天海月船 | ナノ
 




迷惑は掛けたくないと思いながら、あなたに逢えるのを心待ちにしている。


そんな想い、自分には無縁の物だと思っていたのに。





その他大勢の一人でもいい。

想いを寄せる公達たちと同じでも構わない。





少しでも、あなたの側に居られるのなら。






自分の知らないあなたを一つでも多く教えて。



















「君、は……」



その言葉を放ったきり、すっかり絶句してしまった弁慶を、カノエはじっと見つめていた。

この容姿を見て、弁慶なら何か気付くかもしれない。
そう思うが、逆に気付いてもらったほうが、今後について助力してもらえるかも、という考えに至った。
最終的に弁慶がカノエのことを気付こうが気付かないが、彼に助力してもらうつもりだ。

何かを思案している弁慶の姿は、自分のよく知っている物。
いくら時空が違うとはいえ、その根底は変わらない。
ふう、と小さく息を吐く気配に、考えが纏まったのだろうかと考える。



「ヒノエにも困った物ですね。風花さんがいながら、他の女性にまで手を出していたなんて」



だが、出てきた言葉に今度はカノエが絶句する番だった。

何をどう捉えたかは、今の言葉から安易に想像出来る。
弁慶にそう思われたということは、他の人がカノエを見たらきっと同じことを思うのだろう。



「あのっ、それは誤解です!別当殿は、奥方以外の方と子を成していません」

「わかってますよ」

「え……?」



やんわりと人当たりの良い笑みを浮かべる弁慶に、一体どういうことだとカノエの表情か険しくなる。



「熊野別当が彼女以外の女性と、子を作るなんて考えられませんから」



わかっているなら、どうしてあんなことを言ったのか。
あれでは、カノエが不義の子だと言うような物。

そこまで考えて、あることに思い至ったカノエは、ハッと弁慶を見た。

弁慶は「ヒノエ」と言ったけれど「別当」とは言わなかった。
だが、カノエは彼を「別当」と言った。
ヒノエと別当が同一だと知るのは限られている。
失言だった、とカノエは小さく舌打ちした。



「そういうことです。さて、どういうことなのか説明してもらいましょうか」



にっこりと満面の笑みを浮かべているが、その瞳だけは笑っていない。
自分の詰めの甘さに頭を抱えたくなったが、彼の前ではそうも言っていられない。



「わかりました。順を追って説明します」



小さく溜息をつきながら、カノエは自分の状況を弁慶へと説明した。










全ての説明を終えると「そういうことですか」と言いながら、弁慶は部屋の隅から何かの小瓶を持ってきた。
手の中にすっぽりと収まるそれは、自分には見覚えのない物。



「これを使えば、その髪の色を変えることが出来るはずです」

「信じてくれるんですか?」



夢物語にも近い話を、弁慶が鵜呑みにするはずがない。
そう思っての言葉だった。



「君たちの話は、少しですが聞いたことがありますからね」



聞いたという弁慶に、それは誰からと尋ねたくなった。
だが、自分たちを知る人間は限られている。
それゆえ、その質問を口に出すことはしなかった。



「そうですか。では、有り難く使わせてもらいます」



そう言って、カノエが小瓶を取ろうとすれば、その上から弁慶の手が重ねられる。
この後に及んで、何か条件でも持ち出すつもりなのだろうか。



「何か?」

「いえ、何でもありません」



尋ねれば首を横に振って手を離す。
本当に彼が何をしたいのか、カノエには理解出来なかった。


弁慶に案内されて井戸まで行けば、その後もやはり手伝ってくれた。
薬草については弁慶自身と、弁慶の持っていた書物で学んではいるが、今回のような物は初めてだったので助かった。
だが、髪の色を変えたとはいえ、外は夜。
室内の灯りでは薄暗く、実際どう変わったのかはよくわからなかった。
これは、明日にならないと確認出来ないだろう。



「そういえば、仕事はまだ決まっていないんですよね?」

「はい。明日、勝浦の湊に行こうとは思ってますが」

「では、僕の仕事を手伝いませんか?」



弁慶の申し出に、カノエは驚きを隠せなかった。
いくら話を聞いていても、弁慶自身が会っていたわけじゃない。
それを思えば、監視も兼ねてということだろうか。

熊野に害をなさないように。



「そんな顔はヒノエにそっくりですね」



そう言われても素直に喜べないのは、弁慶の言っているのが自分の父ではないからか。



「そんなに警戒しないで下さい」



笑顔で語る弁慶は、何やら思惑がありそうで。
そんな彼に警戒するなと言われても、どうしたって警戒してしまう。


いくら源氏の軍師を辞めていても、時折寄越される視線は恐ろしく冷たい。
一度覚えた物は、そう簡単には抜けないのだと、自分の知る弁慶も言っていた。


けれど、その後弁慶に言われたことに、素直に彼の言葉を呑んだのは、紛れもなくカノエ自身だった。















宿に戻って床についたのは、日が昇る少し前のこと。
けれどその眠りも浅く、いつもと同じ刻限に目は覚めてしまう。
そのことに苦笑を漏らしながら、上半身を起こせば、昨夜色を変えた自分の髪を視界に捉えた。



「……そういうことか」



明るい場所で確認すれば、昨日までとはすっかり変わってしまった自分の髪。
確かに、一目で別当家と縁があるとは思わないだろう。
だが、これはこれで問題がある。





なぜならカノエの髪は、弁慶の髪と大差ない色に変化していたのだから。





きっと弁慶はこうなることを知っていたのだろう。
だからこそ、カノエにあんなことを言ってきたのだ。





『君だったら、僕の弟と言っても違和感はなさそうですからね』

『それが仕事を手伝うことと、どう関係があるんですか?』

『夜が明ければきっとわかりますよ』





きっと、どころか嫌でも、の間違いじゃないだろうか。
京ほどではないが、熊野でさえこの髪の色は忌み嫌われる。
そのいい例が弁慶なのだから。



「すっかりやられたな。これじゃせっかく一華に勧められたこの宿も、出ていくことを考えないと」



けれど自分の一存で宿を出ていけないことも知っている。
何より、再び一華と会う前に宿を引き払っては、次の逢瀬までどれだけ掛かるだろうか。

せっかく約束を取り付けたというのに、自分から破棄するような真似は出来なかった。

床を出て身なりを整え、変わってしまった髪をいつものように三つ編みにする。
宿にある井戸で顔を洗えば、ぼんやりとしていた頭がすっきりとした。
宿の人と挨拶をしながら部屋に戻れば、床を片付けてこれからのことをぼんやりと考える。


仕事については弁慶のところへ行くとして、一華にはおいそれと会うことは叶わないだろう。
何せ彼女は熊野の姫君。
更には双子の兄がついているのだ。


昨日彼女と出逢えたことが奇跡に近い。



「……一華」



無意識のうちに名を呼んでしまうのは、きっと彼女と再会したせい。

胸の奥底にしまい込んだはずのこの想い。

一度思い出してしまえば、湧き出る泉のごとく止まることを知らない。
いっそのこと、この気持ちが彼女に伝わればいいのに。
そう思う反面、伝わらなければいいと思う自分もいる。



「どうして人は、次々に欲が出るのかな」



まず逢いたいと思い、逢えれば触れたいと願ってしまう。
一つのことが叶えば次々と高まるこの欲望。


それはひとえに、手の届く場所に彼女がいるから。


きっと、元の時空にいたなら逢いたいと願うだけで終わっただろう。
けれど手を伸ばせば彼女に届く。
そんな距離がどれほどもどかしいか。



「僕もまだまだ、だな」



父ならきっと、思うより先に行動に出るだろう。
だが、カノエには行動に出れない理由がある。



「部屋は……こちらでしたわね」



けれど、聞こえてきた声に思わず思考が遮断される。
人の気配は感じていた。
だが、それが彼女だと誰が思うだろうか。
逢瀬の約束はしたものの、こんなに早く、しかも今は早朝と呼べる時間帯。
カノエはすぐさま立ち上がり、部屋の戸を開いた。



目の前に立っている一華を、思わず自分の腕の中に閉じ込めたい衝動に堪える。

だが、どこに人の目があるかわからない場所で、そんな行動は出来ない。
出来るはずが、ない。



けれど、戸を開いたきり一言も口を開かない一華に、どうしたのかと首を傾げる。
その際、視界に入った明るい色に、そういうことかと理解する。
昨日別れたときは、一華と同じ色だったカノエの髪。
それが今は、すっかり別な色へと変化しているのだから





「おはようございます、一華」





いっそ清々しいまでの笑顔で挨拶をすれば、ぱちぱちと数回瞬きを繰り返す。
どうやら、現状を理解しているのだろうと、こっそり思う。
初めて逢ったときから彼女の聡明さには目を見張る物があった。
それすらも、カノエが惹かれる理由の一つ。



どれだけ自分を虜にさせれば気が済むのだろう。



一華という名の意味は母から聞いている。
かつて、風花に請われて双子の名付け親になったのだと。

その理由通りに一華に惹かれる自分は、彼女に想いを寄せる大勢の中の一人なのだろう。

その事実に、落胆しそうになる。
けれど、目の前に一華がいることで、そんな気持ちすら吹き飛んでしまう。



「……弁慶叔父上…ですわね」



ポツリと呟かれた言葉に、カノエの笑みが深くなった。
やはりわかるのだろう。
カノエが誰の元へ行き、この姿になったのか。



「ここで話すのも何ですから、中へどうぞ」



このままでは、誰に話を聞かれるともわからない。
けれど、またしても烏の気配を感じないことに疑問を抱く。



「一人で来たんですか?」



戸を閉めて、一華が座ったのを確認してから口を開く。
一華の前にカノエも腰を下ろせば、肯定する彼女の返事が返ってくる。



「ヒノトには弁慶叔父上の元へ行くと告げてありますの」



確かに、弁慶の元へ行くと告げてあるのなら、一華が勝浦にいても不思議ではない。
だが、烏がついていない理由にはならない。



「その件に関しては、母上から助言を頂いたんです」



唇に人差し指を当てて、にっこりと微笑む姿は年相応で愛らしい。
カノエは見たことのない一華のその姿を見て、また一つ鼓動が高鳴った。


それ以上は言うつもりがないのか、口を閉ざしてしまったけれど。



烏がいないのはきっと自分に逢うためだと、自惚れてもいいのだろうか。









可愛いっていう次元を超えてこれはもう一種の媚薬ですよ









  

 
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