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『ないものねだり』独歩と一二三で三角関係


 学生時代、密かに憧れていた明るくてコミュ力の塊みたいな同級生が、「観音坂って奨学金の返済ないからいいよな」なんて、俺が四百万掛けたって手に入れられないような愛想を振りまいてそう言った。人生っていうのはそういうものらしい。

 人ひとり分ほどの隙間を空けて、彼女は隣に腰掛けていた。空を見上げながら眉を下げて、横顔でも綺麗なままの睫毛は、電灯に照らされて少ししっとりとしていた。瞼の縁は赤みを帯びていて、俺はふと、ハゲ課長から承認印を貰うまでの俯いた先にある朱肉の色を思い出した。いつまでも瞼の裏に残るような、そういう色だ。
 こういう時に、上手い言葉のひとつも出ない自分に嫌気がさす。これで営業マンをやってるんだから、ホント向いてないにも程があるんだよな──なんて、落ち込んでいるのは俺じゃなくて彼女のはずなのに。


 彼女と出会ったのは、まだ俺たちが大学生だった頃。
 今でも覚えている。暑いんだか涼しくなったんだかよく分からない秋のことだ。
 あの時、サークルの飲み会でやりたくもない幹事をやらされたのも、全員が会費に「はいコレ。お釣りちょーだい」なんて一万円札ばっかり渡してきやがったのもきっと全部不慣れな俺のせい。それでもその中で、彼女が封筒に入れて渡してくれた四千三百円と、周囲におつりを掛け合ってくれたその姿に、俺はすぐに恋に落ちた。テコよりも簡単な原理だ。
 薄手のカーディガンを脱いで、まだ夏らしい色をした半袖のワンピースを着ていたと思う。それまでろくに恋なんてしたことのなかった俺は、心臓を馬鹿みたいに鳴らしながら彼女の隣でビールを飲んでいたっけ。
 そうして、そろそろお開きにするかなんて雰囲気になった時。
 当時はまだ新米ホストだった一二三が『暇だったから』と俺を迎えに来て、その場の女子の視線を総ざらいし、男たちから俺まで冷たい視線を浴びることになったんだ。何やってんだよ、なんて腕を引いて、最後に彼女にお礼を言おうとした、その時。
 他人が恋に落ちる瞬間を、俺は生まれて初めて見た。
 大きな瞳は、俺に向けられるものよりもずっとキラキラしていて、まるで砕いた宝石をその中に散りばめたみたいで。まとわりついた酒の匂いも煙草臭さも忘れて、彼女はまっすぐに、何よりもひたむきに、俺の隣に立つ一二三を見ていた。
 ああ。彼女が一二三を好きになったのも、やっぱり俺のせいだったのだろうか。


 卒業してからも、職場のオフィスが同じビルにあったこともあり、彼女とは友人と呼べるくらいの関係は築けていた。たまたま職場の近くに立ち寄ったホストモードの一二三と話したりもして、そんな彼女の綺麗な瞳を、俺はずっと横から眺めていた。
 そして、今日。
 彼女を俺たちの家に誘ってご飯でも食べないか──と話を持ちかけたのは一二三だった。きっと一二三は俺の気持ちに気付いていて、いつまで経ってもアリのようにしか歩めない俺に痺れを切らしてそんな提案をしたんだろう。俺はそれを彼女に『一二三が呼んでいるから』なんて話して、彼女は花開くようにしてそれを了承した。
 その日は珍しく二時間の残業で済んで、彼女と二人でコンビニでお酒を買って、それを分け合って夜道を歩いた。いつもと同じ帰り道も、彼女がいれば少しだけ新鮮に感じた。彼女の声は心なしか弾むようで、俺はその声を聞きながら、これでいいんだって自分に言い聞かせた。
 そして玄関ドアを開けた、その時。
 生憎にもジャケットを着ていなかった一二三は、彼女の姿を見て、セミの抜け殻よろしく俺の腕にしがみついてきた。かの有名な『叫び』を描いたムンクも、きっと描いてる間はこんな顔してたんだろうな──なんて表情をその腹が立つほどに整った顔に貼り付けて。一二三が彼女を見る目。それは間違いなく、怯えだった。
 そしてそれは、彼女には耐えられない齟齬だったようだ。
 そのまま走り出した彼女を追いかけて、その下にある手を掴んだ。人工的なライトが照らす夜の街で、二人分の呼吸音だけがぼんやりとしていた。そのまま近くにある公園のベンチに掛けて、言葉もないまま、ただ星のひとつも見えない空を眺めた。

「ごめん。一二三って本当に女が駄目なんだ。……でも別に、アイツにも悪気があるわけじゃなくて、その」

 誰に対しての言い訳をしているのか、自分でもよく分からなかった。ただ闇雲に流れた言葉は、夜の中に溶けて消え去っていく。

「一二三くんは、本当に独歩くんのこと信頼してるんだね」

 風邪をひいた時みたいな声が、彼女の口から漏れ出す。言葉は少しの微熱をはらんで、揺蕩う。

「私は、独歩くんになりたかった」

 声は、震えていた。
 その瞬間。胸の中に閉じ込めたままの思いが、堰を切ったように溢れ出した。それは垂れて、広がって。何かに揺り動かされるようにして持ち上がった手のひらが、彼女の瞳にうすく張った涙を拭いとる。
 人はいつだってないものねだり。
 それでも人生っていうのは、そういうものらしい。

「俺は、一二三になりたかったよ」
 ああ、俺は君の涙を拭うことはできても、君が涙を流すほど好きな奴にはなれやしないんだ。
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