おやすみなさいのあと
 冬が来る。すっかり陽が落ちると、一気にその訪れを感じた。紐を下げカチリと消灯すれば虫の声までも静まり返って、先日までの秋季は息を潜める。纏う冷気、芯まで冷えた布団、寄せ合う体。その間に増やした一枚の毛布を貴女と包まって、湯たんぽのように足を絡ませた。ああ冬が来た、朗らかで暗がりの日々が、こうして。

  伸ばした右腕に小ぶりな頭が転がる。んう、寝言か寝息か上擦る声。とくんと静かに胸が弾む。指先に触れる髪は柔らかくて艶やかだ。唇を寄せれば心なしか仄かに甘い香りがする。商店に泊まる晩は、シャンプーも石鹸も同じものを使っているはずなのに自分のそれとは全く違うようで不思議だった。

 頬に触れれば温かくて、広げた手のひらでそっと覆えばこの掌中に収まってしまうんじゃないかというほど、泡沫のような脆さを覚えた。首筋から鎖骨にかけてなぞるように指を滑らせていくと、くすぐったそうに身を捩らせた。安眠するのだから起こしては悪いと、すぐに止める。そしてまた穏やかな呼吸に戻った。

 すう、すう。なまえの浅い気息。胸の膨らみが上下に浮き沈みする。規則正しい動きに、もうそんなに気を許してもらえているのかと今更に安堵した。自分にしか得られない特権をこうして有り難く享受していることは正直嬉しい。

 眠くなるまでこの穏やかな寝顔を見つめていた。光を落としたはずなのに貴女の姿だけは眼にくっきりと映る。障子から入る僅かな月明かりがスポットライトのようで、その陰陽が際立った。暖炉の火を眺めるように、このままずっと見据えるだけでいい。いつからか。なまえと出逢い、ただ見つめるだけで心が満たされるものなのかと知ってしまってからは、自身を腑抜けだと自負している。無論、公言はしないが。

 ……ああ、そろそろか。もう目蓋が上がらない。瞑ってしまう合間さえも惜しいというのに。目蓋の裏に描いてしまう貴女も、幻聴に呼ばれる名前も、本物には敵わないというのに、どうして夢にまで見てしまうのだろうな。ヒトがこれを愛おしいと定義するのなら、まったくもって文字通りの状態だと思う。それはもう滑稽なほどに。
 空想に浮かぶ貴女はどこか辿々しく「喜助さん」そう何度も紡いで。真っ暗の世界で彼女の口許が綻ぶさまを、堪能しているのだから。


 肌寒さで目が覚めた。
 すっかり寝入っていた。いや寝ているのだから寝入っていいのだが。ただ、起きると直前まで見ていた夢が思い出せなくて損をした気分になる。目蓋を上げる瞬間まで多幸感に浸っていたなら尚のこと、もったいない。恐らくその夢でも貴女と過ごしていたのだろうと、己の事は想像に容易い。にしても冷える。寝相が悪かった自覚はないが毛布から出ていたらしい。そりゃ寒くなるわけだと片手と足で掛け直す。

 もう片腕はなまえの枕となって身動きができない。
 横を見る。彼女にはしっかり布団がかけられていたのでよかった。そしてその頭部は手のひらまで寝返って移動していた。じんじんと指先の感覚が鈍くなって薄れる。貴女が此処にいるという質量を直に感じられて。この腕の痺れまでも愛おしく、逃したくはなかった。

 ああまた、眺めていたいのに鉛のように上瞼が下がってくる。眠ってしまえば腕の痺れも忘れてしまうのに。けれどこの至福でいっぱいの多幸感に浸りながら微睡む瞬間は、起きたままでは味わえない。欲しては手放す。幾夜を渡って噛み締めては繰り返すのだろう。貴女へ発せられる慈愛が堪らなく心地良いのだと。

「昨晩は可愛らしかったっスよ、なまえサン」

 逆になったが続けて、おはよう、と告げればなまえはギョッとしていた。

「え、なんでですか、なにがあったんですか寝てる間に」

 羞恥に顔を覆いながら、どんな醜態を晒したのか、と気にするさまが胸を擽ぐる。

 ──ほんとうに、かわいらしい。

 告げた言葉以上に噛み締めれば、自ずと口許が緩む。自分の中で何かがあったのは事実だが真実は伏せておいた。今後口外することもない。これからも毎夜、この特権を行使するのだから。

「ええ、貴女が寝てる間に有り難く堪能させて頂きました」



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