ブローチ


 それから暫くの間。マレウスは図書室には姿を見せず、ようやく出会えたのは最後に言葉を交わしてから二週間をゆうに過ぎた頃だった。

 彼の言葉通りに蔓薔薇のアーチの下にあるテラスに座って待っていると、大きな影と共に後ろからコーヒーが差し出された。一口含んで、ほっと息をつく。彼の手袋と同じ色をした、あたたかいコーヒーがじわりと身体に染みる季節だった。進級してから二か月を超える月日が経ち、もうひと月もすればウインターホリデーの足音が聞こえてきそうだ。

「ありがとう。少し久しぶりだね」

 金木犀の花が見頃を終えて、風が残り香と共に懐かしさを運んでくる。太陽は間もなく傾くだろうか。コーヒーカップの熱で指先を温めながら、話したいことがたくさんあったのだと彼女は嬉しそうに言葉を紡ぎはじめた。

「最近ね、モストロ・ラウンジでアルバイトを始めたんだ。少しの間だけなんだけど、毎日忙しくて目が回りそう」
「ほう。何か欲しいものでもあるのか?」
「そういう訳じゃないんだけど、アズール先輩が人手が足りないって困ってたから。賄いも出るし丁度いいかなって。オクタヴィネルの人達が作るご飯、すごく美味しいんだよ。よかったら、マレウスも食べに来てね」
「考えておこう」

 短く返して、コーヒーを口に含む。その熱は早くも冷めつつあった。苦味を舌で転がしながら、「モストロ・ラウンジか」と彼女の言葉を反芻する。その声は、庭を彩る季節の花に視線を寄せた彼女の耳にはついぞ届かなかったが。

「マレウスはどう? 元気にしてた?」

 頬杖をついたマレウスが薄氷のように微笑む。そうして差し出されたのは親指ほどの大きさの楕円形のブローチだった。きらきらと光るその色には見覚えがあった。マレウスの胸元で光る魔法石と、彼の瞳。その色にそっくりだった。

「これ……」
「僕が作った。以前、僕の持つ魔法石が羨ましいと言っていただろう」

 こっちに来い、と声に誘われ彼の前に立つ。ぬばたまの長い指が伸びて、首元のリボンの結び目を隠すように留められた。

「似合っているな」

 春の日差しのような笑顔に、胸がじわりと温かさを持つ。しばらく姿を見なかったのはこれを作ってくれていたからだろうか。

「ありがとう。すごく嬉しい。元の世界に帰る時も、絶対に持って帰るね」

 不意に、強い風が駆け抜けた。飲み干した彼女のコーヒーカップが倒れ転がっていく。手のひらで包み込むようにしてブローチを撫ぜながら、艷めく黄緑と、それと同じ色をした彼の目が、ただ静かに光っていた。

 
 ◆


 サバナクロー寮に用事があり、その帰り際に大きな木にもたれて転寝するレオナの姿を見かけた。丁度先程、困り果てた様子のラギーに見かけたら教えて欲しいと頼まれたところだ。この寮の気温は一年を通してあまり変わらないから、外で寝るのもさぞ気持ちがいいことだろう。

 声を掛けようと近付いたその時、唐突に強い力で腕を引かれた。思わず茂みに膝をつく。顔をあげれば、眉をしかめ不機嫌そうな顔をしたレオナに見下ろされている。その意味が、分かりかねていた。
 居眠りを邪魔されたのなら理解はできるが、それにしてもまだ声だって掛けていない。彼の機嫌があまり良くないのはいつもの事だが、こんな風に訳もなく乱暴な扱いを受けたのは初めての事だった。

「チッ。紛らわしいモン付けてんじゃねえ」

 舌打ちの後、ぶっきらぼうに手を解かれる。寝ぼけていたのか、或いは何かと間違えたのだろうか。少し気まずそうな顔をした彼が、「立てるか」と手を伸ばす。掴んだ手のひらはいつものように温かかった。

「ラギー先輩が探していました」
「そうか」

 長い髪をくしゃりと掻きあげた彼は、やはりどうしていつもと様子が違って見える。長居する用事もなく、小さく会釈してから立ち去ろうとした時。ぶっきらぼうな声が、その踵を引き止めた。

「お前、何でそんな首輪みたいなモンつけてんだ」

 掛けられた言葉の意味は、やはり理解できなかった。おもむろに首に伸ばした手がこつりと硬い石にあたる。ふと、数日前に飲んだコーヒーの味を思い出した。胸元の黄緑が、ぎらりと底光りしていた。
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