月の降る夜 | ナノ
月と月を繋ぐ架け橋
 




冬の風は夜空を酷く輝かせる。
いくら着物を重ねたとしても、外気に晒される顔や手は暖めることが出来ない。
唯一、ヒノエと繋いだ手のひらから、彼の熱が伝わってくる。


「寒いかい?」


急いでいるはずなのに、自分に合わせて歩く彼は、やはりヒノエなのだと実感する。



例え、自分の愛するヒノエじゃなくても。

彼が愛する人のためにこの場にいるのだとしても。



隣にいる自分を優先してくれる。



そんな些細なことに、ちょっとだけ優越感を感じてしまうのは、いけないことだとわかっている。
けれど、仕方ないではないか。
目の前にいるのは、他の誰でもないヒノエなのだから。


「大丈夫よ。ただ、空気が痛いくらいに澄んでいるから」


緩く首を振って、空を仰ぐ。
白い息がどれほど気温が低いかを教えてくれる。
けれど、不思議と寒さを感じないのは、ヒノエと繋がった場所から熱を感じているからだろうか。


「姫君の大丈夫を、素直に聞いてやれるほどオレは寛大じゃないからね」


そう言って、繋いでいた手が離される。
そこにあったはずの熱がなくなったことに、少しだけ寂しさを感じる。

けれど、次の瞬間。

ふわり、と頭から何か布のような物が掛けられる。
全身をすっぽりと覆い隠してしまうほどのそれは、弁慶が身につけていた外套と似ている。


「これなら、少しは外気を防げるだろう?姫君が願うなら、オレが抱き締めて運んでもいいけどね」

「それは遠慮しておくわ」


さすがに深夜。
誰に見られるとは思えないが、ヒノエに抱かれて運ばれる自分を想像すると、頬が染まるのがわかる。
謹んで遠慮すれば、残念、と半ば本気の言葉が返ってくる。
けれど、再び手を差し伸べられて、躊躇いもなくその手を取る。



この手は自分の物ではないけれど、信頼の出来る物。

決して害のある物ではない



風花が手を取ったのを確認すると、ヒノエはニ、と口角をつり上げた。
その瞳は自信に満ちあふれていて。
先程、邸の庭で見た姿は目の錯覚なのでは、と思ってしまう。


「早く本宮へ行こうか。本殿に入れば、寒さはしのげるからね」

「わかったわ」


その言葉に、自分の身を案じる以外の含みを感じ、素直に頷く。
これから本殿で行われる二人だけの儀式。
それは、ヒノエの大切な人のために必要なこと。





なぜ、わざわざ時空を越える必要があったのか。

風花の協力まで必要なのか。





彼に問うてみたけれど、明確とした答えは貰えなかった。
それは、話したくないことなのか。
それとも、話せないことなのか。

わからない。

けれど、心のどこかで、いずれ答えは示されるという確信があった。
そう、全てが終わったときには。
それまでは、必要以上に口に出さないことにする。
きっとそれが、彼も望んでいることだろうから。










やっと本宮へ辿り着いたときには、歩いていたせいで身体は寒さを感じていなかった。
けれど、本殿へと足を踏み入れれば、外気が遮断されたおかげで、わずかながら温かさを感じる。
それにホッと息をつけば、肩に入っていた力が抜けるのがわかった。


それほど自分は緊張しているのだろうか。


ヒノエの妻とはなったけれど、神職として儀式を行うヒノエと共に参列したことはない。
それは、自分がそれだけの力も修行もしていないせいである。


かと言って、今まで本殿に足を踏み入れたことがないわけではない。
どこかピンと張り詰めた空気を感じるこの場は、まさに神を奉っているのだと肌で感じることが出来るから。


「さて、始めようか」


ヒノエの言葉に、思わず息を詰める。
それが彼にも伝わったのか、クスリと笑みを零すのがわかった。


「そんなに緊張しなくても平気だって」

「でも、私こういう儀式とか、初めてだから」


この空気に慣れていないのだと言えば、驚いたようにヒノエが瞠目する。
けれど、それも一瞬で、すぐさま大丈夫と言ってくれた。
それだけで、心が軽くなるのがわかる。


「風花、手を貸してくれるかい?」

「手?」

「そう、オレの上に重ねて」

「こうでいいの?」


自分の方に差し出された両手に、風花は自分の手を重ねた。
ちょうど、手のひら同士が重なるように。
すると、その手をヒノエが緩く握る。


これに、一体何の意味があるのだろうか。


疑問に思いながらも、ヒノエがそうするからには理由があるのだろう。
両手を見つめてから、視線をヒノエに移せば、それまでよりも一層真剣な表情の彼が、目の前にいた。
す、と息を吸ってから、滑るように彼の口から紡がれるそれは、まさに祝詞。





「掛け巻くも畏き隠月大神の御前に畏み曰く、」

『掛け巻くも畏き隠月大神の御前に畏み曰く、』





それに気付いたのは単なる偶然か。

それとも、必然か。

目の前にいるヒノエは一人だけなのに、風花の耳に届いてくる声は、二つ。
その声は、どちらも同じヒノエの物。
まるで、同じ言葉を重ねているかのように、違えることなく見事に重なっている。





「世の理を超え、」

『世の理を超え、』





そうして気付く。

重なって聞こえている声は、自分が愛している彼の物だと。

いくら同じ声だとはいえ、ヒノエの声を間違えるはずがない。





「新しき神の娘に祝福の息吹を通し給え」

『かの神の愛娘に祝福の息吹を与え給え』





ふいに、重なっていたはずの言葉がバラバラになった。
けれど、言葉が違ったのはたった一節だけ。
神職にない自分には、それがどういう意味なのかすらわからない。



問いたくても、今口を挟んでしまってはいけない。



そんなことをしては、神聖な儀式を穢してしまうことになる。



風花は黙って、ヒノエの一挙手一投足を見つめていた。
すると、ヒノエが祝詞を言い終わる頃には、自分の手のひらが温かいことに気が付いた。
この温かさは体温だけの物ではない。
それ以外の何かを感じさせた。
それが何かわからないことが、逆に不安を煽る。
悪い物ではないのだろう。
神職であるヒノエがいながら、何もしないということは、その逆。
わかってはいるのだが、戸惑う気持ちは抑えられない。
縋るようにヒノエを見れば、彼は普段と同じように、瞳に強い輝きを持って頷いた。
その表情には、笑みすら浮かんでいて。

それまであった不安は、ヒノエによって払拭されていた。

するりと放されるヒノエの手。
けれど、感じる熱は未だそのままに。


手と手を合わせ、その熱を逃がさないように胸に抱く。


「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」


すると、次にヒノエの口から紡がれる言葉は、祝詞とはまた違うものだった。
右手で何かの形を作り、その言葉に合わせて縦に動かしたり横に動かしたり。

だが、ヒノエがそうすることによって、自分の持っている熱が更に熱くなるのがわかった。

次第に熱を帯びていく自分の手のひら。
一体どうすればいいのかわからない。

そんな時だった。










キィー……ン










耳に届いた音は、まるで刃を交わしたときに鳴るそれに近い。
余韻が消える頃には、どうしたことか、あれほど熱かった手のひらが熱を感じていないことに気が付いた。
自分の手を何度もひっくり返して、一体何があったのかとよく見てみる。
けれど、自分の手には何の変化も見られない。


「ヒノエ、一体どういう事?」


答えが返ってこないと思いながらも、問わずにはいられなかった。
今のは一体何だったのかと。


「これが、風花に協力を仰いだ理由だよ」

「え?」


これが理由だと言われても、どれが理由なのか判らない。
顔を顰めていれば、そっと頬を撫でられる。
その感触を味わいたいが、今はそれどころではない。


「オレの姫君は今、ヤバイ状況にあるってのは言ったろ?」


こくりと小さく頷く。
それは、本宮へ来る道すがら、ヒノエの口から言われていたことだ。


「だから、今のオレよりも力の強いオレに協力を願った。それが、」

「私のヒノエ、ね。だから、あなたが祝詞を唱えているとき、ヒノエの声も聞こえたの?」


既に確信を持っていることだから、強く言うことが出来た。
自分自身に、好きな女のために力を貸してくれと言われて断るほど、ヒノエは自分に薄情じゃない。


「そういうことになるかな。新しき神の娘である風花を通して、愛娘であるオレの姫君に神気を送ってもらったのさ」

「新しき神の娘と、愛娘……」


そういえば、祝詞でそんな一節があったような気がする。
けれど、その意味まではわからない。
考え込んでしまった風花に、ヒノエは小さく笑みを零した。


「隠月大神は熊野権現の別称だよ。オレの花嫁になった風花は、必然的に新しく熊野権現の加護を受けることになるだろ?」

「だから、新しき神の娘なのね。でも、愛娘ってどういうこと?熊野の人なの?」


生まれも育ちも熊野ならば、愛娘と呼ばれるのもわかる。
けれど、この場合はそれとは違うような気がするのは何故だろうか。


「ふふっ、鋭いね。そういうのは、嫌いじゃない」

「はぐらかさないで」

「そうだな……あいつは、神に愛された娘だからね。熊野権現からも、それ以外からも」


それ以外、という言葉に引っかかりを覚えた。
熊野権現以外の神というのは、どの神のことを言っているのだろうか。


龍神、は有り得ない。


白龍は、自分の神子である望美を溺愛していたはずだ。
それとも、他の時空ではそうじゃないのだろうか。


「ねぇ……」


尚も質問を続けようとした風花だったが、それは言葉にならなかった。
どこからともなくキラキラと、光の粒子が降り注ぐ。
それは、明かりのない本殿内を見渡せるほどの光量。



室内だというのに、一体どこから。



そっと手を伸ばせば、手のひらに落ちてくる光の粒子。
それは、先程感じた熱と同じ温かさ。


「あっちも成功したみたいだね」


風花と同じように、光の粒子を見つめながら、どこか満足げにヒノエが呟く。


「そうなの?」

「この光が何よりの証拠さ」


そう言って、ヒノエも光の粒子へと手を伸ばす。
ヒノエに触れた光は、より一層、その輝きを増したかのように見えた。


「これは強すぎる神気が形になった物だよ。熊野権現からの、祝福、といっても言い」

「そうなの、これが、神気」


霊感の類を一切持たない自分は、ヒノエのように神気を感じることも出来ない。
こうやって形になった神気を見ることが出来ただけでも、喜びを感じることができる。
熊野という地に、歓迎されているのだと。


「そろそろ時間かな」


小さく呟かれた言葉でヒノエを見れば、彼の回りだけ光が集まっている。
この状況は、今まで何度か体験した物。
こちらのヒノエと、あちらのヒノエが時空を越える前触れ。


「幸せに、ね」

「姫君もね」


交わした言葉は、それが最後だった。


目も開けていられないほどの光量が、本殿内を支配する。
あまりの眩しさに、風花は腕で顔を覆った。
強くなった光量が、一気に収束する。
あれだけ輝いていた本殿に、再び闇が訪れる。
目が闇に慣れるのを待てば、目の前に感じる人の気配。
それが愛しい人の物だとわかると、風花はニッコリと微笑んだ。


「ただいま、オレの姫君」

「お帰りなさい、ヒノ……っん……」


最後まで言葉を紡ぐ前に、情熱的なキスで唇を塞がれる。
最近はあまり触れ合う機会がなかっせいで、キス一つで理性が奪われていくのがわかった。


「ちょ……待って、ここっ、本殿っ!」

「つれないね、オレはこんなにも風花が欲しくて堪らないっていうのに」


危うく行為に走りそうになるヒノエを何とか押し止め、けれど、彼に身体は預けたまま。
今度は触れるだけのキス。





それだけで、こんなにも幸せな気持ちになる。





きっと、今頃はヒノエも愛しい人と同じ時間を過ごしているのだろう。





不安に押しつぶされそうな日々は終わり。





これからは、幸せがきっと待っているのだろうから。










ヒノエに抱かれるように二人、本殿の入り口に座り、昇る朝日を見つめていた。


「そういえば、風花の世界の九郎ってどんな奴なんだい?」

「何、いきなり」


耳元に届く吐息がくすぐったい。
それに身を竦めながら、歴史上の義経を記憶から呼び起こす。


「えっと、確かこっちの九郎さんとは正反対だったと思ったけど。ヒノエみたいに、女の人にモテてたらしいし。それがどうかしたの?」


突然そんなことを聞いてくる彼がわからなくて。
自分が思い出せる限りの情報を伝えれば、肩越しに震えているらしい振動が伝わってくる。


「ヒノエ?」


どうかしたのか、と言おうとした言葉は、彼の笑い声にどこかへ行ってしまった。
これほどまでに笑い転げる彼は、あまりお目にかかれない。
珍しい物を見た、と少しだけ喜んだが、いつまでも笑い続けているヒノエは、一種異様にも見えた。





昇ってくる朝日が本殿を照らし始める。





新しい一日の始まり。





いつだって、明けない夜はないのだ。







  


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