天海月船 | ナノ






同じ風景、同じ道。


こんなにも世界は似ているのに、どうしてこんなにも世界は違うのか。







嬉しさとは対極にある悲しさ。



それに目を瞑る自分は、きっと臆病なんだろう。



夢なら醒めないでと、いっそのこと夜を徹して起きていようか。



もう一度、あなたに出逢えるのなら。




















秋を迎え始めたとはいえ、空が夕暮れから夜へと姿を変えるのは早い。
暗くなってきた景色を見ながら、一華を送ると決めて正解だった、とカノエはそっと安堵した。


いくら熊野で育ち、勝浦が庭のような物であるとはいえ、彼女一人で返すのはどうしても心許なかった。
何より、一華が烏の一人も付けていない時点でおかしいのだ。
双子の兄であるヒノトがどれだけ彼女を思っているかは、以前垣間見ることが出来た。
その彼が、果たして彼女を一人で歩かせるだろうか。


一華が何も言わないということは、それについて追求して欲しくないのだろう。
そこはかとなく感じる空気が、その話題に触れてはならないと告げていたし、何より。


無粋な話題で、会話が途切れてしまうことをお互いに望んでいない。


それは暗黙の了解。
だからこそ、気付いてはいてもそれに触れようとも思わない。





今、この瞬間が、何よりも貴重な時間だから。





「暗くなってきましたね。大丈夫ですか?」



蝋燭を持ってこなかったことに少しだけ舌打ちし、直ぐ隣を歩く一華を見る。
お互いの表情はまだ見て取れる明るさ。
けれど、邸に着く頃にはきっと世界は闇に包まれているだろう。



「えぇ、大丈夫ですわ」



うっすらと笑みすら浮かべる余裕があるのは、やはり慣れ親しんだ土地のせい。
そんな彼女に手を貸すのは失礼に当たるだろうか、と思いながらも、やはり手が出てしまうのは血筋のせいだろう。



「よろしければ、お手をどうぞ」



す、と一華の目の前に自分の手を差し出せば、驚いたように小さく声を上げられる。

自分に手を取られるのは嫌だろうか。


出してからそこに思い至るなんて、随分と間抜けすぎる。
けれど、もしこの手を拒絶されたのなら、そのまま下げればいいだけだ。


たった数秒。


それだけの時間なのに、随分と長い時間のように感じるのは何故なのか。


そっと触れた柔らかな感触。
継いで感じた自分以外の体温。


その二つから、一華が自分の手を取ってくれたのだと判断するまで、そう時間は掛からない。



「有難う御座います」

「いえ、当然のことですよ」



つい、緩んでしまいそうになる口元を必死に堪える。
自分の手を取るだけの、そんな些細な出来事。


それが何よりも嬉しく、愛おしいだなんて。















お互いに手を取り合って、会話を交わしながらの道中は、長くもあり短くもあった。

やがて見えてきた邸の灯りに、思わずカノエの足が止まる。
すると、一華の足も同じように止まった。



「カノエ?」



一体どうしたのかと首を傾げれば、触れていた手をそっと離す。
たちまち消えてしまう体温に、覚えるのは一抹の切なさ。



「すいませんが、これ以上は僕は行けないようです」

「?」



申し訳なさそうに言うカノエに、一華は思わず首を傾げた。
けれど、直ぐさまその意図に気付くと小さく頷く。



「仕方ありませんわ」

「分かって貰えて嬉しいです」

「ここまであからさまなのに、気付くなと言う方が無理でしょうから」



邸が近付くにつれ、視線を感じていた。
それが烏なのは言わずもがな。
一華の姿を確認していれば、きっと彼が迎えにやってくる。
その時に自分がこの場にいるのは都合が悪い。

いくら衣で髪を隠していても、ヒノトは自分の声を知っている。
一華が自分に気付いたように、彼も必ず自分に気付く。



「本当は、邸の入口まであなたを送りたかったんですけど……」

「ここまで送って貰えただけでも、私は充分嬉しいですわ」

「そう言って貰えると、お世辞でも嬉しいですね」

「あら、私がお世辞をおっしゃっていると?」

「思いません」



笑って言いながら数歩下がり、一華との距離を取る。
出来ることなら、一華が邸に入るところまで見届けたかったが、それを許さない状況が憎い。



「一華……また、逢えますか?」



無意識について出た言葉。
とっさに手で口元を押さえたが、紡がれた言葉は既に一華の耳にまで届いている。


一華の立場を知らないわけじゃない。
それどころか、知りすぎている自分が口に出せる言葉じゃなかった。





「ええ、きっと」





けれど、返ってきた言葉は意外にも甘く。
自惚れてしまいそうな自分に叱咤する。


それを正気に戻したのはこちらに近付いてくる一つの気配。
気配の正体が誰かなど、想像するより明らかだ。
カノエは彼がこちらにやってくるより先に、別れの言葉を残してその場を後にした。















すっかり暗くなった道を走り抜ける人影。
それは頭から衣を被ったままのカノエの姿。

いつ何時、誰に会うかもわからない。
いらぬ誤解を受けるくらいなら、少しでも不安要素を取り除いておきたい。



不安要素。
それは自分の外見。



一華との会話で、弁慶がここ熊野──正確には勝浦──に滞在しているという話を聞けたのは、カノエに取っては喜ばしい物だった。
かつて源氏の軍師を務めていた大叔父の肩書きには、薬師という物がある。
自分の知る彼は、今では薬師としている時間の方が多い。

こちらの弁慶はどうか知らないが、薬師としての知識と腕は大差ないはずだ。
それはつまり、自分の外見をどうにかするための術も持っているということ。
その為には、こちらの手札も見せなければならないが、背に腹は代えられない。



「多分、僕の知っている通りであればいいんだけれど」



熊野に帰ってきても、弁慶が本宮に居座ることは稀だ。
大概は、勝浦にある小屋を使って、薬師としての腕を奮っている。
カノエが向かっているのはその小屋だった。

夜分に訊ねることは相手にとっても迷惑になるだろうが、緊急事態なのだから仕方がない。
一華と宿に入ったときは、被衣を被っていたおかげでカノエの姿を見られていない。
けれど、朝になったらそうもいかなくなる。


少なくともこの世界に滞在する期間がどれだけなのかも分からないのだ。
いつまでも姿を隠し通せる物じゃない。
だからこそ、弁慶の力を借りたかった。





勝浦へと戻ってきて、そのまま宿へ戻らずに小屋へと急ぐ。
自分の知っているその場所に小屋があったことと、そこに灯りが確認できたことがどれだけ嬉しかったことか。

知らず早くなる足は、残りの距離を一気に駆け抜けた。


戸口の前に立ち、被っている衣を心持ち深くする。
気配に聡い彼ならば、自分がこの場にいることは既に分かっているだろう。
直ぐさま現れないのは、少しでもこちらを伺っているせいだろうか。



「夜分遅くにすいません、こちらに薬師殿がいらっしゃると聞いてきたんですが」



戸を叩きながら中にいるであろう人へ声を掛ける。
もし現れたのが別人なら、一から弁慶を捜し出さなければならない。
扉が開いたのは、そんなことを思っていたときだった。





「薬師は僕ですが、どうかしましたか」





視界に入ってきた蜂蜜色。

それは、自分が望んでいた人物を現す確実な色。

耳に届く声は懐かしくも、耳に馴染みのある優しい物。



時空は違えど、確かに目の前の人物が弁慶なのだと、自分の身体に流れる血が訴えている。



「お願いがあってきました」

「お願い、ですか。……どうやらここでする話ではなさそうですね。狭いですがどうぞ、中へ入って下さい」



目の前にいる、頭からすっぽりと衣を被るカノエを見て何かを感じたのだろう。
弁慶はカノエを中へと促した。


後を追うように小屋の中に入り、戸を閉める。
その際、周囲に人の気配がないかも確認しておく。
これから話すことは、彼以外に聞かせられない物だ。
いくら夜だからとはいえ、用心するに越したことはない。


小屋の一室に入り、お互いが腰を落ち着ければ言葉を切り出したのはカノエだった。



「薬師殿は、持って生まれた髪の色を、別の色へと変える薬をお持ちですか?」

「髪の色、ですか」



突飛なことを言う人間だ、とでも思うだろうか。
あぁ、でもそんな薬を持っているなら、彼自身が使っているんじゃ無かろうか。
幼い頃に、その容姿のせいで忌み嫌われたと言う話は、人伝に聞いている。



「…………それは、あなたがその衣を外さないことと関係があるんですか?」



しばし思案にふけったかと思えば、こちらの衣を指差してくる。
やはり、どこの時空でも弁慶は弁慶らしい。



「はい。僕はどうしても自分の姿を他人に見られるわけにはいかないんです」

「では、誰にも会わないように家に籠もっていればいいのでは?」

「そうもいかない理由があるから、薬師殿のお力をお借りしたいんです」

「ですが、自分の姿すら見せない人に力を貸すほど、僕も寛容じゃないんですよ」



尤もな言い分に、返す言葉も出ない。
かといって、すぐ側にある弁慶の力を仰げないのも悔しいことこの上ない。


カノエは衣の端をグ、と握り締めた後、一気にそれを引き下ろした。





蝋燭の明かりの下に照らされる髪は赤。


その色が何を意味するか分からないほど、弁慶も馬鹿ではない。





「君、は……」





思わず絶句する弁慶の顔を、カノエは真っ直ぐに見つめ返した。









 
貴方の言葉はいつも正しく鋭く
時に酷く傷つきどうしようにもないくらいに 救われる









  

 
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