月の降る夜 | ナノ
聖夜に忍び寄る悪夢
 




迷宮の出現と、鎌倉に相次いで起こる怪異。
その二つの情報を集め、奔走する。



それは、自分の身近な場所で起きた不思議な出来事を忘れてしまうには充分すぎた。







鶴岡八幡宮で起きた奇跡。







忘れてしまうにはあまりにも印象的過ぎるそれ。
けれど、全てが終わり日々の生活の戻ってしまえば、記憶からは次第に薄れていく。





クリスマス恒例のホームパーティ。
今年のそれは、有川家と春日家で行う物とは違い、八葉や朔、白龍といったあちらの世界のみんなと開いた。
宴とは違うパーティに、みんなが戸惑いを見せていたのはわかった。
けれど、アルコールも入り、時間が立てばそれすらも気にならなくなる。



楽しい時間を過ごした後に自分を待っていたのは、愛しい人とのクリスマス。



源氏山公園からヘリに乗り、夜景を見下ろしながら空の航海。
初めての経験に、多少興奮していたことは認める。

それと同時に、一つの思いを胸に抱いていたことも。

けれど、それをヒノエに言えるはずもなく。
気付かれたくなくて、ずっと窓の外に広がる景色に意識を集中させていた。


「浅水」


名前を呼ばれ、ようやくヘリがどこかへ着陸したのだと気付いた。
ヒノエに促されるまま、導かれるままに辿り着いたのは、ホテルの一室。
随分豪華な作りのそれに、思わず息を呑んでしまう。



けれど、大きな窓から一望出来る夜景に、感嘆の溜息が出た。



夜の闇に包まれながらも、色とりどりのネオンが輝いている。
まるで、宝石箱をひっくり返したような、そんな光景。


「気に入ってもらえたなら、嬉しいんだけど」

「気に入らないわけないじゃない」


後ろから抱きしめられ、ヒノエに身を委ねるように背を預ける。
そうすれば、彼の唇が首筋や頬に羽のように軽く落ちてくる。
くすぐったさに身を捩れば、離さないと言わんばかりに浅水を抱きしめる腕に力がこもる。
その間も落ちてくる唇。


「っ、最初からそのつもりだったわけ?」

「そういうわけじゃ、ないけどね」


明らかに意図的なそれに抵抗を諦めれば、ヒノエの動きも止まった。
おや?と思い首だけを振り返らせれば、何か言うよりも早く、ヒノエの唇に塞がれる。


「んぅっ……」


中途半端に開いた口は、簡単にヒノエの舌を招き入れることとなる。
普段とは違う深いキスに、後ろから抱きしめられたままの姿勢が辛い。
顔を振って逃れようとしたが、いつの間にかしっかりと顎を固定されていて、それすらもままならない。


こんなに激しいキスは、久し振り。


いつもなら人目をはばかってか、本当に軽いキスしかしてこない。
それだって、毎日のようにする訳じゃなく、時折。
記憶の糸を辿ってみれば、ヒノエと二人で過ごすのはあの時以来。


「ぅ……んぁ……っ」


ようやく解放されたと思ったときには、すっかり息が上がっていた。

どちらの物ともわからない銀糸が、二人の唇を繋いでいる。

そっと唇を指でなぞられれば、ゾクリと背筋を走るのは、快感にも良く似たそれ。
浅水の唇をなぞった指で、ヒノエが自分の唇に触れるのを見ていると、艶を含んだ笑みで見つめられる。
コクリ、と浅水が息を呑む。



それすらもきっと、彼の計算通り。



そのことに少々腹立たしさを感じるが、熱を覚え始めた身体はきっと歓楽に負ける。
何より、ヒノエと触れ合っている場所から伝わる彼の熱に、期待している自分がいた。


「……ヒノエ」

「ふふっ、姫君は一体オレに何を求めるのかな?」


わかっているくせに、わざと知らない振りをする。
それがヒノエだと理解しているのに、こういうときばかりは酷くもどかしい。
だからといって、自分から口にするのも恥ずかしい。


自分の性格が嫌になるのは、こういうときだ。


すっかりと捻くれてしまったこの性格。
素直になるには少々難しい。
ヒノエだってそれは知っているはずだ。
伊達に十年も一緒に過ごしてきたわけではないのだから。


「言って、浅水」


耳元で囁かれる言葉に息が詰まる。


ヒノエの吐息が熱い。

それすらも、身体の熱を上げるのに充分な材料。


頬に触れてくる手は、まるで割れ物でも扱うかのように丁寧で。
それが更に浅水のもどかしさを増長させる。





躊躇いは束の間。

墜ちるのは、一瞬。





ヒノエの腕の中でクルリと身体を反転させれば、彼と向き合う体勢へと変わる。
浅水の様子に、ヒノエは何も言わずただ黙って見ている。
その瞳が、どこか楽しそうに見えるが、そんなことに構っていられない。
首筋に両腕を回し、先程のヒノエに対抗するように自分から唇を重ねる。

啄むように何度も。

だが、ヒノエが動く様子を見せないとわかると、啄むだけだったキスは次第に深い物へと変化を見せる。
誘うように舌を絡ませ、快楽を見出そうと動く。
浅水を抱く腕に力が込められたのを感じた瞬間、名残惜しそうに音を立てて離れる。



濡れた唇と瞳は、ヒノエを惑わせるのに充分。



今度はヒノエが息を呑む番だった。
ヒノエの喉が上下したのを見て、浅水は笑みを浮かべた。
す、と首筋に回していた手を彼の胸元に這わせる。





「……お願い。ヒノエを、感じさせて……」





滅多にない浅水からの言葉。
懇願するように、喘ぐように呟いた声は、熱を持ってすでに掠れていた。
けれど、密着していたヒノエには充分伝わったようで、言い終わると同時に強く掻き抱かれる。



その瞬間、二人のなけなしの理性が弾け飛んだ。



唇を重ねたまま、お互いに衣服を脱がせていく。
部屋の灯りさえそのままに、激しく求め合う。


「あぁ、ぁ……っ……!」


上気した肌が、ほんのりと桃色に染まる。
たったそれだけのことなのに、快感はより深くなる。


「浅水……浅水っ」

「っ……ヒノ……んぁっ……」


普段の余裕などどこにもない。
ただそこにあるのは、目の前の欲望に素直な二人。





どちらかが高みに上り詰めれば、どちらかが足りないと強請る。

それの繰り返し。





指先一つ、髪の毛一本にまで快感が伝わっているように感じる。
触れたその場所から伝わる熱が、次から次へと快楽の波を運んでくる。


「ぁっ、あぁぁ……っ!」

「っく、浅水……!」


激しい情交。


けれど、それを不快と感じるわけではなく。
逆に、愛しささえ湧いてくるのはどうしてだろうか。















二人で同じシーツにくるまりながら、気怠い余韻に浸る。
どこか半分夢現にある浅水の髪を梳いてやれば、気持ちよさそうにその目が細められた。
これまでの危うさなど、微塵も感じられない。
甘えるように自分にすり寄ってくる浅水。
普段の彼女を知っているからこそ、この一時が何よりも代え難い。

自分だけの特権。

そう言ってもいいだろう。



再び浅水を失うかもしれないという恐怖は、今の彼女の表情に払拭された。



けれど、と思うときもある。
確かに浅水を失うことはなくなった。
だからといって、不安要素がなくなったわけではない。

ごく稀に起きる発作。

原因がわからない上に、治療法もないのではお手上げだ。
一生その発作がつきまとうのでは、浅水にかなりの負担がかかる。


「ヒノエ?どうか、したの?」


さんざんヒノエに啼かされたせいで、声が随分と掠れている。
それに眉を顰めながらも、浅水はヒノエの顔を覗き込んだ。
これ以上、彼女の心配事を増やすわけにはいかない。
そう考えたヒノエは、小さく笑んでから浅水の髪を撫でた。


「オレの手で華開く様を愛でるのもいいけれど、その前にオレが姫君の色香に惑わされそうだ」

「……っん」


言って唇を落とす。
これ以上何も言えないようにと唇を塞いでしまえば、浅水もそれ以上の詮索はしてこなかった。


「っ、もう!」


唇を離すと同時に、その唇を尖らせる。
拗ねたような表情に思わず失笑を漏らせば、浅水は体勢を変えてヒノエに背を向けた。
機嫌を損ねてしまったか、と小さく肩を竦める。


「あ、雪だ」


一体どうやって浅水の機嫌を直した物か、と思案していれば、浅水が小さく声を上げた。
ベッドに肘をついて上半身を起こせば、窓の外に白い物がちらほらと見えた。


「ホワイトクリスマス、か……。あっちも今頃、雪が降ってるのかな」


ポツリと呟かれた独白。
浅水の言う「あっち」がどこのことかは、なんとなく理解できた。
それに対して、あまり深く詮索するつもりもないし、言うつもりもない。


彼に大きな借りを作ったのは、紛れもない自分自身。


例えそれが別世界の自分であったとしても、借りは借りだ。
だが、少しだけ面白くないのも事実。


「酷いね。オレがここにいるっていうのに、浅水はオレじゃない男を想うんだ?」

「馬鹿、そんなんじゃないわよ」


軽口を叩けば、呆れたように返される。
浅水がどれだけ自分を想ってくれているかは知っている。
そして、別な時空の自分にはなびかないということも。



唯一の存在である浅水が選んだのは、今この場にいる自分。



別な時空の自分じゃない。
そのことに、少しだけ優越感を覚える。


「ねぇ、ヒノエ」

「うん?」

「私ね……っ」


それ以上言葉が続かない。
そのことにヒノエが違和感を感じたのは、咄嗟のことだった。
浅水は小さく身を丸め、何かを堪えるように胸元を押さえている。
彼女のこんな姿を見るのは、これが始めてではない。


「浅水……?」


苦しみに顔を歪ませている浅水の様子は、先程までの余韻すら忘れさせた。
緊迫感にも似た空気が部屋に広がる。
呼びかけにすら応えられない浅水に、ここ最近起きるようになった発作だと理解したのは直感。
何一つの対処法も持たない発作は、それが治まるまで待つしかない。


「よりによって、こんなときにかよっ」


思わず悪態をつく。
せっかくの聖夜だというのに、ついていない。
だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

呼吸がしやすいように、浅水を仰向けにさせようと肩を掴む。



否。



掴んだはずだった。


「え……?」


目の前の光景に思わず瞠目する。
確かにこの手は浅水の肩を掴んだはずだ。
けれど、柔らかい肌の感触は伝わってこない。
それどころか、まるで宙を掴んだよう。


「……っぅ……」


耳に届いた浅水の声に我に返り、再びトライする。
だが、やはりヒノエの手は浅水の肌に触れることはなかった。
そして、先程よりも衝撃的なことに思わず息を呑んだ。





浅水の身体が透けている。





いつぞやの、肘から下が透けたときとは比べ物にならない。
今は浅水の身体全てが透けているのだ。


「……何、で」


全て、終わったはずではなかったのか。
熊野権現の神気を浅水の身体へと注ぎ込んで、全て。
それとも、何か足りなかったのか。
けれど、足りない物が何かわからない。



このままではいけない。



そう思うのに、どうすればいいのかわからない。
焦燥感が募る。



どうすればいい?


どうすれば、浅水を救うことが出来る?


まるで出口のない迷路へと迷い込んだ感じだ。
そんなとき、浅水が動くのを視界に捉えた。



発作が治まったのだろうか。
けれど、身体は透けたままだ。
今ではもう、輪郭を捉えるのがやっと。



ゆっくりとヒノエに向けて伸ばされる腕。
掴むことは出来ないから、せめて自分の手を重ねる。


「浅水」

「ヒ、ノ……エ」


囁かれる言葉は、まるで消えてしまうかのようにか細い。
小さくなっていく声と合わせるように、浅水の身体は更に透けていく。





「浅水……!!」





どうすれば、愛しい人を自分の元に繋ぎ止めることができるのだろうか。







  


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