弦月の狭間 | ナノ
聖夜
 




奇跡





いつだってそれは身近にあると信じている。


教えてくれたのはヒノエ、あなた。

そして……





遠い世界で幸せを願いあった

もう一人の、あなた。












「ヒノエ!雪」

「ああ、ホワイトクリスマスってやつだっけ?」



ふっと弧を描く唇から漏れる流暢な調べに胸が高鳴った。
譲か将臣から教わったのか。
望美がこんなに綺麗な発音で、英語を教えられる訳ないと思うもの。




聖夜の特別な日に、彼の隣で熊野別当と彼の水軍から最高のプレゼントを貰った。


海一面に輝く漁火。


こんな愛しい光を他に知らない。



「帰ろうか、風花?……早くお前が欲しい」



水軍の船が岸に上がり、柔らかな火の最後が消えるまで見送れば、背後から肩を抱き締められる。
松明が熱くない様に遠ざけて持つ。
その隙に、首筋に埋められたヒノエの吐息が……熱い。


「……んっ」

「…寒いのかい?風花」


思わず声を上げた私に、ヒノエはクスクス笑った。

……それからうなじを這う、唇。



「……それとも。オレと早く一つになりたくて、身体が疼く?」

「もう、こんな場所で何を言っ……んっ」


否定の声を最後まで聞く気はないとばかりに、肩を強く吸われた。

途端、ピリッと背筋を走る電流。
いとも簡単に私を翻弄させるのは、身体に教え込んだヒノエから与えられる感覚だから。
更に意外と男らしい手が袷を割り、素肌に触れた。


ヒノエから逃れられる術はない。


与え合い、奪い合い、満たされるまで……身体と心が解け合うまで。
私達の欲が満たされる事はない。



……でも。と我に返れたのは、それがまだ戯れの段階だから。



「ヒノ、エ……風邪、引くわ」

「ああ、邸に戻ろうか………残念だけどね」


あっさりと拘束が解かれる。
慌てて襟元を正しながら、残念と言ったヒノエの眼を覗き込んだ。



「残念?」


ヒノエの指が、今度は私の顎を持ち上げた。

誘いかけるような、聖女ですら惑わせるような紅い瞳が妖しく揺れる。



「……身を切り裂く寒さすら、姫君といると夏の陽射しの様にオレを熱くさせる。って証明したかったけど」

「…もう」

「ふふっ、今夜は寝かせないから覚悟しときなよ?」



それを証明するかのように、直後に降ってきた唇。

絡めあう吐息は蕩けそうに熱かった。










本宮の離れの邸に戻るには遠い。

けれど、ヒノエにはそれが庭の散策程度のものらしい。
現に私を横抱きに抱えて、松明すらない雪明りを踏み締める足取りに疲れは感じなかった。



「下ろしてくれれば歩くわ」

「離さないって言ったけど?」

「でも、ヒノエが疲れるでしょう?」



歩きながら掠め取られる、唇。



「ふふっ、風花は優しいね……でも、さっきも言ったろ?今夜は寝かせないって」

「だから、今は休めって言うの?」

「そういうこと」



さぁ……と、撫ぜる程の風が、彼の髪をふわりと揺らめかす。
甘やかしすぎだと訴えたくて……でも、止めた。

彼が気遣ってくれるのは「私達」
私と、腹部に宿るヒノエとの結晶の為。



嗜める言葉の代わりに首筋に抱きつけば、応える様に彼の腕に力が籠った。







褥に下ろされた時には、既に雪が深くなっていた。

邸を出たときにはまだ仄かに夕明かりだったけれど、今は神聖な夜の蒼。

開けたままの戸に広がる雪。
それは幻想的なほどに美しかった。
首だけそちらに向けて見惚れていれば、耳元で囁かれる。


「姫君は何を思っているのかな?他の男のことなら、ただじゃ置かないけど」

「……ヒノエ。あっちも今頃、ホワイトクリスマスかしら?」

「ああ…」



ぽつんと漏らした言葉の意味を瞬時に理解したらしい。
仰向けになった私に跨ったまま、ヒノエは小さな応えを返した。



「あっち」……私の生まれ育ったあの世界。

先日、あの世界からやって来た、もう一人のヒノエに出会った。

不思議な出会いと体験を共有した、私と似た過去を内包する、戦友の様な気さえする彼。
私のヒノエと違う魅力を持った彼は今、どうしているだろう。


「大切な宝」と呼ぶ彼の姫君と、愛しい聖夜を過ごしているだろうか。



「風花」



視界が急転。

やや乱暴に掴まれた顎は上向かされる。
視界は燭に照らされ煌く、双粒の紅に染められた。



「他の男の事を思っていたらただじゃ置かない、って言った筈だぜ?」

「え…っ?…んっ…」



噛み付くようにキスが落とされる。

ヒノエの柔らかくしっとりと濡れた唇が、被さってくる。

ぴったりと隙間のないくらいに唇を覆われて。
……その暖かさに、クラクラと目眩がしてしまう。

驚いて、咄嗟に胸を押そうとした腕は、逆にヒノエに捕らわれてしまった。

頭上で私の両腕を片手で纏めたヒノエはやっと、唇を離す。



「……は…ぁっ……ヒノエ……」

「ねぇ、風花。姫君の心を捕らえているのは……誰?」



もう一人のヒノエと接触した事が、どこかで引っかかりを覚えているのか。
紡ぎだされる言葉に、ほんの少し嫉妬を感じた。



「風花。お前のその唇で、お前を占める男の名前を言って」




冗談とも本気とも取れるような口調。
その中に、男の情欲のようなものが含まれていて、流されてしまいそうになる。

その色っぽい紅で見つめられるだけで、鳥肌が立つような戦慄が走る。



「……馬鹿。ヒノエ以外に、誰がいると言うの」

「そのヒノエって、オレのこと?」



……分かってて問いかけてくる。
そして私も、分かってて頷く。


ふっ……っと弧を描く口元があまりにも、妖艶だ。



身体が、昨日の快楽を覚えている。

高ぶる期待で眼が潤みだすのを、自分でもはっきりと感じ取れた。









……身体中を這う指が、唇が、思考を鈍くさせてゆく。









「……参ったね、風花」

「あ、んっ……」

「オレの手で華開く様を愛でるのもいいけれど、その前にオレが姫君の色香に惑わされそうだ」





ヒノエが放つ全ての言葉が甘い毒。

唇が生み出す罠のように、全身に絡み付く。



「……っ、私も」

「…もう限界?」



完全に彼に囚われてしまった私は、応える代わりに彼にキスをした。

それが、合図。



より深くなるキスがさっきまでと違って、ねっとりと絡めるようになって……


高ぶる熱を共に混ざり合わせようとした時に、それは聞こえた。






『…浅水』






「…ヒノエ?」



焦る声音は、確かにヒノエの声だった。
そしてそれは……人の名のように聞こえて。
それも、女の人の名前に。



訝りながらヒノエを見上げる。
今まで私の肌を移動していた唇はぴたりと止まり、彼自身も顔を上げて止まっていた。

彼にも聞こえたのだろう。




『ヒ、ノ……エ』





次に聞こえた声は女の人。

静寂が訪れた空間で、まるで隣にいるかのように。


……溶けていきそうで、不安を誘うような。





「まさか」



『浅水……!!』







驚愕の響きを宿すヒノエの声に重なるように、「ヒノエ」の声。

魂が引き裂かれそうなその響きに、瞬時に理解した。

悲痛な叫びが一体誰のものであるかを。

消え入りそうな「浅水」と言う人が、誰なのか。



そして、時空の向こうで抜き差しならない何かが……
きっと、彼女の命に係わる事態が起こっているのだ。





「ヒノエ!」




じっとしていられない。
身体を起こし、彼の頬を両手で挟んだ。




「ヒノエ、どうにか出来ないの?」




奇跡は起きるんだと、信じている。
私達が力になれるなら救いたい。



「……拙いね。熊野権現の神気は、上手く姫君の身体に注ぎ込んだはずだ」

「どういう、こと?」




また、同じように神気を注ぎ込めばいいのでは?


その問いに彼は一瞬眼を光らせて、すぐに頭を振った。



「まだ、どうなっているのか判断するには材料が足りないかな」




そこでヒノエは深い吐息を漏らした。

一瞬だけ、激しいキスをして。
唇を離すとニヤリと不敵に笑った。




「……このオレにお預けを食らわせるからには、たっぷり礼を貰わないとね」

「ヒノエ?」

「本当は朝までお前に惑わされていたかったけど、仕方ない」



私の上から徐に立ち上がると、無駄のないスラリとした筋肉が色っぽかった。
部屋の隅の衣桁に手を伸ばす。
シュルリと絹の音。




「なるべく早く着替えな。今のお前の姿は、オレの眼に毒だからね」



たった今つけられた情痕と、上気した肌を見てヒノエが顔を顰めた。

裸の肩に羽織らせてくれたのは、夜着ではなく、日中に着るもの。


………それは即ち、外出するということ。

行き先は多分、本宮。

慌てて支度する衣擦れの音が部屋を占めた。


















『一度失っただけでも辛いのに、それを再び失うことになったら、次はどんな地獄が待ってるんだと思う?』



最後に逢った時にそう言った、切ない眼を思い浮かべた。



……彼は今、どんな地獄を見てるのだろう。







  

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -