月の降る夜 | ナノ
見え隠れする蒼白色
 




深い眠りに落ちていたはずなのに、ふとした瞬間に目が覚める。
起き抜けの頭にしては、妙にすっきりし過ぎている。
そのことに引っかかりを覚えながら、隣りに寝ているはずの彼を捜せば、冷えた寝具の感触が指先に伝わった。



それは、何かがやってくる、前触れ。



小さく溜息をついて身体を起こせば、思っていた以上に冷えた空気に身体が震えた。
当然の事ながら、火鉢に炭は入っていない。
こんな時間に女房を起こすのも忍びないので、とりあえず夜着の上に綿入りの羽織を身に纏う。
そっと部屋から廊下へ出れば、室内よりも更に冷えた風が肌に刺さる。



「風花、こんな時間にどこへ行くの?」



呼び止められる声に、思わず身体を硬くした。
音は出来る限り立てなかったはずだ。
それなのに、彼女を起こしてしまったというのなら、自分の気配を断ち切れていなかったか。
何にせよ、見つかってしまったからには隠しておくことは出来ない。
ゆっくりと振り返れば、そこには障子にもたれている望美の姿があった。
彼女も自分と同じように、夜着の上に羽織りを羽織っている。



「ヒノエと約束してるの。お願いだから、行かせてくれない?」

「ヒノエくんと……?」



胸の前で小さく手を合わせれば、訝しそうな声を上げる。
それもそうだろう。
何も、約束ならばこんな夜更けでなく昼間にすればいいのだから。
けれど、彼とは夜更けにしか約束できない。



一方的な約束は、決まってその時になってから。
こちらの都合はお構いなしに見えるそれも、何か思惑があってのことなのだろうか。



「明日じゃダメなの?」



それほどまでに急用なのか、と疑う彼女の瞳を、真っ直ぐに見つめる。
ここで目を逸らしたら、きっと望美は私を行かせてくれない。



「どうしても、今じゃないといけないの」



嘘はついていない。
彼が今日、自分の元へ来るのを逃してしまったら、次に会えるのはいつになるかわからない。
期間が空いてしまうということは、それだけ、手元に入る情報が少なくなるということ。
それでなくともわからないことばかりなのだ。
出来ることなら、一つでも多くの情報を手に入れておきたい。



「……仕方ないな。ヒノエくんに言っておいて。風花に用事があるなら、夜中じゃなくて昼間にして、って」

「ありがとう、望美」



私の意思を尊重してくれたのか、それとも単に折れただけか。
何にせよ、許可をくれた彼女の優しさがありがたかった。
望美の気が変わる前に、行こうとすれば、何故か再び引き止められる。



「何……?」

「そんな薄着で、風邪でも引いたらどうするの」



肩から掛けられた羽織は、彼女が身につけていた物。
これを借りてしまっては、望美の方が風邪を引いてしまう。
慌てて返そうとしたが、私はまた寝るから、と言う彼女によって遮られた。
もう一度礼を言って、今度こそ、その場を後にする。















向かった先は、御神木。
月明かりに照らされて、神聖な御神木が、更に神秘的な姿を現している。
そして、そんな御神木の下に佇む一つの人影。



「やぁ。来たね、姫君」

「望美に見つかったおかげで、ここまで来るのに時間がかかったわ」



肩を竦めながら彼の元へ近付けば、それよりも先に距離を縮めてくれる。
些細な気配りは自分の知るヒノエと変わらない。



「姫君はオレのせいだって言いたいわけ?」

「どうかしら。……望美から伝言よ。私に用があるのなら、夜中じゃなく昼間にして、って」



それを言葉にして伝えるのはちょっとした意地悪。
彼が昼間、姿を現すことがないのは自分が良く知っている。
案の定、風花の言葉を聞いたヒノエは、難しそうに顔をしかめていた。
滅多に見ることが出来ない一面を、簡単に見ることが出来るのは望美のおかげか。
そのことに多少嫉妬を覚える。
だが、目の前にいるのは自分のヒノエではない。
そう考えると、嫉妬を抱くのはお門違いなのだろうか。



「神子姫様も、随分と言ってくれる。なぁ……姫君は、大切な人を失ったことはあるかい?」

「え……?」



突然の質問は、心臓を跳ね上げるのに充分。
わからないのは、どうして彼がそんな質問をするのかということ。
自分の知らない場所で起きている『何か』に、関係しているのだろうか。
それとも、あの時のことを思い出させたいだけなのか。



「ふふっ、顔色が変わった。あるみたいだね」



早鐘を打つように動く心臓を抑えるように、胸元の着物をきつく掴む。





思い出されるのは、彼の髪の色と同じ、紅。

私の目の前で崩れ落ちた天井。

そして、彼の謝罪の言葉。





全ては私の裏切りが招いたこと。
あのとき、私が彼を裏切っていなかったら、私は彼を失ったりしなかったのだろうか。
目の前の幸福に、過去の罪を忘れていた。





私が彼を殺したも同然なのに。





目の間が真っ暗になった様な気がした。
地に足が着いていないような感覚。
ここがどこなのか、わかっているようでわからない。
ぼやける視界は、世界を歪ませる。



「オレとお前は、似たもの同士なのかもしれないね」



そっと、頬に触れる指が何かを拭う。
それが涙だと悟るのに、そう時間は要らなかった。
数回瞬きを繰り返せば、思っていた以上に近くにある一対の紅。
私を支えるためなのか、彼の片腕は私の腰に回されている。



「私と、あなたが似ている……?」



どこが似ているというのか。
似ているというのなら、同一人物であるヒノエにではないか。
そんな思いが伝わったのか。
儚げに微笑む笑みは、どこか危なげで、以前にも見たことがある物。





例えるなら、まるで世の終わりを見てきたような、深い絶望を湛えている。





ヒノエに限って、そんなことは考えられないのに。
それとも、自分が知らないだけなのだろうか。



「そう、似てるよ。オレも…………大切な宝を失ったからね」



肝心な言葉はまるで囁くように弱々しく。
けれど、風花の耳には確かに届いた。
恐らく彼が知った絶望は、自分のそれとは比べものにならない位大きいのだろう。
いつもなら強く輝いている紅が、今は鈍く暗い。



「あなたも……?でも、それは私じゃないんでしょう?」

「姫君の目にそう映っているなら、そうなんだろうね」



確かな言葉をくれないのは、目の前にいる彼も同じか。
だが、彼が失った大切な宝が自分じゃないことだけは、簡単に想像が付いた。
自分の知るヒノエも、自分を失ったら目の前の彼と同じようになるのだろうか。



「教えてくれる?あなたの大切な人のことを」



気付いたら、口から言葉がついて出ていた。
聞いてどうなるわけでもない。
もし、失ったままならば、きっと彼は自分を保っていられないだろう。
それは自分にも言えること。



だが、そうじゃないと心のどこかが訴えている。



彼もまた、自分と同じように大切な人を取り戻したのだと。
そうでなければ、似ているなどと言わないだろう。





かつて自分がそうしたように、彼も時空を越えたのだろうか。





最愛の人を、再びこの手に抱くために。



「姫君は、それを知ってどうするつもりだい?」

「興味本位、と言ったら嘘になるわね。でも、知りたいのよ。あなたの心を捉えてならない姫君のことを」

「お前のことだよ、って言っても、信じてくれなさそうだね」

「信じないわ。だって、私を見るあなたの瞳は、私のヒノエとは全然違う」



自分のヒノエが愛おしそうに自分を見つめてくれるとすれば、彼の自分を見る目はどこか愁いに満ちている。
それは、同じ悲しみを知っている者が持つそれ。
けれど、時折何かを見出すように光る瞳は、同じ愛おしさでもどこか違う。
例えるならば、親愛にも似た感情。



「手厳しいね。でも、その通りだよ」



至極あっさりと肯定され、思わず拍子抜けする。
彼のことだから、てっきり軽くかわされると思っていたのに。



「オレの言葉が意外かい?」

「どうして……?」

「わかったかって?姫君の顔に全部出てるよ。オレの妻としては、及第点かな」



どこか楽しそうに聞こえるそれで、ようやく自分がからかわれているのだと気がついた。
思わず彼の胸を突き飛ばしてやろうとするが、それまでよりもしっかりと腰を抱きしめられて、動くことすらままならない。



「ちょ、離して!」

「そんなに大声出したら、困るのは風花だぜ?」

「っ!」



耳元で囁かれて、思わず言葉を無くしてしまう。
例え別人だとしても、同じ声で囁かれてしまっては、ときめくなという方が無理という物。
しかも、名前を言う辺りが確信犯。



「これくらいで赤くなるなんて、可愛いね。姫君はそんなに初心だったかな?」



まるで自分とヒノエとの仲を言われているようで恥ずかしい。
いつもなら言い返せるはずの言葉が出てこないのは、なぜ。



「っ…………拙いな……」

「何?」



突然表情が曇ったヒノエに、一体何かあったのかと視線で問いかける。
だが、瞬き一つする間に、いつもの彼に戻ってしまっていた。



「どうか、したの?」

「いや、何でもないさ」



問えば、何事もなかったように返される。
それが本当でないことは、先程の彼の様子からわかった。
きっと、何かがあったのだろう。
それが何なのかまではわからないが。



「悪いけど、そろそろ時間だ」

「また、会える?」



腰に回されていた温もりが失われる。
それを少し寂しく思いながらも、これ以上彼を引き止めることができない。
再び逢瀬の約束を取り付けたのは、聞きたいことを全くと言っていいほど聞けていないから。



「前にも言ったろ?オレとお前は巡り逢う運命にある、ってさ」

「そう……そうだったわね」



忘れていたわけではないが、確たる物が欲しかった。
この、稀なる逢瀬の。



「そんなに心配なら、姫君にコレを」

「これ……メダル?」



手のひらに乗せられたのは、一枚のメダル。
こちらの世界では珍しいそれは、どこかで見覚えがあった。
確か、クリスマスの頃に教会で配布していた物ではなかっただろうか?



「聖なる夜は、大切な日だからね」



聖なる夜。
それが、何を意味するのか。
現代にいた風花が知らないはずはない。
だが、どうして彼がこれを持っているのかが知りたかった。

雲が、月を隠していく。
月が雲に遮られると、月明かりで輝いていた辺りが暗くなる。



「ねぇ……」



顔を上げたときには、目の前にいたはずの彼の姿は無くなっていた。



「……いない」



再び月が雲から顔を覗かせれば、始めからそこに人などいなかったように御神木だけが佇んでいた。
自分の手の中にあるのは、確かに現代のメダル。
ということは、彼は現代にいるのだろうか?
そして、現代にいる彼がこの世界に来たということは、この世界の彼もまた、現代へと行っているのだろうか?



だが、その理由がわからない。



わかったことは、自分と彼の共通点だけ。
それがどこでどう繋がるのかは、皆目見当も付かない。

風が御神木の葉を揺らす。
それと同時に、先程まで感じなかった寒さを感じる。
これ以上この場にいては、本当に風邪を引いてしまうだろう。
早々に、部屋へ戻らなければ。

そう思い、一歩を踏み出したとき。



「夜風は姫君の大切な身体を冷やすだけだぜ?」



その言葉と共に、ふわり、ともう一枚暖かい物が肩に掛かる。
首を巡らせれば、肩越しに見えた緋色の髪。
鼻腔をくすぐるその匂いは、紛れもなく自分が愛して止まない男の物。



「冷えたらヒノエが暖めてくれるんでしょう?」

「当然だね。お前を暖めてやれるのはオレだけだって知ってるだろ?」

「そうね」



凭れるように背中を預ければ、しっかりと自分を受け止めてくれる腕が嬉しい。
一度失った物を再び取り戻した自分は、二度とこの手を失うことは出来ない。





否、失えない。





自分がそう思うということは、彼の人も同じように思っているのかもしれない。
大切な物を失った悲しみを知るのは、同じ思いをした人だけ。





今頃は、彼も愛しい人を抱きしめているのだろうか。







  


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