華は満足気に一つ頷く。
そこで、自分がここまでやって来た理由を思い出したのか、あぁ、と小さく声を上げる。



「父上がお呼びですわ、ヒノト」

「親父が?ったく、自分で呼びに来いよなあのオッサン」



理由を告げられ、途端顔をしかめたヒノトに、一華は眉をひそめた。



「父上はお忙しいんです。お手を煩わせないよう、さっさと行きなさい」



ピシャリと言えば、仕方ないとでも言わんばかりに肩を竦める。
どうしていつもこうなのか、と一華はこめかみを指で押さえた。



「……一華も帰るぜ?そこに居たら、またくだらない野郎に声を掛けられるだろ?」

「はいはい」



手を差し伸べられ、大人しくその手を取る。
悔しいことに、ヒノトの言うことは事実だった。
一人でいると、誰かしらから声を掛けられるのだ。
それこそ、間を置かずに次々と。
ヒノトと一緒、もしくは誰かと行動を共にしていれば、そんなことはなくなるが。



「でも、その前に……」



ヒノトの手を取ったまま、一華がピタリと足を止める。
すると、それに合わせるようにヒノトもその場に立ち止まった。
途端、二人の気配がそれまでの物から、警戒した物へと変わる。



「いい加減、そこから下りてもらおうか」

「覗き見は、いい趣味とは言えませんね」



二人が見据えているのは、自分がいる木の枝。
言われずとも姿を現すつもりだったこちらとしては、二人の言葉に逆らう意味もない。
自分が座っている木の枝に手をかけ、勢いを付けて下へと下りる。
ふわり、と着物の袖が宙を舞う。
着物を汚さないように着地すると、パンパンと軽く叩いて埃を落とす。
そうしてから、ようやく二人へと視線を向けた。


男女の双子はそれほど似ていないはずだが、パッと見はやはりどこか似ている。



「……初めまして、になるわね。ヒノト、一華」



何か考えるようにしてから告げられた言葉は、至極普通の物だった。















一方、ヒノトと一華は目の前に現れた人物に、ただ驚愕するばかりだった。
てっきり、現れるのはそれ相当の訓練を受けた者だと思っていた。
けれど、下りてきたのは自分たちとさほど変わらないだろう女性。
しかもその格好は、お世辞でも動きやすいとは言えない。



「……初めまして、になるわね。ヒノト、一華」



そう告げて微笑む姿に、どこか既視感を覚える。
会ったことは決してないはず。
それは、告げられた言葉からもわかる。


ならばなぜ自分たちの名を知っているのか……?


それに彼女から、感じ取ることのできる神気。
それすらも、自分たちには馴染みのある物。
尚更警戒が強まる。



「あんた、一体何者だ?」



一華を後ろに庇いながら、ヒノトが前に出た。
そんな二人を前に、どうしたものかと考える。
こうまで警戒されてしまっては、一緒に本宮へ連れて行ってもらうのは無理だろう。
だからといって、はいそうですかと引き下がることも出来ない。



「私はカノエ。風花……あなたたちの母君とは知り合いになるわ」

「母上と?」



かつて名乗った名を再び名乗る。
本名で名乗らなかった以上、そのときと同じ名前でなければ意味がない。
そして、ヒノエではなく風花の知り合いと名乗ったのは、更に警戒されたくないから。
この年で別当の知り合いなどと言ったら、いらぬことまで問われそうだ。



「ええ、近々こちらに来ることは連絡していたのだけれど、少し道に迷ってしまったの」



だから、木の上から位置を確認していたのだと言えば、先程よりは若干警戒が弱まった。
だが、完全に信頼されていないのは、一華の様子でわかる。
何かを探るようなその瞳は、かつて源氏の軍師をしていたという弁慶とよく似ている。



「とりあえず、本宮まで連れて行ってもらえないかしら?私のことがまだ信用ならないなら、烏‥‥監視をつけてもらっても構わないわ」



烏に監視させればいい、と言いそうになって、危うくそれを抑える。
あまり余計なことを言っては、出来ることも出来なくなってしまう。



「一華、どうする?」

「そうですわね‥‥本宮へ連れて行きましょう。母上に確認を取るまでは、彼女の言うとおり、烏にでも監視させたほうがいいかもしれませんが」



ひそひそと、カノエと名乗った女性には聞かせないように話をする。
話の途中でチラリとカノエを見れば、何をするでもなくただ風景を眺めているだけ。





不思議な人物。





まさにそう呼ぶに相応しい。
自分たちと同じくらいの年齢なのに、母の風花と知り合いだという。
更には、烏でも何でもないのに、着物のまま木登りまでこなしてしまう。


カノエというのも、真名ではないだろう。


ヒノトと同じように、本名を隠さなければいけないほどの立場にあるというのか。



「先に烏を使って連絡入れとくか」

「そうですわね」



二人で小さく頷いて、ようやくカノエの元へと近寄る。



「話はまとまった?」



まるでこちらが何を話していたか知っているような口振りに、思わずドキリとする。
けれど、ここで表情に出すようでは、まだまだ修行が足らない。



「とりあえず、本宮までは連れてってやるよ」

「その後は、母上か熊野別当があなたの処遇を決めるはずです」

「そう。なら、しばらくの間よろしく」



上手い具合にことが運びそうだ。

そのことに、少しだけ安堵する。
だが、問題はまだ残っている。

風花とヒノエに会うことで、それが解決すればいいが、もし駄目だった場合のことも考えなければならない。





よりによって、逆鱗をなくすなんて。





あれがなければ、自分は帰ることすらできないというのに。










二人の後をついていきながら、カノエはこれからのことを思案した。







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