王の呪い



2.

 もっと黄金を作るんだぞ! と調子に乗ったグリムが指示外の魔法で釜を爆発させ、『Bad boy。覚悟はいいか?』と眉をつりあげたクルーウェル先生のお小言を頂戴すること一時間。またも監督不行届による連帯責任で、この先一週間の掃除と無駄にしてしまった材料の採取を命じられ、監督生とグリムは学園近くの森を散策していた。

「怖かったんだゾ……もう二度とアイツを怒らせたくないんだゾ……」
「この前も怒られたばっかりなのにまたやらかしちゃうなんて……本当に、二度とやっちゃダメだよ。えーっと、あとはマーレイ樹の雫に黒鷲の羽かぁ。あっちの方かな」

 さすがに少しは懲りた様子のグリムと共に森の奥へと進んでいく。この森は麓までなら教師の許可があれば入れるが、奥は禁止区域になっていて、そこに近づくにつれて薄暗くなっていく足元がその不気味さを際立たせていた。動物の音一つ一つにびくりと背中を震わせながら、早くここから立ち去るべく二人は目当てのものを探していく。

「あの一つだけ露に濡れてるでっかい木、きっとマーレ……なんとかの木なんだゾ!」
「本当だ! えっと、少し木を揺らして」

 常露の木とも呼ばれるその幹を揺らし、雨のように落ちてきたその雫を用意していたガラスの容器に受け止める。一分くらい揺らし続けて、ようやく手を止める。これだけ貯まれば十分だろう。すっかり露に濡れたグリムがぶるぶるとその身体を震わせた時、近くで大きな物音がガサリと鳴った。これまでのような小動物のものよりも一際大きな音に、涙目になったグリムが監督生にしがみつく。

「ふなっ!? く、熊でも出たのか……? オレ様を食べたって美味しくないんだゾ……」
「しっ! なにか、声が聞こえる……」

 慌てて近くの太い木に隠れて、その様子を伺う。そこに居たのは数人のサバナクロー寮生だった。どうやら禁止区域から戻ってきたようで、その手には黄金に光る石のような何かを持っている。となれば、彼らがルールを破って何か悪いことをしているのは明白だった。

 その中に見覚えのある顔を見つけて、悪い記憶が靄のように頭を埋め尽くす。あれは秋のマジフト大会が終わったあとのこと。卑怯な手段を使って他寮の選手に怪我を負わせたラギー先輩達の魔法を邪魔したことから、一部のサバナクローの生徒達に『サバナクローが負けたのはハーツラビュル寮生とオンボロ寮の奴らのせいだ』と逆恨みされてしまい、一番狙いやすい魔力のない自分が追いかけ回される日々が続いていたのだ。
 運良く逃げ切って、その後事情を知ったジャックやリドル寮長が止めてくれたおかげで事なきを得たのだが、できるなら二度と顔を合わせたくない相手だった。見過ごしてしまおうか、とも思ったがそれもなんだか後味が悪い。しかし多勢に無勢、しかもこちらは魔法が使えないとくれば、声をかけたとて痛い目に合わされるのは自明だった。

 しばらく歯痒い時間を過ごしていると、不意に子リスが駆け抜けた音に驚いたグリムが「ふにゃあぁぁ!」と大声をあげた。慌ててその口を塞ぐも、もう後の祭りだ。

「誰だっ!?」

 振り返ったサバナクロー生がこちらに近付いてくる。気付かれてしまった以上、こうなれば逃げるが勝ちだ。意を決して出口の方へ走り出すと、「アイツ、オンボロ寮のやつだ!」と見知った声が追いかけてくるのが分かった。

 またも追いかけっこになってしまうなんて、本当にツイていない。それに加えてこの森の薄暗さが、監督生の足取りを悪くさせていた。慌てて森を下るも、その焦りが災いし大きな木の根に躓いて転げてしまった。立ち上がろうと地面を踏むが、足が震えて上手くできない。だめだ。追いつかれる──。思わず目を閉じると同時に、かの日の夜の声が記憶を揺り動かす。


『次に何か困ったことがあれば、心の中で強く僕の名を叫べ。お前が望む限り、どこへだって駆けつけよう』


「た、助けて! ツノ太郎──!!」

 思わず声を振り絞って宙に叫ぶ。その刹那、声に呼応するかのごとく、信じられないような光景が目の前を覆った。

 突如として地響きのように大地が揺れ始めたと同時に、闇よりも黒い、影のような何かが地面を泳ぐように近付いてくる。瞬きひとつの間に地面からそれが突き出て、目の前で幾重にも渦を巻く。次第に人の形になっていくその闇の中から、空気を震わせんばかりの低い声が空間を震わせた。

「僕を呼んだな」

 衝撃に起き上がることが出来ず、地面を這いつくばったままの視界に黒い靴が映った。監督生の背丈より長いであろうマントに、翻った裾は見覚えのある黄緑の色。視線を上へと動かして、見上げるようにしてその正体を掴む。黒い髪から生えたふたつの角が、白とも黒ともつかない天を指していた。

「ツ、ツノ太郎……ほんとうに、きてくれたんだ」
「言っただろう。どこへでも駆けつけると」
「マ、マレウス・ドラコニア!? なぜこんなところに」
「え? マレ……?」

 何度も瞬きを繰り返す監督生の身体を起こしてから、ツノ太郎──もといディアソムニア寮長、マレウス・ドラコニアは違反生徒と対峙する。クスリと微笑んだ、その薄く妖艶な唇を黒い指先が伝う。

「おやおや。軽々しくその名前を口にしてもいいのか? 何が起きても知らないぞ」
「やばい。お前ら逃げろッ!!」
「いいだろう。この僕から逃げられるものならな」

 彼らが逃げ出す方向に、突然阻むようにして茨が咲き乱れる。その茨が生徒を囲って、瞬く間に彼らの身動きを封じた。以前シルバー先輩から聞いたことがあるが、魔力注入による植物の育成には強い力が必要だという。それすら赤子の手をひねるかのごとく一瞬にしてやってしまうなんて、ツノ太郎はどれほど強い魔力を持っているのだろうか。……いや、自分が知らなかっただけで、それが当たり前なのだ。なぜなら彼は茨の国の次期王で、世界でも五本指に入るほどの魔法士なのだから。

「この森に入るには許可がいる。加えてお前が手に持っているその石は森の奥の禁止区域でしか採れないものだ。知らなかったか?」
「ヒエッ……た、助けて」
「寮生の躾もできないとは。サバナクロー寮長の底が知れる」

 手のひらの上に黒紫の塊を浮かせながら、マレウスは茨に囚われたままの生徒に近づいていく。こちらに背を向けていてもなお、その水底のような静かな怒り──そして彼が今浮かべているであろうその表情を感じ取り、身の毛のよだつような思いだった。このままでは、彼らの命すら危ないのではないか。そんな焦りに駆られて、震える体を何とか宥めすかし声を張り上げた。

「つ、ツノ太郎!」

 ゆくりなく掛けられた声に足を止めた彼が振り返る。その表情はいつもより険しく、やはり彼が怒っていることが見て取れた。
 人は、たとえそれが自分の事であっても、自分よりも怒っている人を見れば逆に冷静になれるものだ。気付けば震えも治まっていた。立ち上がり、膝についた砂を払う。それからやわく微笑んで、彼へと手を伸ばした。

「来てくれてありがとう。あの……よかったら、黒鷲の羽を一緒に探してくれないかな」

 驚いたような表情のあと、彼の手に浮かんでいた魔力の玉がたち消えた。力が抜けたようにへらりと監督生が砕けて笑う。少し逡巡した後、マレウスはふと笑みを浮かべて、その手にそっと自身の手を重ねた。

「人の子よ。……全く、お前には敵わないな」





 それから数日後。いつものベンチの上で、マレウスは監督生を待っていた。少しの時間の後、学園側から駆けてくるその存在を見とめてふと唇が緩む。走らなくていいといつも言っているのに、マレウスの姿を見つけては駆けてくる。正体を知ってもなお、自らを恐れることもせず変わらず接してくれるその姿に、心の中が仄かに温かくなるのが分かった。そのぬくもりが何なのかは、分かりかねていたが。

「はー。やっと掃除が終わったよ。待たせちゃってごめん。ええと、マレウス……?」
「別に、無理に呼び方を変える必要は無い」

 なにせ口に出すだけで恐れられてしまう名前だ。多くの生徒が、畏怖の念を持ってその名を呼ぶ。そんな気持ちを、目の前の人の子には与えたくなかった。

「いやでも、せっかくツノ太郎の名前が分かったんだし。それに、君の名前ってカッコいいからさ」

 彼の名前を繰り返し口ずさみながら、子どものようにはにかむ監督生に、ぱちりと瞬きをする。自分の名は恐れられこそすれ、そんなことを誰かに言われたことはなかった。ましてや、こんな陽だまりのような明るい声で呼ばれるなど。

 隣に掛けた監督生は、斜めにかけた鞄を横に置いて、うーんと大きく伸びをした。それから「あ、」と思いついたようにマレウスに向かい合う。

「もしかして、ウィンターホリデーでカードをくれたM.Dって……」
「ほう。ようやく気付いたか」
「そりゃ気付かないよ! 灯台もと暗し……この前聞いたことは恥ずかしいから忘れてね」
「さて、どうするかな」

 本人に聞くなんて、と羞恥で顔を染める監督生の姿につい笑みがこみ上げてくる。忘れよう。そうだ契約をしよう。とどこかの寮長の真似をしながら、監督生は楽しそうに笑っていた。その上で、下弦の月は音もなく静かに佇む。三日月。夜空が笑っているような、穏やかな時間だった。夜の匂いを纏ったさやさやと吹く風が、マレウスの髪を靡かせる。

「でもこれで、次のホリデーもカードが送れるよ」
「そうだな。またリリアに頼むといい」
「そう言えば、この前のカード、たまに読み返してくれてるんだって? 嬉しいな」

 蝙蝠め、余計なことを言ってくれる。心の中をさわさわと撫でつける気まずい思いについ舌を噛む。リリアの悪戯めいた顔が思い浮かぶようだった。

 照れたり怒ったり笑ったり、目まぐるしく表情を変える人の子の姿にマレウスはふと笑みを深める。こんな時間があるならば、退屈な学生生活も悪くは無い。そんなことを思いながら、監督生から語られる、アズール・アーシェングロットが決闘を申し込んできた生徒を軽々とやっつけた話にマレウスは耳を傾けた。





 未明、ディアソムニア寮にて。

 長い影が先導するその傍らを、従者のごとく三つの影が追随する。リリア・ヴァンルージュ。シルバー。そしてセベク・ジグボルト。その前を歩くのは、もはやこの学園でその名を知らぬ者はいないとされている、かの妖精の国の次期王──マレウス・ドラコニア。

「知っておるか。先日、森の禁止区域に踏み込んだサバナクローの寮生がクルーウェルにこってり絞られておったぞ」
「ふん、寮の顔に泥を塗るなど愚者の行い極まりない。ああ若様! このセベク、決して若様の顔に泥を塗るようなことは」
「見つかった寮生らは茨に囚われていたと聞いた。まさか、マレウス様が?」
「なっ。本当ですか、若様!」

 従者の声に薄い笑みで返して、マレウスは前を歩き続ける。後ろでセベクがいつものようにシルバーに突っかかる声を聞いていると、ふとリリアがマレウスの横に並んだ。視線だけを動かして、その上機嫌な顔をとらえる。先程話題を振ったのもおそらくわざとだろう。決して何かを出し抜こうなどの思いはないが、昔からリリアに見抜けぬことはなかった。そう、例えば。

「して、マレウス。その契約≠ヘ役に立ったようじゃの」

 黒手袋越しのマレウスの右手を見つめて、リリアがこそりと囁く。返すように薄く笑んで、その手袋を剥ぎとった。
 マレウスの白い手の甲には、それを覆わんばかりの、監督生への印とは比べ物にならないほどの大きな契約印があった。模様は消えておらず、手の甲にしっかりと残されたままだ。

「か弱い人の子に呪(まじな)い≠掛けてやったんだ」
「ほう。さすが我らの王の優しいこと。それが呪(のろ)≠「の間違いじゃないとよいが」

 瞳の紅がその色を深くして、リリアがにやりと口元を吊り上げる。鋭く尖った犬歯が覗いていた。やはりリリアに見抜けぬことはない、とマレウスは口元を緩める。

 契約印は目立つ位置にあるほど、そして大きいほどに効力がある。彼が監督生と結んだ契約。されどその中身までは、リリアは知らないだろう。

「リリア。お前が気に入っていたあの魔法史の本を貸してくれ」
「あれか? 構わんが、ちと読み返したい事があっての。貸すのは構わんが、いつまでじゃ?」
「ふふふ……そうだな。契約とは、いつまで≠ネのかを明確に定義するべきだろう」


『こうして、これから先ずっと*lと話してくれればそれでいい』


 いつかの夜、無邪気な監督生と結んだその契約。
 監督生は気付くだろうか。いつか元の世界に帰れる方法が見つかったとて、その契約はずっとその右手の薬指から離れることは無いのだと。彼が贈った呪いが自分をこの世界に縛り付ける。闇の中から忍び寄るかのような、そんな未来を。

 他の生徒が見れば、その恐ろしさに身体を震わせるような底知れぬ笑みを浮かべて、マレウスは前を歩き続ける。何かに気付いたように、「やれやれ」とリリアは肩を竦めその後を追った。窓から差す月明かりだけが、そんな彼らの姿を静かに見つめていた。
 
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