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僅かに乱れた息を整えながらフィンクスはとある場所で足を止めた。





「ナマエ…、またここにいたのか」


街頭の光さえ届かない路地裏の廃れた公園でナマエは一人ベンチに座っていた。

俺とナマエは多分、他の男女に比べたら小競り合いの少ない方だと思う。と言うより無いのかもしれない。お陰と言うべきか、所為と言うべきか、ナマエの歪んだ消極さがそうさせていた。声を荒らげた所は一度しか見た事が無い。言い合いになっても感情的にならず一言一言をしっかり考えているようだ。それがナマエの他人との特異な点なのかもしれない。

初め自分には感情に左右されるという事が分からないと言っていた。自分に感情と言うものがあるのか分からないとも言っていた。俺もそう思った。怒りも悲しみも喜びでさえも感じていないのだと。そんな人間も居るだろうと自分の中で納得していたのだ。

ナマエがここに来るのは言い争って飛び出した時では無い。恐らく自分が少しでも感情的になっていると思ったら何も言わずそうするのが当たり前であるように来ているのだろう。
いつもベンチに小さく丸まるように座り込みぼんやり地面を見つめていた。まるで自分で自分を押し付けている様な、何かを堪えているかのようだった。

怖いんだろう。今まで抑えられていた感情が自分から沸き立つのを止められない事が。







「またここにいたのか」


アタッシュケースを側に置き、ナマエはベンチの上で踞っていた。但し今までと違いその表情は見えない。


「何考えてんだ」


自分のこの声が果たして怒りを含んでいるのかは分からない。ただ外界から自分を隔離させようと腕に顔をうずくめるナマエに声が届けばどんなでもよかった。


「何で一人で逃げた」


一歩歩を進めるとナマエはびくりと肩を揺らした。少し沈黙の時間が続いてから、ゆっくり、犬が目上を怯える様に顔を上げた。何時もは目を合わせて話すナマエが今はじっと地面の一点を見詰めている。


「フィンクスは、…駄目だよ」


やっと発した言葉も途切れ途切れで、この場所でなければ雑音に掻き消されていたかもしれない。


「幼馴染みなんでしょ、駄目だよ」

「主語が無えよ」

「蜘蛛がだよ。分かるでしょ」


苛立ちなのか眉根を寄せるナマエの声は震えていた。


「じゃあ何だ、俺が旅団から煙たがれないようにお前が居なくなるとでも言いてえのか」

「その方が良い」

「勝手に決め付けてるんじゃねえぶん殴るぞ」


オーラが身に纏ってもナマエは俺を見る事は無かった。
決めた事はそう揺るがない。俺が知っているナマエの性格の一つだ。例え其れにどんな苦難が添加しても進んで来た。多分俺が一番良く知っている。


「…何時も言ってたでしょ、私を庇うなんて馬鹿らしいことしないで」


堪えきれない様子でナマエは立ち上がり、固く己の手を握り締めて声を上げた。何時ぶりかの怒声だった。普段の無表情も怒りに歪み、オーラも揺れている。


「なら何で遠くまで行かなかった」

「だって…」


強く否定しようとしたナマエの声はだんだんと消え入り、表情も弱々しくなる。そのまま暫くじっと立ち尽くしていたナマエはゆっくり此方に歩いて来て触れられるかどうか手探りをするようにジャージに手を伸ばした。てっきり殴られでもするのかと思っていた所為で少し怯む。俯いたままの頭がぽすんとそのまま胸に当った。


「やっぱり、嫌われても着いてく。…だから、フィンクス」


握る手に力をいれながらそう言ったナマエは恐る恐る顔を上げて一度言葉を飲んだ。怯んでいるのか噛み締めているのか、自分でも理解できないし考えようともせず一言も発さず、ただそれを見つめ次の言葉を待つ。


「邪魔だと思ったら殺して」


余りにも真っ直ぐな瞳だった。ただ其れに浮かぶ僅かな違和感も分かる俺は無意識に薄ら笑を零していたようだ。


「泣きそうな顔してそんな事言われてもな」


俺の言葉にナマエははっと何時もの無表情に戻り、赤くなった頬を両側から押すように撫でた。






「何と無く、ここにいたらフィンクスが来てくれる様な気がして」


自分から出て言ったのに、変な話だ。


「いちいち迎えに来るこっちの身にもなってみろ」

「ごめん」

「…別に怒っちゃいねえよ」

「ありがとう」

「帰るぞ」


感情、ね。こんなに強く手を握ってくるのに愛情は感情にはカウントされないのか?
まあいいだろう。きっと俺が持ち得る言葉をいくら駆使してもナマエを納得させるのは難しい。
いつかこいつが自分自身でそれに気付けるまで、何度でも迎えに来てやるさ。



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