真実のシェイクスピア

11正しく嘘をつきましょう

『名前さん…』

誰かが自分を呼ぶ声がする。
ぼんやりとしていて相手の顔は見えない。
夢の中で自分の手を取り、一生懸命に呼んでいるのだ。何処かで聞いたことがあるこの声は、一体誰の声だろう。
とりあえず、まだ眠たいからもう少し寝かして欲しいものだ――


「名前さん!!!」

「う、うわ!!」

「あ。やっと起きましたね。おはようございます」

「…千寿郎く…ん…せんじゅ…千寿郎くん!?」


夢の中だと思っていた出来事は、どうやら現実のようで、寝ていた名前を千寿郎が一生懸命に起こしていた。
何度目か分からない呼び掛けで、目を覚ました名前は昨日の記憶を急いで探る。

昨日、縁側で夜風に当たりながら杏寿郎と話をしていて…隣に千寿郎くんが寝ていて…杏寿郎の体温が暖かく感じ…それから…


「記憶が無い」


確かに昨日は杏寿郎と話をしていた。
そこまでは覚えている。
話をしていた筈なのに、何故自分は布団で寝ているのだ?

寝ぼけて布団を引いて寝た…。

いやいや、そしたら何故千寿郎が自分を起こす?


「どうしよう千寿郎くん…本当に記憶が無い」

「え!?大丈夫ですか!?自分の名前分かりますか!?」

「いや、あの、そこまでの記憶が無いって訳じゃ無くて…自分がここで寝るまでの記憶が無いんだ」

「あ、そっちですか…びっくりしました。名前さんも兄上も昨日はぐっすりでしたからね」

「ん?名前さんも『兄上も』??」


何故そこで杏寿郎の名前が出てくるのだ。
まさか冨岡事件に引き続き、杏寿郎とも何かしてしまったのか…。

まさか…今度は一夜を共にしてしまった、とか?

あぁ…もう、お嫁に行けないかもしれない。
名前は深い溜息を付き、その場で項垂れた。


「名前さんが何を考えているのか何となく分かりますが、名前さんの心配しているようなことは何もありません。ちなみに名前さんが布団に居る理由は、昨日、兄上がここまで運んで下さったからです」

「き、杏寿郎が?」

「はい。夜明け前ですが、僕が目を覚ますと名前さんと兄上が縁側で座ったまま、お互い寄り添って眠られておりました」

「え」

「それを見た僕は、兄上だけを起こして名前さんをここまで運んでもらったのです。名前さん、とても深い睡眠だったのか、兄上に抱き抱えられても起きる気配がありませんでしたよ」

「だ、抱き抱えられっ…!!」


死にたい。
その一言に限る。
杏寿郎に寄りかかり、爆睡した挙句…抱き抱えて布団まで連れてこられたとはもう恥の中の恥だ。
確かに昨日は『杏寿郎の体温は暖かいな』と思った。けれども…
さすがに布団まで連れて来てもらったのは、杏寿郎に申し訳ない。


「…そういえば杏寿郎は…?」


先程から千寿郎と話すばかりで、問題の杏寿郎の姿が見えない。
気配も感じ無いから外にいるとは思うのだが…


「一度家に帰ってます。『また後で迎えに来る』と伝えて欲しいと兄上から」

「そ、そっか…」


自分ばかり寝てしまって、杏寿郎の身体は休まっているだろうか。
昨日も任務終わりに呼びつけてしまったのだから、とても心配だ。


「名前さん、さっきから考え事が多すぎです。ずっと一点を見つめては難しい顔をしてますよ?」

「え、あ、ごめん…」

「兄上の事なら心配しないでください。兄上もぐっすり寝ていたと言ったはずです」

「その『ぐっすり』って?」

「ふふ、実はですね…」


『兄上が警戒心も無く、人前で寝るのって中々無いんです。僕が兄上に近付いても起きませんでしたからね。それほど名前さんを信用しているんだと思います。自分の身体を名前さんに預けて寝ていたくらいですから』


「中慎ましそうで何よりです」


と最後に笑顔を見せた千寿郎。
杏寿郎の弟が言っているのだから、本当だろう。


「そっか。信用…されているんだ」


名前も杏寿郎の事を信用している。だからこそ、千寿郎が言った言葉がとても嬉しかった。
寄り添って寝ていたというのは少し恥ずかしいが、安心していたから自分も彼に身を委ねていたのだろう。

なんだか久しぶりに目覚めがいい朝である。


「もうすぐ兄上が来ます。勝手に台所を借りてしまったのですが大丈夫ですか?」

「全然問題ないよ」

「ありがとうございます。朝餉の支度が出来てますので、名前さんも早く身支度を」

「ありがとう…」


勝手に連れてきて、勝手に食事の相手をさせて、挙句の果てにはご飯を作ってもらうとは、愚図にも程がある。大の大人が本当に情けない。

何か千寿郎にお礼をしなければ。


「千寿郎くん…欲しいものとか無い…?」

「え!いきなりどうしたんですか!」

「いや、歳上の愚図さを挽回したくて…」

「気にしないでくださいっ!」

「そう言われても困る」

「こちらも困ります!」

「お願いだよ…何かさせて…」

「えーっ…あ!」


困った表情を見せていた千寿郎だが、何か思いついたのかいきなり笑顔へと変わった。


「なになに!?」


これで挽回だと言わんばかりに、名前は千寿郎の言葉に食いつく。
そんな彼はもじもじと恥ずかしそうにしていた。
きっと普段、買って貰えない何かだろう。物を欲しがる仕草は、とても可愛い。何でも与えたくなってしまう。


「何でもいいんですか?」

「大丈夫、何でもどうぞ!」

「では…兄上と結婚していただき、僕の姉上となってくださ…「違う違う違う違う!!」

「何でもいいと言ったじゃないですか!それに名前さん!僕は本気ですよ!!」

「確かに言ったけど、それとこれは別!…嘘でも言っていいことと悪い事があります!」


この兄弟はある意味似たもの同士、ぶっ飛んだ考えをお持ちな兄弟である。
性格は全く違うくせに。

彼女は先程よりも深く溜息を付き、また項垂れてしまった。



正しく嘘をつきましょう
(『結婚』とかどいつもこいつも簡単に言うんじゃありません!!)
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