弦月の狭間 | ナノ
羽翼
 




出会いはいつも偶然に隣り合わせの必然で

辿れば、あなたに出会ったことすら、有り得ない運命だった





生まれた世界が違っても

生きた時間が重ならなくても




必然の出会い同士、いつか繋がる一本の糸






















「ああそうだ、畏まるのはやめな。あんたの前では、オレは別当じゃなくヒノエでいい」

「……判ったわ、ヒノエ」



クスクス笑ってヒノエに返すカノエの笑顔がどうにも引っかかって。
私は問わずにいられなくなった。




「カノエは熊野の人なのね」




核心に近い質問ならきっと、今の彼女は答えない筈。

……何となくだけれど、彼女の正体に思い当たる節があった。
だから、こんな聞き方をしたというのも、ある。




「風花はそう思うの?」




笑顔のまま、問いを返すカノエ。
さらり、頭を揺らせばきらりと光る、耳飾りは羽のモチーフ。


ああ、やっぱり。

カノエの力の理由も解った気がした。





「…へぇ。オレの姫君は気付いたみたいだね」

「多分ね。でも、これ以上は聞かないでおくわ」




此処は本殿。
そして神聖な儀式を行うために訪れたのだから、人払いは出来ている。

けれど、何処かに「耳」が潜んでいるかも知れない今は、口に出せない。
否、出してしまってはいけない気がした。




「ありがとう。そうして貰えると助かるわ。じゃぁ、そろそろ準備する?」

「待った。あっちはどうなってるんだい?」

「そう言えば、ヒノエがあんな状態だったんだもの。とても儀式が出来る状態じゃないと思うわ」

「さり気なく言うね、風花」




ヒノエが顔を顰めるけれど、私に心配を掛けたのは事実だと思ったのか、すぐに苦笑を浮かべて手を伸ばす。

労る様に抱き寄せてくれた肩に伝わる熱。
彼は生きていると、教えてくれた。



「術がオレに返ってきてるんだ。あっちの姫君も無事じゃないだろ?」

「それは大丈夫よ。あちらでも儀式は始められるから。もうすぐ朝比奈に着く」



私だけでなく、ヒノエも、この言葉には眼を見開いた。

…何故?
此処にいるカノエは、確かに生身の人間。
もう一つの時空を進行形で知っているのは、一体どういう事なんだろう。
あっちの時空にも、カノエが存在している…?
そして意識が繋がり合っているの?



「あっちのお前は実体じゃないって事かい?」

「………流石に侮れないわね、別当殿」

「侮れないのはあんただろ?そんな離れ業をやって退けるとはね」



ヒノエが口笛を吹いた。




意識体と実体


それぞれが別の時空に存在して、別々に行動出来るなんて、人の力だけでは為しえない。
介入するのは、やはり熊野権現の力。



私は今日、何度目の奇跡を体感しているのか。






「………そろそろいい?ヒノエ」

「準備完了かい?」

「ええ。本殿に着いたわ」




誰が本殿に着いたのか。
聞かずともそれは明白。


壁が大きく破壊してしまった本殿。
凄まじい爆音が引き起こされたにも拘らず、誰一人駆けつけて来なかった。

普段ならば本殿は無人になることがない。
にも拘らず、今夜だけは無人だったのだろうと思う。












先を知る尊い神の力がそうさせたのだと。









漏れる月明かり。

満月の光を背にしたカノエが微笑う。

まるで彼女自身が、月の国からやって来た姫君のよう。
神秘的で見惚れる光景だった。




「風花。来て」

「ふふっ。まるで誰かさんみたいね」

「おいおい、オレの方がもっとサマになってる筈だぜ?それに、姫君の手はオレのものだ」



差し伸べるカノエの手が堂に入っていて、隣で同じ仕草をするヒノエとそっくり。
思わず吹き出せば、場が和んだ。
手のひら同士が重なるように、ヒノエの両手に両手を重ねる。
その手を緩く握ってくれたヒノエの温もりが愛しい。


「…いいかい?」



繋いだ手の上から、更にカノエが両手を預けてくるのを確認して、ヒノエが問う。
小さく頷くだけで答えれば、それが合図。
張り詰める空気。
すぅ、と息を吸ったのはヒノエとカノエ。


示し合わせた訳でもないのに、同時に零れる祝詞はぴたりと重なっていた。







「掛け巻くも畏き隠月大神の御前に畏み曰く、」

「掛け巻くも畏き隠月大神の御前に畏み曰く、」



……艶のあるヒノエの声と、澄んだカノエの声。


それは和音を奏でる様に繊細。
神に語りかける語句の神聖さと相俟って、侵し難い空気を生み出した。


そして、同時。


遠く遠くから重なる、同じ二種類の声音の、同じ旋律。
いま一つの時空でも同じ儀式が行われていることに、酷く安心した。





これが最後よ。




もう一人の貴方に届くよう、二人の声に想いを重ねる。






「汝の加護たる大いなる光、」

『汝の加護たる大いなる光、』





初めて聞く語句に眼を見張った。

今度は単音。
そして遠い声もまた、一人だけ。
けれどカノエのものとはどこか違う気がする。

そこでふと、ヒノエの言葉を思い出した。




『あっちのお前は実体じゃないって事かい?』




意識体らしいカノエ。
だとすれば、彼女が今宿っているのは?
ヒノエではないことだけは解る。

それなら、今の声はカノエが宿った浅水さんのもの?





ヒノエは口を閉ざし真摯な眼差しで、発したカノエを見つめている。

汝の加護たる大いなる光。

それがカノエのことを指すのだと、何故だかとても嬉しくなった。



彼女は熊野権現が遣わした、光。



ならばもう、何の心配も要らないのだから。








「その御力を注ぎ給え」

『その御力を注ぎ給え』






力強い言葉で締めくくり、彼女はきゅっと口端に笑みを刻む。


手のひらに熱が生じて、それはどんどん強くなる。
このまま上昇すれば火傷しそうなほどなのに不快な熱さではなくて、心地好さすら感じた。

けれど、過去二度の儀式ではここで止まった力が、まだ流れ込んでくる。


紛れもなく、カノエがいるお蔭だろう。



光と熱が身体に入り込んで、そして抜けていこうとして燻る。
毛が逆立つほどの凄い神力に、身震いまで生まれそう。






「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」

『臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前』





語句を引き継ぎ九字を唱えたのは、今度はヒノエ。
向こうでもヒノエだけが同じく唱えていた。

何の打ち合わせも申し合わせもなかったのに。
それでも綺麗に重なる。
導かれているとしか言いようの無い光景だった。




紅の相貌が私を捉えて、柔らかに細まる。





大丈夫だよ、風花。

声なき声音で囁かれれば、緊張し始めた身体から力が抜けてホッとした。













キィー……ン












金属を打ち鳴らすあの音がする。

同時に熱がス…ッと引いた。

私の身体を通し、神気が時空を超えたことを意味する。

三度目となったその感覚は、けれど今回ほどはっきりと「通っていく」感覚を覚えたこともなかった。








「…終わった、の?」

「終わったよ。まぁあっちからの返事が来るまではっきりした事は言えないけど」



カノエの手が離れても、まだヒノエは離さないまま。
自信ありげに笑いながら返ってきた答えに、思わずびくりと身を縮めた。
さっきも、儀式が終わったと知らせてくれる神気が帰ってきて。
それは光の粒子を象ったと思えば……見る間に膨れ上がり、爆発したから。


脳裏に浮かぶ光を恐れてしまった時、軽く肩を叩かれた。

顔を上げると不適に笑うカノエ。





「もう大丈夫。そのために私はここに来たの」

「そういうこと。三度目の正直って言うだろ?」





どこからともなくキラキラと、降り注ぐ光の粒子。

月明かりすら凌ぐ光量に眼を細めた。


「………終わったのね」

「ああ、今度こそあの姫君も心配要らない」



今度こそ、終わった。





いつもよりずっと速く訪れた神気の光は、はらはらと降る。
指を延ばして光に触れた瞬間、スゥと消えた。
仄かにぬくもりだけを残して。








外には雪がまた、はらはらと降り始めた。







「風花……いえ、別当殿、奥方殿。貴方がたには尽くせぬ御恩を受けました」




畏まった呼び方を口にしながら片膝を着いたのは、カノエ。
瞳を半ば伏せたその姿勢は改まった物。


今、私が口を挟むべきではないと判断して、隣をちらりと見る。

彼もまた表情を改めていた。
ヒノエではなく、頭領としての毅然とした顔に。




「カノエ、悪いがオレ達はあんたに恩をくれてやったつもりはないぜ」

「いえ。浅水を救って貰うことが、私の願いでしたから」

「だったらそれは、あんたに命を助けてもらった借りを返しただけだ」

「でも、その前からお二人は浅水の為に……」

「いいから立ちな、カノエ」




カノエの手を引き立ち上がらせる。

それからニヤリと笑ったヒノエはもう別当としてでなく、作らない彼自身だった。




「オレはただ、約束を果たしたまでさ」

「もう一人のヒノエが哀しむのは嫌だったの」




カノエがヒノエを見、それから私に視線を移した。

大きく頷けば嬉しそうな笑顔は、さっきの神秘さを伴ったものと違って歳相応。
きっとこれが、カノエ本来のものなんだろう。





「……ありがとう」

「それに、この貸しはいずれ耳を揃えて返して貰うさ。あっちのオレにね」

「ふふっ。それはいいわね。あっちの別当殿の嫌そうな顔が眼に浮かぶわ」



とうとう声に出して笑い出だす。


ひとしきり笑ってやがて収まった時、カノエは両手を差し出してきた。
儀式の前とは違って、今度は私とヒノエの二人に。
…それが別れの時間が訪れたことを指すのだと気付く。




「ありがとう、カノエ」

「こちらこそありがとう風花。…またいつか、会えたなら」

「ええ。いつでも遊びに来て。待ってる」

「今度はオレにも、その翼で舞い降りる姿を見せて欲しいね。天つ光の姫君」







カノエの身体を白い光が覆う。


その手に握られているのは、白龍の逆鱗。




「…さよなら」




澄んだ声の余韻が消えた時、光も消えた。








「風花」




正面からぎゅっと強く、強く抱き締められる。

二人になったら言いたい言葉は溢れるほどあった筈なのに、何故か一つも浮かばなかった。

代わりに首に腕を回せば、胸に熱い塊が生じてきてしまう。
それは出口を探し、やがて涙となって眼から溢れてきた。




「ヒノエ…っ」

「……オレはここに居る。恐がらせて悪かった」



首を振って答えた。
尚一層強くなる力に、確かに命を感じる。



「おちおち死んでなんてられないさ。風花を遺せば、野郎共が放って置かないだろ。そんなのは御免だね」




強く言い切り、少しだけ身体を離す。
唇を重ねればするりと入り込んでくる舌に、言いようの無い熱さを感じた。

冷えた空気を変えてしまうほど熱くキスをしていく。





「…そうそう。ヒノエ、また聞かせてくれるかしら?浅水さんと交わした約束のお話を」



唇をそっと剥がして、カノエとの会話を思い出しふと思いついたことを訊ねれば、ヒノエは一瞬眼を丸くする。

それはすぐに笑みに変わり、彼の唇が再び近づいてきた。




「ああ、またゆっくり時間を掛けて話してやるよ。その前に……」

「んっ…」

「オレと触れている時に考え事をしている、釣れない花嫁をどうにかしなきゃね」




また始まるキスの嵐。
唇を離すと今度は抱き上げられて、二人の邸に足を向けた。









いつの間にか外は朝焼け。


月光とまた違った光が雪に反射してキラキラと踊る。


















…出会いは必然



触れ合った時間は確かに存在していて




思い出せば仄かに胸が躍るような、狭間にも似たひと時












願うならば、いつまでも

互いに光が満ちていますように






愛しい腕の中で眼を閉じた。







  

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