誰かのために生きるなんて考えたことも無かった。命なんてどうでもいいと思っていた。だけど彼女が変えてくれたんだ。


冨岡勇の場合


「義勇さん、今日は早く帰ってきてくれませんか?」


突然の言葉に冨岡は驚いた。
思わず朝餉の味噌汁をこぼしそうになったが、なんとか持ち堪える。
名前からそんな可愛い我儘を言われたのは初めての事だった。


「何か…あったのか?」

「あの…お伝えしたいことがあるので…早く帰ってきて欲しいなと…」

「そうか」


普段、我儘をあまり言わない彼女がそう言うのだから叶えてやるしかない。それに可愛い我儘であれば、誰でも嫌とは言えないだろう。

富岡は承諾の意味を込め、彼女の頬を撫でた。名前が期待して待っているかと思うと、任務の捗りも違うものだ。

……………

名前とは、鬼殺隊の任務中に出会った。彼女も立派な鬼殺隊の剣士である。しかし、任務中の怪我で引退を余儀なくした。
怪我は冨岡を庇った時に出来た怪我であり、その時が冨岡と名前の初めての出会いだった。

その後、自分のせいで怪我をした彼女の面倒をみるのは当たり前だと、冨岡は彼女の家に足を運び続けた。
最初は成り行きではあったものの、気付けば互いが惹かれ合っていた。
そして晴れて夫婦になった二人は、毎日素敵な結婚生活を送っている。


「あれ?義勇さん、なにか良い事がありましたか?」

「炭治郎…」


屋敷を出た彼は、本日の合同任務の相方である炭治郎と合流した。
鼻のいい彼には冨岡の感情が伝わったようで、顔を合わせると直ぐに問いかけてきた。
毎度驚かされるが、口数が少ない彼にとっては話さなくとも察してくれるのだから意外と好都合である。


「今日は…早く終わらせたい」

「え、あ、はい!もちろんです!!早く帰りましょう!」

「すまない」

「いえ!義勇さんから素敵な甘い匂いがするので、きっと奥さんの事だと…」

「……」


全てを読み取られた冨岡は、少し恥ずかしい気持ちになったが「早く帰れるならいいか」と任務を進める。そして二人の努力のおかげで、いつもより早く終えたのだった。

炭治郎と別れ、名前の我儘を叶えてやるべく急いで帰宅する冨岡。
きっと彼女は喜んでくれるはずだ。と表情も少し緩くなる。
玄関の引戸を開けると、予想通り名前が嬉しそうに出迎えてくれた。


「戻った」

「義勇さん、おかえりなさい。ちゃんと早く帰ってきてくれたんですね」

「…約束したからな」

「嬉しいです」


そうだ、この顔が見たかったのだ。
彼女の笑顔をみて、今日の疲れが何処かへ行ってしまった。

「そういえば」と冨岡は思い出す。
出掛ける前、彼女は話したいことがあると言っていた。
その為に今日は早く帰ってきたのだ。


「話したいことがあると…言っていたが」

「あ、えっと…」


早速本題を切り出すと、彼女はもじもじと恥ずかしそうに微笑んだ。
この反応はなんだろうか。

そして彼女から言われた言葉は、冨岡の予想を遥かに超えていたものであった。


「実は…義勇さんとの子どもが出来ました…」

「……!?」


驚きの余り、開いた口が塞がらない。
その様子を見た名前は少し悲しそうな表情を見せた。


「嫌…ですか?」

「そ、そんなはずない!」


彼女の言葉を全力で否定をする。
嫌なわけがない。
むしろ彼女の事を傷付けてしまった自分が、父親になんてなってもいいのだろうか。

彼の考えを読み取ったのか、名前は冨岡の手を取り今も尚残っている傷跡に触れさせた。


「きっと義勇さん、あの日の事思い出してますね」

「それは…」

「私はあの日、後悔なんてしていませんよ。むしろ誇らしいです。素敵な旦那様を守れたのですから」



『貴方を守らなければこの幸せは感じる事はできませんでした』




彼女を傷付けてしまったあの日。
冨岡は「俺を守らないで欲しい。死ぬ時は死ぬのだから」と名前に告げた。
名前は眉を一瞬下げたが、優しく微笑み「冨岡さんが無事で良かった」と呟いたのだ。

名前は不思議な女性である。
自分を犠牲にした事を後悔していない。
むしろ、「守れて良かった」と言うのだ。

彼女の優しさに冨岡は涙を流した。
その優しさは、冨岡の心の底にある冷えきった何かを温めてくれるようだった。

こんな人はもう二度と会えないだろう。


「本当に…すまなかった」

「もうあの日のことを謝るのは今日で最後です」


名前は優しく冨岡を抱きしめた。

自分の命なんてどうでもよかった。
鬼を斬り、使命を果たせばいい。自分は生きるべき人間ではないのだから。
そう思っていた。
けれども彼女はそんな冨岡を見捨てず、守って生かしたのだ。

彼女が繋いでくれた命。
彼女と…愛しい我が子のために生きよう。
もう失ったりなどしない。


「俺はまだ死ぬ訳にはいかない」


そう彼女に伝えれば、彼女は笑顔で頷いた。

2人を守るために彼は今日も生き続ける。
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