王の呪い



 To know what people really think, pay regard to what they do, rather than what they say.
 − René Descartes

(人の考えを本当に理解するには彼らの言葉ではなく、彼らの行動に注意を払え ー ルネ・デカルト)


 1.

 オクタヴィネル寮の生徒が寮長に決闘を申し込んだ。そんな話が、穏やかな真昼のカフェテリアをそよ風のごとく駆け抜けていった。まことしやかに囁かれていたその噂はついには端の席に掛けていた監督生の耳にまで届き、よくもそんな恐ろしいことを、とついまだ見ぬ生徒の無事を祈ってしまう。

 寮長であるアズール・アーシェングロット先輩。細身で?慈悲深い?彼はいかにも優等生といった出で立ちをしていて、勉強では勝てずとも力や魔法でなら、と考える生徒もきっと居るのだろう。そして恐らくはその時点で、彼の策に嵌っているのだ。『イソギンチャクの戯れです』と歯牙にもかけない彼らの声が今にも聞こえてくるようだ。

 ひとつ後ろのテーブルに腰掛けた、ポムフィオーレ寮とディアソムニア寮生の話にこっそり耳を傾ける。噂が伝染したのか、彼らもまたお互いの寮長について話をしているところだった。

「お前のところは、誰か寮長に挑もうとかしないのか?」
「無理だろうね。ヴィル寮長より強い毒なんて、さしものオクタヴィネルの寮長だって作れやしないさ。君のところはどうなんだい」
「あのマレウス様に挑もうなんて愚か者がいるなら、学園中の笑い者になってしまうぜ。熱心なドラコニアンから刺されたりしてな」
「違いないね」

 マレウス様。マレウス・ドラコニア。まだあまり馴染みのないその名前を頭の中で反芻する。
 未だ会ったことの無いディアソムニアの寮長について知っていることといえば、世界でも五本指に入るほどの魔力の持ち主であること、マジフトが恐ろしく強いこと、そして寮生からは崇拝めいた扱いを受けていることくらいだ。きっととんでもなく怖い人に違いない。闇の魔法を使ったり、死神みたいな大きな鎌を振り回したり、

「頭からツノが生えていたり……なーんての」
「っうわ! リ、リリア先輩!」
「ふっふっふ。相変わらずのいい反応で癖になりそうじゃ。トレインの猫のように毛を逆立てよって、面白いの。ああ、そこのお主、すまんかった。わしのことは気にせず話を続けてくれ」
「いつも上から来るのは辞めませんか!?」

 同時に立ち上がった後ろのディアソムニア生が、腰を直角に曲げてリリアに一礼してから去っていく。やれやれ、と口元に人差し指を携えて笑うリリアは、されど悪びれた様子もなく前の席に腰掛けた。

「ディアソムニアって、そんなに上下関係厳しいんですか?」
「そんなことはない。寮長の力が圧倒的すぎるだけじゃ。あやつは入学したその日に寮長になったくらいだからな」
「に、入学初日にですか……?」

 一体どんな力があればそんなことが出来るのだろう。まだ見ぬ寮長の姿に頭を悩ませる監督生の姿に、頬杖をついたリリアがにやりとその八重歯を覗かせる。寮長もさすがだが、そんな寮長のことを?あやつ?と言ってのけるリリアも、きっと只者ではないはずだ。

「ディアソムニアの寮長……マレウスさん、ってそんなに怖い人なんですか?」
「お主もそう思うか?」
「いえ、そういう訳じゃないんですけど。みんな名前を言っただけで真っ青な顔するから、そんなに恐ろしいのかなって」

 何とも愉快そうな顔をしたリリアが、悪戯を企む子どものように口元を吊り上げる。その意図を汲みかねて、監督生は水のグラスを片手に首を傾げた。

「そうでもないぞ。あやつもお主ら人の子のように笑い、怒り、拗ねたりもする。まだまだ青いやつよ」
「青いって、そんな子どもみたいに。リリア先輩と同じ学年じゃなかったんですか?」

 笑顔だけで返されて、行き場をなくした問いかけと共に水を飲み込む。前にも、魔法史の教科書に載っていることをまるでその目で見てきたように語っていたリリアのことを思い出す。達観しすぎているというか、この人はこの人でとても変わっていて掴みどころがない。普通であることがアイデンティティになるほど、一癖も二癖もあるような変わり者が多いこの学園だが、リリアはその中でも一層その色が濃いような気がする。

「そういえばすっかり伝えるのを忘れておったが、お主からのホリデーカードはしっかりと渡しておいたぞ」
「ああ。ありがとうございます」

 ウィンターホリデーの最中にリリアが届けてくれたホリデーカード。貰ったのはいいものの差出人が分からず、返事を渡せずにいたところをリリアが声をかけてくれたのだ。Mr.Sの店で買った、可愛らしい雪だるまの絵が書かれたポストカード。ホリデーが明けてからにはなってしまったが、無事にM.Dさんの元に渡ったらしい。
 それにしても、季節が変わり春になっても結局M.Dさんの正体は分からないままだった。次のホリデーまでには、カードを出すためにも是非それが誰なのかくらいは知りたいところだ。リリアは『言ってしまっては面白くない』とはぐらかすばかりで、何も教えてはくれなかったが。

「返事を書いてくれて礼を言う。あやつも喜んでおったぞ。たまに見返しておるくらいな」
「よかった。自分にまでカードをくれるなんて、きっと優しい人なんでしょうね。早くM.Dさんと会ってみたいです」

 そうかそうか、とリリアが含み笑いをする。なんだか腑に落ちない様な気持ちで、監督生はグラスの水を飲み干した。




「ごめん、ツノ太郎! 遅くなっちゃった」
「走らなくていい。転ぶぞ」

 騒がしさがその声を潜めた夜、オンボロ寮の前。学校鞄を下げたまま、少し造りの悪い石畳の地面を抜けてツノ太郎の元へと駆ける。寮の前の道のベンチに腰掛けていたツノ太郎は、学園側から走ってくる監督生の姿を見とめて薄らと微笑んだ。

「グリムが錬金術の授業中にクルーウェル先生の瓶を割っちゃって。その連帯責任で実験室の掃除してたんだ」
「アイツがあんな所に置いておくのが悪いんだゾ!」
「はいはい。グリムは先に中に戻ってていいよ。テーブルの上にツナ缶置いてあるけど、一つしか食べちゃダメだよ」

 大好物の単語に目を輝かせたグリムが一目散に寮へと戻っていく。やれやれ、とその後ろ姿を追いつつ瞳に優しさを携えた監督生を、彼は自分の隣に掛けるように促した。
 ツノ太郎という変わった友人(名付けたのはこちらの方だが)に出逢ってから早半年以上の月日が経つ。以前から彼は時折静かな場所を求めてはこのオンボロ寮の前に来ていたが、ウィンターホリデーの後はその回数も増え、今ではこうして待ち合わせて世間話をするほどの仲になっていた。名前も素性もよく知らないツノ太郎と過ごす時間はされど心地よく、最近では一日の終わりの楽しみとも思えるほどだ。

「そう言えばツノ太郎、M.Dって人知ってる?」

 ふと昼間のリリアとの会話を思い出し、話を振ってみる。彼は少し驚いたようにその瞳の黄緑を見開いて、されどすぐにその目をやわく緩ませた。その綺麗な光が眩しくて、ちかちかとする。

「さて、聞いたことが無いな」
「そっかあ。うーん、ディアソムニアの人だと思ったんだけどなぁ」
「そいつがどうかしたのか?」
「この前のウィンターホリデーの時にカードをくれたんだけど、誰か分からなくて。会ってみたいなって思ってるんだけど……誰か知ってる人いないかなぁ」

 うんうんと頭を悩ませる監督生に、「そうか」と普段よりはいくらか優しいツノ太郎の声が降ってくる。その上で、春の夜空を彩るように星が瞬いている。時折吹く風に刺すような冷たさはなく、どこか柔らかい。道なりの街路樹たちは、もうすぐその芽を開くだろうか。

「そういえば、オクタヴィネルの寮生がアズール先輩に決闘を挑んだんだって」
「それはそれは。勇気のある生徒がいたものだ。アーシェングロットにとっては児戯にも等しいだろう」
「ここの生徒って、なんていうかその……結構血気盛んな人が多いよね。自分も前に、魔法出来ないからって目をつけられて追いかけられた事もあるし」
「……そうなのか? なぜ僕に言わない。それはいつだ? どこの生徒だ?」
「や、大丈夫だったから! 逃げ足だけは早いし、何とかなったよ」

 ぴしり、と空間に亀裂が入ったような空気感を察して、慌ててその場を取り繕う。ツノ太郎は声も低く身長も大きいからか、威圧感というのがすさまじいのだ。それが彼の抱える魔力の大きさによるものだということは、魔力を感知できない監督生はついぞ知ることは無かったが。

「次からは、何かあれば必ず僕を呼べ」
「そうさせてもらうよ。でも、魔法も使えないし、どうやったらいいんだろう」
「そうだな……ではお前にこの僕から贈り物を授けよう」
「贈り物?」
「契約のようなものだ。お前の身体の一部に印をつける。好きな場所を選べ。なに、目に見える痕は残りはしない」

 好きな場所、と言われても困惑してしまう。迷っている様子の監督生に、「目立つ場所のほうがより威力は高い」と彼は付け加えた。ならばとりあえず手を、と右の手のひらを差し出す。黒の革手袋がその手を掬って、何かを唱え始めた。
 その瞬間、茨のようなホールマークが空間に浮かび上がり、吸い込まれるように薬指に貼り付けられた。「わっ」と声を出したのも束の間、その刻印は薄らと消えて、やがて見えなくなった。そっと離された右の手を月にかざしてみるも、何も透かせない。
 よく分からないが、何かすごいことが起きたのだけは分かる。ちらりとツノ太郎の方を向くと、彼は少し満足気に微笑んでいた。

「次に何か困ったことがあれば、心の中で強く僕の名を叫べ。お前が望む限り、どこへだって駆けつけよう」
「名前……えっと、ツノ太郎でもいいの?」
「ああ、そうだったな。それでも構わない」

 ツノ太郎がくすくすと笑う。思えば、こういう砕けたような彼の笑顔が見れるのは珍しい。少し嬉しくなって微笑み返してから、はっと何かに気付いたように監督生は居住まいを正した。

「そ、そういや契約なんだよね。貰ったんだし、自分も何かツノ太郎に返さなきゃ」

 契約の掟は等価交換です、と微笑みながら眼鏡のブリッチを中指で支えるどこかの寮長の影が忍び寄る。マドルはないし、勉強だって教えてもらう側だし……とぐるぐる目を回す監督生にくすりと息をこぼして、ツノ太郎は何かを考えるように折った指の角を顎に当て「ならば」と口を開いた。

「こうして、これから先ずっと僕と話してくれればそれでいい」
「ええ、それだけでいいの?」
「ああ、十分だ。ふふ……契約は成立でいいか?」
「もちろん!」

 ツノ太郎が自身の右手を持ち上げて、再び何かを唱え始める。その瞬間、黒手袋の中で何かが眩しく光り、すぐに見えなくなった。それが当たり前の世界に囲まれて麻痺していたが、やはり魔法というのは素晴らしい。使えるようになればさぞ楽しいことだろう。

 その後もなお、何度も右の手を夜空に透かし見る監督生の傍らで、彼は薄らと微笑む。
 夜がその色を深くする頃。彼はおやすみを告げて、一瞬のうちに姿を消した。ふわりと宙を舞う淡い黄緑色の光を眺めてから、監督生もまた自身の寮へと戻っていくのを、月だけが静かに見下ろしていた。
 
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