月の降る夜 | ナノ
時空を越える夢逢瀬
巡り会いは、いつだって突然に。
後にそれが、縁となって繋がることになる。
いつか将臣と望美がした夢渡りのように、あなたに会えたことも。
気がつけば真っ白い空間にいた。
確かに布団に入ったはずなのに、と思わず周囲を見回して、それが夢だとようやく思い至る。
今いる場所は、過去に数回訪れたことがあるそれと酷似していた。
もし、寝る前に思っていたことが現実に起きているのだとしたら、それは熊野権現に感謝しなければいけないこと。
そう思ったのは、この場が馴染み深い神気で満たされているから。
その事実に、思わず首をひねる。
今の自分は神気の「し」の時も感じられないはず。
思わず身体を見下ろせば、ご丁寧に、自分の格好は熊野で動いていたときの物。
そういうことか、と現状を納得したのはその時。
そして、目の前に現れた人物。
背に流れる黒髪が着物の赤に良く映える。
初めて見る顔だけど、それが誰なのかは聞かずともわかっていた。
「初めまして、だね。風花」
顔に笑みが浮かぶのはそのままに、近付きながら挨拶をする。
「…貴女は…もしかして浅水、かしら?」
やはり相手も何か感じるものがあるのだろう。
名乗る前に名前を当てられて、頷いて肯定する。
「…じゃぁ、本当に成功したのね。良かった」
心底安堵したように呟く彼女に、ありがとう、と感謝の気持ちが口からついて出た。
ヒノエと、彼女がいなければ自分は今頃、この場にいなかったかもしれない。
そう考えると、本当に感謝しても感謝しきれない。
思いの丈を伝えれば、風花はやんわりと首を横に振った。
「お礼なんていいの。私達は貴女がヒノエの大切な人だから助けただけ」
微笑すら浮かべる様は、本当にそう思っているようで。
逆に、そう言われてしまっては何も言えなくなってしまう。
そう、例えるなら、先回りされて逃げ道を塞がれた感覚。
「お礼すら言わせてくれないなんて、ずるくない?」
「あら、普通のやり取りなんて面白くないでしょう?それをご希望なら合わせるけど」
それが少々気に入らなくて拗ねてみれば、風花は更に笑みを深くするばかり。
熊野の人間は一癖も二癖もある人ばかりだ。
しかも、身近で似たような人を知っているだけに、これ以上は言うだけ無駄だと、肩を竦めながら早々に白旗を上げた。
これがヒノエや弁慶なら、売り言葉に買い言葉で会話が止まらなかっただろう。
けれど、相手はヒノエや弁慶じゃない。
「さすが、別当家に嫁いだだけはあるね。随分といい性格してるわ」
「それはお互い様ね」
笑顔で答える風花だったが、でも、と真剣な表情に変わる。
「貴女を失いたくないと思ったの。貴女のヒノエと、私のヒノエの為にも」
ヒノエの名を出されてはもう何も言えない。
どちらのヒノエにも、随分と心配をかけたのは間違えようのない事実だから。
どこに行っても、何をしても。
私の行動は、いつでもヒノエに心配をさせてばかり。
さすがに今回のことは不可抗力だったとしても、彼女の大切なヒノエまで奪いそうになった。
それは、犯してはならない罪。
誰かを犠牲にしてまで縋り付く生に、どれだけの意味があるのだろう。
「さて、お礼がダメなら何ならさせてくれるのかしら?」
贖罪、と言うわけじゃないけど、お礼を否定されてしまっては何でこの気持ちを返したらいいのかわからない。
だから彼女に直接聞いた。
彼女の望みを叶えるだけの力は、今の自分にはあるはずだから。
でも、それを後悔したのはすぐ後のこと。
「何を…ね。じゃあ一つだけ、お願いを聞いてくれる?」
「お願い?」
何かをすることだとばかり思っていたけれど、「お願い」と言われてすぐに思い浮かぶ物はない。
もちろん、そのお願いだって出来る限りは叶えてあげるつもりだけど。
首をひねって考える私の耳に届いたのは、絶句するに相応しい物。
確かに、一目見て気付いてはいたけれど、まさかそんな願いだったなんて。
「春に生まれてくる予定なの。ヒノエとも言っていたのよ。もし貴女達に会えたらなって貰おうか、って」
絶対に確信犯だ。
そう思わずにはいられない。
名は、親が子供に一番最初に与える贈り物のはずだ。
それを他人に譲るだなんて。
真っ先に出た言葉は「信じられない」の一言。
会う時期を間違えたか、と思わず愚痴を零したら、それはもう清々しいまでの笑顔が私を迎えてくれた。
「さぁ、どうかしら?熊野権現の粋な計らいかもね」
「粋な計らい、ね。私に対する嫌がらせの間違いじゃないの」
「気のせいよ。私は、今、会いたいと思っていたから感謝しているわ」
「……絶対に何かの作為を感じるわ」
そう、この場で二人が出会えたのも熊野権現の助力あってこそ。
これは私に拒否権がないと言っているような物。
盛大に溜息ついてから、思い切り不本意そうな表情をすれば、私を見る風花が口元に手を当てていた。
それを小さく睨み付けてから、諦めたように肩を落とす。
触れてもいいかと聞いたのは、直接その鼓動を感じるため。
この場でなら、あの世界で使っていた力を使えるかもしれない。
「……感じる?」
そっと彼女の腹部に両手で触れる。
でも、これだけじゃ足りない。
その場に膝をついて、瞳を閉じながら額を当てる。
まさか、夢の中でも先見を使う日が来るなんて思ってもいなかった。
夢の中で夢を紡ぐ。
それは、時間にすればほんの数秒のこと。
けれど、私は確かにその姿を確認した。
「ええ、感じるわ。いい子たちね」
「たち?浅水にも判るの?」
も、と言うことは彼女も気付いているのだろう。
その身に宿している命が、二つあるということに。
この場が熊野権現の作り出した物ならば、都合のいいように出来ているのも道理。
こうやって、今していることですら、彼の神が仕組んだこと。
けれど、いつだって予測不可能なこともある。
彼女の子供たちが、胎動を見せたのは、まさにそのときだったから。
まだ小さなその命を、精一杯生きている。
その事実に、思わず笑みが浮かぶのがわかった。
再度、彼女に頼まれたとき、心は既に決まっていた。
「ヒノエが火の兄だから……息子はその弟で火の弟、ヒノト。娘は一輪の鮮やかな華のように、その場にいるだけで人を魅了するみたいだから……一華なんてどう?」
先程見えた光景を思い出しながら、それに見合う名前を考える。
どちらも二人に似て、いい子に育つように願いながら。
「ヒノトに、一華……素敵ね。気に入ったわ、ありがとう」
「気に入ってもらえたなら何よりだわ」
名は、体を表す。
火の弟と一華。
どちらも、二人を垣間見た瞬間に胸に浮かんだ物。
私が名付けたためなのか、それとも生まれ持った性質か。
判断に難かった。
「それに……数奇な巡り会わせ、ね」
それは、これからの未来を示唆する物。
ここで私たちが出逢ったことで、新たな縁が結ばれたのか。
もちろん、それを嫌悪するよりも歓喜の方が大きいけれど。
「本当、数奇な巡り合わせよね。ある筈の無い出会いだもの」
その言葉をどう受け取ったのか。
恐らく、私たち自身のこととして受け止めたんだと思う。
でも、それはまだ彼女は知らなくていいこと。
時が来れば、自ずと見えてくる未来だから。
「それだけじゃないんだけどね」
「それだけじゃない?」
曖昧に誤魔化せば、意味を捉えかねたのか小首を傾げる。
説明をしようかとも思ったけれど、辺りが光を放ち始めたことで、時間切れだと諦める。
けれど、伝えておきたいことがある。
謎かけのようで、その実答えでもある言葉。
「風花、覚えておいて。一度目は偶然、二度目は必然。三度目は……運命、だよ」
輪郭がぼやけていく感覚に、ちゃんと伝わるかどうかが心配だった。
どうやら彼女にきちんと言葉が届いたのだとわかったのは、彼女が私に対して質問を始めたから。
「三度目は……運命?浅水、それってどういう…」
夢の終焉は急速に。
彼女の言葉をみなまで言わせずに、光の洪水に襲われる。
言葉の意味はヒノエにでも聞いてね、と内心で呟きながら、この場を設けてくれた熊野権現に深く感謝する。
温かいそのぬくもりが、答えのような気がした。
部屋に差し込む光が朝だと教えてくれる。
妙に頭がすっきりしているのは、あの夢とも現実ともつかない逢瀬のせい。
夢見をしているときと感覚が似ていた。
寝起き後に目覚まし時計で時間を確認するのは、現代に戻ってきてからの日課のような物。
けれど、視界に入った朱に時計を確認することを断念する。
「ヒノエ、今何時?」
「まだ朝飯には早い時間かな。おはよう、浅水」
珍しく今日は早く起きたらしい。
その事実に少々驚きながらも、ヒノエに挨拶を返す。
そこではた、と違和感を感じた。
ここはホテルなどではなく、現代で住み慣れた有川邸。
もちろん、自分の部屋なわけで。
ヒノエは他のみんなと客間に寝ていたはず。
それ以前に、どうして彼が自分の隣に寝ているのだろうか。
「恋い焦がれた姫君が突然消えるかもしれない不安は、まだ消えなくてね」
こちらの考えを読んだのか、問う前に言葉にされてしまえば、声を無くしてしまう。
本当に、どれだけヒノエに心配させれば気が済むんだろう。
「ごめん。それと、ありがとう」
謝罪と謝礼を兼ねて、ヒノエの唇に自分のそれを重ねる。
軽かったキスは、離れた直後にヒノエの腕に捕らわれて、深い物へと。
私を確認するようなその行為に応えれば、すっかりと翻弄されてしまい、解放される頃には甘い疼きすら覚えてしまう。
「それにしても、熊野の人は熊野権現に似るのかな」
「どういう意味だい?」
急に話題を変えた私に、興味深そうに聞いてくる。
熊野権現の名前を出したから、余計なのかもしれないけれど。
「確信犯が多い、ってことよ」
本当に、たちの悪い。
よりにもよって名付け親だなんて。
「野郎だったら、頷けたかもしれないけどね」
「てことは、自覚はあるんだ?」
「さぁね。お前に対してなら、そうかもしれないけど」
クスクスと笑いながらはぐらかされるのはいつものこと。
けれど、私が誰のことを言っているのか、予測はついたのだろう。
それもそうか。
野郎、と言いつつも、実際は自分自身に当たるのだから。
「ヒノトと、一華だよ」
「ふうん……火の弟に、一輪の華ね。あの姫君は一度に二つの命を授かったわけだ」
何のことを指しているか、直ぐに理解するのは流石と言えよう。
それに、その言葉の意味までも、的確に捕らえたことに感心する。
ヒノエの表情が柔らかいのは、きっとヒノエも彼女の子供たちを愛しく思っているからだろう。
だからこれは言おうかどうか悩んだけれど。
彼は知るべきだと思った。
「それと、数奇な巡り合わせ」
「浅水、それは……」
やはり反応するのは、今の私が何の力もないと知っているせいか。
予言にも似た言葉に、ヒノエが表情をしかめた。
「大丈夫、悪い意味じゃないよ。新たな縁は更に繋がっていく。この先も、ね」
「あぁ、そういうことかい」
ホッと胸を撫で下ろすヒノエの胸にすり寄れば、背中に回される腕が温もりを伝える。
とくん、とくん、と聞こえてくる心音に、再び訪れるのは緩やかな眠気。
微睡みの向こうに見えるのは、彼の神が守る愛しい大地。
『一度目は偶然、
二度目は、必然。
なら、三度目は……?』
その扉を開けるのは、きっと──。
終