弦月の狭間 | ナノ
楽韻
 




あたかも日常の延長として訪れるその瞬間。

それは不意に訪れる。


その点を除けば、待ち遠しくすら感じてしまう。




…そう。
待ち遠しいと、いつしか思っていた。









知りたい事が一杯ある。


けれど何より知りたいのは
なぜ会いにくるのか、と言うこと。

そして、なぜ………。















眠いからと譲に頼めば、「お先にどうぞ」と快く一番風呂の許可を貰った。
早々に湯を使ったのは夕食の手前。
それから皆で食卓を囲むと、部屋で少し休んだ。


ほんの少しのつもりだったのに、気が付けば数時間が経過していた。


起きて真っ先に時計に手を伸ばし、示された時間に眉を顰める。



「やっぱり朝まで寝かせてくれないか」



それでもこの時間に目覚めるのは、分かっていた。
目が覚めればいつにも増して、スッキリしていることも。
起き上がった浅水の服装は普段着。
朝まで眠る格好ではないのは、昼間から胸をくすぐる予感があったから。

ジャケットを羽織るとそのまま外に出られる姿になる。
静かにドアを閉め、足音を立てず階段を降りきれば、そこに佇む白龍が顔を上げた。





「浅水」
「なに?起きてたの?」


浅水が返事をすると頬を緩ませる。
見る者を和ませる愛らしい容姿に、加えて無垢な笑顔。
釣られて微笑を浮かべるのは、当然の事とも言える。



「蜂蜜ぷりん、取って欲しい」
「プリン?冷蔵庫に………」



昼間に譲が作って置いた、白龍の好物。
在り処を思い出すと、そこは冷蔵庫の最上段だった。



「お腹空いたの?譲は?」
「譲と将臣は、神子の家に行ったよ。弁慶と九郎を連れて」
「…望美の?」



首を縦に振って白龍がもう一度口を開く。

彼の話によると、どうやら望美の田舎から大量に送られて来た米や野菜を取りに来て欲しい、とのこと。
望美から連絡を受けた譲が、たまたまリビングにいた将臣達を人手として連れて行ったのがほんの少し前。



話を聞いてホッとしたのは、言い訳を考えずに済むとの考えから。
そんな自分に苦笑した。



冷蔵庫のドアを開ける。
静まり返った有川家に、動く気配は自分達だけ。



「はい、一つでいい?」
「うん!浅水、ありがとう!」



大きな眼を飛び切り見開いて、心底嬉しそうな白龍の笑顔。
大好きだと、小さな全身と笑顔で告げてくる。

…抱き締めたくなるほど愛らしい。

けれど、何となく照れくさくて。
代わりに伸ばした手で頭を撫でれば、スプーン片手に白龍の笑みが更に深まった。



「浅水はどこか、出かける?」
「うん、ちょっとね………ヒノエと約束してるから」



曖昧に語尾を濁そうとした。
だが将臣達が帰って来た後、浅水の行方を白龍に聞く確率は高い。



(この前と同じ口実だけどいいか)



この理由が一番詮索されずに済む。
ニヤけた笑みを浮かべる従兄弟の顔が浮かんだが、ここは無視することにした。



「行ってくるね」
「…気をつけて、浅水」



眼に、不安を宿す幼い姿の龍神。
純粋に我が身を気遣う眼差しが、やはり抱き締めたい程愛らしい。

安心させる様にもう一度、笑顔で頭を撫でる。
それから浅水は玄関に向かった。




















現実と非現実を彷徨っている日常。



今宵はそれが、更に不可思議なものに変わる予感がしていた。







上弦と下弦の狭間の、満月の夜だから。



















人工の明かりが点灯していた。
彩り鮮やかに夜闇を照らすそれを眺めるだけでも、何処となく心浮かれる。




惹かれるまま、足の赴くまま。

今夜もたどり着いたのは、予想通りの場所だった。





高台から眺めると、樹々の合間に夜景が広がる。

そう。こんな夜に、源氏山公園に来るのは二度目。




「熊野とは違う夜景を、貴方はどう思う?」
「……そうだね。姫君を引き立てるに相応しい輝く貴石を散りばめている、とでも答えるかな」



肩越しに振り返れば音もなく、木の蔭から姿を見せる。



「久し振りとは言わないで。まだそれほど経ってないから」
「ふふっ。先手を打つなんて、今日の姫君は手厳しいね」



艶めいた声。
笑うだけで空気を変えてしまうような気がする。

もう間違える筈のない、彼の姿がそこにあった。
こちらに歩いて来る微かな足音が、聞こえる程の静寂。
そして、凍えそうな夜。

間隔を開けて公園を照らす外灯は、二人の位置から遠い。
街の明かりもここから一望出来るけど、此処を照らすには遠過ぎた。

それなのに、浮かぶ髪の紅が輝くのは、月の光があまりにも近過ぎるから。
二人を見守る様な月明かり、そんな気がしてならなかった。



「……一度目は偶然、二度目は必然」
「三度目は運命………だった」
「覚えてくれたとは光栄だね」
「もちろん………それで?四度目は?貴方は何か、話してくれるのかしらね」



彼が笑った瞬間、紅い眼が輝いた気がした。


浅水に手を伸ばす、しなやかな指先。


触れるか否か、いやほんの微かに頬に触れる。
酷く緩慢なその動きは、場に妖しいまでの緊張をもたらした。


………流されそうになる。
けれど、今回だけはそうもいかない。
どうしても尋ねたい事があるのだから。


頬にかかる指を、勢い良く払う。
その勢いのままに口を開いた。



「貴方はどうして私に会いに来るの?私の事を知ってるのはなぜ?」



……あれから何度も考えていた。
ずっと聞きたいと思っていた疑問達は、口に出した瞬間に止まらなくなる。



「………それから、どうしてヒノエしか知らない言葉を知ってるのよ」



一気に問いを重ね、挑む様に眼を見つめる。

少しは答えに詰まればいい。
そう思ったのに、けれど彼は余裕の態度を崩さない。

眼差しに浮かべる光は輝いていて、艶のある月の色。
誘う様にも、悪戯を仕掛ける様にも見える。
………読み取れない輝きを放っていた。

やがて、唇の端で笑う。
その笑みを刻んだまま、彼の唇が言葉を紡ぐ。


「………お前は可愛いね、浅水」
「こ……っ!」


答える気はない訳ね。


そう返そうとした浅水の唇は、人差し指で瞑らされた。
ひんやりとした感触が心地よさを与え、沸き上がった怒りを冷ましてゆく。



「いつか、姫君が助けを求めた時。オレはどこまでも飛んで行くよ。
………この言葉の事かな?」



浅水が頷くと、緩やかに笑う。

何処となく嬉しそうに感じてしまうのは、その笑顔がさっきまでとは違うからか。

同時に離れる指先を、寂しく思う。
違うと分かってはいても、同じ『ヒノエ』の指。
もっと触れて欲しいと思ってしまうのは仕方ないこと。



「………考えてみなよ、姫君。お前の知る熊野別当とオレは別人。違う時空にそれぞれのオレが存在してるってこと。それは分かるかい?」
「当然でしょ」
「だったら、お前は?」
「………私?」
「ああ」



自分が、何だと言うのか。
彼の言葉の意味が上手く掴めない。

………いや。掴めそうで手を伸ばすけれど、寸での所で空を切る様な。


もどかしさに眼を上げた時、彼の視線とぶつかった。



「ヒノエ…?」
「分からないかい?本当に?」





思わず名を呼んでしまう程に驚いた。
そこにあったのは、初めて見る「彼」の真摯な表情。




一瞬で消えたそれは、幻だったのかもしれない。
幻だと、思った方がいい。
今見た衝撃を振り払おうと、浅水は首を振った。



「分からないわ」
「答えは簡単。お前はどこにもいない。今ここにいる姫君が、唯一の『浅水』だよ」
「………それとさっきの質問と、何の関係があるのよ」



点と点が、線で結び付いてくれない。
線はそこにある筈なのに巧妙に隠されていた。

彼は目の前に、泰然と立っている。
すぐには答えを与えてくれないようだ。



「………以前にも言ったね。オレの世界にお前はいない、と」
「うん、覚えているよ」
「オレの世界にお前はいなかった。それは、オレの姫君は浅水じゃないってこと………けど」
「………けど?」
「オレは、お前に出会っているよ」




言葉遊びはもう限界。
胸倉を掴もうと手を伸ばした。



「何っ…」
「浅水!?」



思わず声を漏らしたのは、驚きから。
同時に浅水を呼ぶ声もまた、同じ様に驚愕に染まっていた。





それは一瞬。
―――浅水の手が、透き通って見えた。





心臓が大きく跳ね上がる。





再び眼をやると、そこにあったのは何の変哲もない浅水自身の手。
試しに握ったり開いたりを繰り返して見たが、何の違和感もなかった。



「………今のは気のせいかしら」
「さぁ………姫君の麗しい眼は、一体何を捉えたのかな?」



手から彼に視線を移せば、煌めく紅が笑みを刻む。



やはり自分の気のせい。

さっき聞いた彼の驚いた声も、たぶん幻聴なのだろう。


一抹の不安は消えない浅水に今度は柔らかい笑みを向ける。
油断ならない筈なのに、その眼は何故か力強く感じた。
大丈夫、と語りかけている気がして。



「ああ………そろそろ時間切れだ」
「嘘。まだ聞いてないのに」
「オレも姫君との逢瀬を続けていたかったけどね。こうもせっつかれては仕方ないかな」
「………せっつく?何のこと?」



意味不明な単語を繰り返す浅水に、彼はふふっと笑うだけ。


首元に下げられた逆鱗が光る。
白く清く、眩しい輝きに思わず眼を瞑り………開けた時にはもう。









「………………貴方はいつになれば、教えてくれるの」


姿の消えた空間に不満をぶつける。

やっぱり、彼はヒノエであってヒノエでない。



掴めそうで掴めない。
さっきの謎かけそのものな人。





はぁと吐息をつけば、短い『逢瀬』なのに身体がどっと疲れを覚えた。

自分はよほど気を張り詰めていたらしい。
乾いた笑いが込み上げてきた。



「………浅水!」
「……ヒノエ?」



唐突に、背後から名前を呼ばれる。
さっきの繰り返しかと思って振り返れば、紅の髪の持ち主が息を切らして走ってきた。



「…………ヒノエ」



もう一度、今度は確信を持って名前を呼ぶ。
足を止めると、ヒノエは浅水の両肩にそれぞれ手を置いた。
痛いほど掴んでくる。



…そんな彼に、一体どう声を掛けるべきか悩んだ。

既に月は空高く、深夜と呼ぶに相応しい時間。
そんな時間に女一人で、人のいない公園にいるのだから。
ヒノエが怒っている様に見えるのは、当然だろう。


「ヒノエ、実は……」


口を開きかけて止まった。
背中に温もりを感じ、それがヒノエの腕だと気付いたから。


息が苦しい位に抱き締められた。
縋る様に、肩に埋めてくる紅い髪。



「……ヒノエ、苦しい」



言葉だけでは足りない気がして、背中を叩こうとしたけれど。
顔を上げたヒノエの眼を見れば、抵抗する気が失せた。



代わりに背中を抱き締め返して、目を閉じる。

落ちて来た口付けは、最初から余裕がなくて。
呼吸を許さない強引なものだった。







聞きたい事は山の様に積もっている。








それでも、存在を確かめるかのように抱き上げてくるから、言葉は後。

浅水を抱えたまま、無言で外泊を促すヒノエ。
首に腕を絡めることで同意を告げた。













………予感ならとっくに、あったのかもしれない。








確かめられなかったのはきっと
恐れていたから………







真実を。








  

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