月の降る夜 | ナノ
翼を持つかぐやの君
 




その日は中々寝付けなかった。

独り寝は慣れたはずだったのに、どうしてもあるはずのない温もりを求めてしまう。

褥の中で何度も寝返りを打ってみるけれど、眠気が訪れるどころか、逆に目が冴えてしまう。



こんな時は、一つのことを思い出す。

そして、胸に宿る一つの予感。

朧気な物であるはずのそれは、一度自覚してしまうと確信へと変わってしまう。

じっと睨むように天井を見つめ、周囲に気を配る。



人の気配は、ない。



そっと褥から抜け出すと、燭台に火を灯す。
薄ぼんやりと照らされた室内には私の姿しかない。

一度、置いてある自分の刀に目をやってから、羽織を手に取る。
袖を通しながら寝所を後にすれば、そこには夜の闇に包まれた世界がひっそりと広がっていた。





熊野は、昼と夜ではまた違った顔を見せる。





けれど、どちらも私の好きな顔。
最愛の人が統べる、愛して止まない土地は、私にとっても愛すべき場所。


濡れ縁に座れば、夜露で湿気をはらんだ床が少しだけ冷たかった。

今宵は半月。

満月に比べれば随分と光量は少ないけれど、庭くらいなら充分に見えた。


そう、夜目が利かない私でも。



「異世界から来た姫君は、どこでもかぐやの君だね。まぁ、月明かりに照らされるお前の姿は、充分すぎるほど魅力的だけど」

「ヒノエ」



ふわり、と地に舞い立つ様はまるで背中に翼でも生えているよう。
月明かりを身に纏う彼は、女の私から見ても神秘的。

けれど、彼が私のヒノエじゃないことは、その身に纏う雰囲気でわかった。


出逢ったのは一度だけ。
蒼い月の下での逢瀬。


けれど、それを懐かしいと言うには、そこまで時間が流れていなかった。


どうしてかしら、同じヒノエでも、こんなに違う。


私を見つめる視線や、私を呼ぶ声。


同じ人間であるはずなのに、全く違う。
私の目の前に立ち、じっと見つめる様子は何かを探るようにも見えた。



「……へぇ……そういうことか」



今日は帯刀している訳じゃない。
武器となる物は、一切身につけていないことなど、彼から見ればお見通しだろう。

何かを見付けたように小さく声を上げる。



「何?」

「いや、こっちの話」



その声はどこか楽しそう……いいえ、嬉しそうに聞こえた。


何故───?


でも、どうせ彼は私に触れたりしない。

まるで私たちの間に、薄い一枚の壁があるかのように触れてはこないのだ。










それが嬉しくもあり、



悲しかった。










例えそれが別人であったとしても、触れて欲しいと思うのは、そこにいるのが確かにヒノエだから。



「そんな顔をされたら、馬鹿な男がその気になるぜ?それとも、オレを誘ってるっていうなら、喜んで歓迎するけど」



その場に膝をついて、伸びてくる手が私の髪を一房手に取った。
まさか触れてくるとは思わなくて、私はヒノエの一挙一動に目を奪われる。



「ねぇ、風花。オレがお前の前に現れる理由、知ってるかい?」



手に取った髪の毛に、恭しくキスをする。
見上げるように顔を上げたヒノエ瞳が私を捕らえる。


悪戯に細めた目は、どこか艶をはらんでいて、いつもは綺麗な深紅が今日は闇に溶け込んでいる。


こんなヒノエ、私は知らない。



「悔しいけど、わからないわ。理由を教えてくれるの?」



ヒノエの視線から逃れるように、そっとまぶたを閉じる。
けれど、焼き付いたその表情は中々消えてくれない。

再び目を開ければ、膝をついていたはずのヒノエはその場に立っていた。

逆光で表情は隠れてしまったけれど、弧を描いた唇から察するに、楽しんでいることは確か。
私がそう答えることは、予想していたということ。



「そうだな、教えてやってもいいけど……海賊がそう簡単に言うと思うかい?」



更に深くなった笑みに、これ以上は話す気がないのだとわかった。

質問に質問で返すというのは、そういうこと。

教えるつもりが無いのなら、期待させるようなことは言わないで欲しいのに。



「思わないわ。それに、質問で質問で返すなんて随分な人ね。それとも、私には話したくないことなのかしら」

「オレがお前に?」



上擦った声は、私の予想を覆すには充分な物。
ならば、まだその時期じゃないということだろう。

でも、そうだとすると私の目の前にいるヒノエは、再び現れることになる。

わからない。



その理由も、目的も。



「……安心しなよ。別に、オレは姫君を傷つけるためにここにいるんじゃない」



先程までと違う、どこか切なげな笑みは言い方を変えれば痛々しい。
どうしてそんな顔をするの?



「熊野の男は姫君に弱いって事くらい、風花も知ってるだろ?」

「それは知ってる、けど……」

「だったら」



そこで言葉を切って、ヒノエの手が私の頬に触れる。
なぞる様に触れてから、顎を持ち上げる。
そうすれば、私の顔はヒノエを正面から捕らえる形となる。

近付いてくる顔に、思わず私は目を閉じた。
期待、していたわけじゃない。
それは、条件反射とほぼ同じ。



「これ以上の詮索は、お前のためにならないぜ」



唇に吐息が触れるほどに近い。
けれど、決してそれに触れることはなかった。



「それ、どういう……」

「お前は………………」



ヒノエの言った言葉の意味がわからなくて、思わず口を開いていた。
直ぐさま返ってきた声に、理由を教えてくれるのだと、私は信じて疑わなかった。




















突然、ヒノエの声が聞こえなくなった。
あれほど近い距離にいるのだから、故意に言葉を紡ぐのを止めたのか。


ゆっくりと目を開けてみれば、目の前に確かにいたはずの彼の姿がどこにもない。
辺りを見回してみても、ヒノエの痕跡は見付けられなかった。


肌に残る彼の熱は未だ消えていない。


まさかこんな手品のようなことが、実際に起きるだなんて思えなかった。

ただ、あるとすれば白龍の力。

もしヒノエが現れたのが白龍の逆鱗のせいだとしたら。
彼は戦が終わらない時空に存在してるのだろうか。



「元の時空に戻った、と考えていいのかしら」



天を見上げれば、そこに輝く半月。
姿を消したヒノエが、再び現れる気配はない。



夜風が庭を通り抜けていく。



いつまでも外にいて、身体を冷やすわけにもいかない。

私は座っていた濡れ縁から立ち上がり、寝所へ戻ることにした。

濡れ縁から寝所までは数歩の距離。
部屋に入れば、燭台の灯りが闇に慣れた目に眩しかった。

障子を閉めようとして、後ろ髪引かれるように庭を見たのは、多分偶然。



「ねぇ、貴方は一体何が言いたかったの?」



答える人は誰もいない。

けれど、口にしておきたかったのだと思う。
ほんの一時の逢瀬が、決して夢ではなかったのだということを。



再び褥に潜り込めば、耳の奥で木霊する貴方の言葉。

まるで出口のない迷路のように、それは私を悩ませる。















きっと、かぐやの君なのは、私じゃなくて貴方の方。







  


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -