喜助が、しっかり掴まってて下さいね、と声をかけるとすぐに瞬歩で移動する。

 瞬く間に着いた宿舎。そこで荷物を取ってから五番隊舎へ。執務室へ直行すると、扉の前で一度降ろしてもらった。戸を引いた喜助が「失礼するっスよー」と軽やかに入室していく。そこには案の定、喜助の予言どおり乱菊もいた。

「あっゆかさんに浦原さん!」

 一番に気づいたのはソファで横になっていた乱菊だった。

「なんや? もう出歩いてええんか?」

 次いで寄ってきたのは職務放棄中の平子。別の名をサボりというのだろう。彼は耳を掻きながら、「いやぁ、ええとこきたわァ。桃おらんしちょうど暇やってん」と実にサボり魔らしい言い訳を放つ。その光景にくすりとしながら「桃さんがいないから乱菊さんもここでお煎餅を食べてたんですね」と事実を突っ込んだ。

「ゆかさんまで何言うのよー! 雛森帰ってくんのを待ってんのよぉ」

 彼女は食べかけの煎餅を置いて、崩した脚を戻すように座り直した。

「ところで、どーしたの? 浦原さんまで一緒に来て」
「せやで。言うても自分ら遊び来たんとちゃうん」

 にやりと歯列を覗かせる。それになんて告げようか「えっと」と口籠ると喜助がすっと前に出た。

「いやぁ、実は今から現世へ帰ろうと思いまして。そのご挨拶に来たんスよ」

 言い出しづらいだろうと気づいていたのか、彼が代わりに切り出してくれた。

 すると一瞬の間も置くことなく、二人は「えー!」と驚く。

「なんやねんそれ! まだ病み上がりやろ? アカンやろ」
「そーよ! 許可なく詰所って出れんの?」

 座っていた乱菊が勢いよく立ち上がり詰め寄る。その勢いに圧倒されながらも、あはは、と乾いた笑いを盾にしては喜助に視線を送った。

「もう京楽総隊長に虎徹隊長、二人に許可貰ったんで問題ないっスよん。それに急にこっちへ来たもんですから。あっちに野暮用を思い出したんで戻らないといけないんス」

 この説明に乱菊は「そうなのねぇ、悲しいけど仕方ないわねぇ」とすぐに納得したようだった。
 ところが平子は眉を顰めて圧し口に。誰が見ても、全然納得いかへん、という顔をしていた。

「せやったらお前が先に帰ったらええねん。無理にゆかちゃん連れてかんでも、」

 なァ、乱菊ちゃん? との問いに同意するどころか深い溜息を吐いた。

「平子隊長ってほんとになんて言うか。乙女心がわかんないわよねー。呆れて言葉が出ませーん」
「なんやと? 言うたそばからベラベラ出とるやんけ」

 平子の言葉を華麗に躱し、距離を詰めたと思えば両手をぎゅうっと包んだ。

「まぁ平子隊長のことは気にしないで、二人で仲良く帰ってね! 絶対また遊びに来るのよ? あ、次は織姫も連れてきて! ご飯行きましょ!」

 華麗に躱す彼女に「またそない無視するんか」と平子はしょんぼり首を垂らす。

「はい、また遊びに来ますね! 織姫ちゃんも、みんなで」

 そして最後の挨拶を「お二人には本当にお世話になりました、今までありがとうございました」と告げて、今出せるありったけの笑顔を貼り付けた。平子は伏し目がちに視線を逸らす。いつも前向きな彼には珍しく、どこか寂しげな色をその眼に残していた。

「……向こうでも無理せんと元気にな、ゆかちゃん」

 直前よりも明らかにか細い声の平子に、乱菊が驚いたように「なによそれ、そんな永遠の別れじゃないんですからぁ」と笑う。すると、がらり。後ろの執務室の戸が音を立て開いた。

「あっ! 浦原さん、ゆかさん! もう出ていいの?」

 雛森が少量の書類を抱えて戻って来た。

「桃さん! 戻ってきてくれて良かった……急ですが今から帰ることにしたんです」

 すみません、心苦しく頭を下げた。

「えっええー!! 早々にって浦原さんは言ってたけど、そんなに早いとは思わなくって。……あたし、餞別もまだ用意してないよぉ!」

 慌てふためく雛森は、手に持った書類を近くの机へどさっと投げやった。

「どっどうしよう平子隊長!」
 と律儀に気にしはじめる。
「どうしたもこうしたもあらへん。もう帰るんやて。桃もちゃんと挨拶したり」

 先ほどの態度とは打って変わり、平子はようやく隊長らしい振る舞いを見せた。

「ゆかさん!」改めて名を呼んだ雛森はぎゅっと腰に抱きつく。その手は控え目に、けれどしっかりと。予想外の行動に目を丸くしながら、自分も同じように彼女の背中へ手を回した。

「……寂しいよぉ」

 顔を埋める彼女が、嬉しくて、哀しくて。目頭がじわりと滲んでいく。

「短い間だったけど桃さんにはたくさんお世話になりました。本当に、本当に。……ありがとう」

 一番近くで傍で支えてくれた真っ直ぐで強くて健気な女性に、想いの丈を伝えたくて。最後に背中をぽんぽん、と。熱い抱擁に応える。雛森は薄っすらとを潤ませながら「ううん。こちらこそ、ありがとう」そう告げて体を離していった。

「……あ! お借りしていた死覇装、勇音さんにお願いして保管してもらっていました」

 ガサゴソと荷物から綺麗に折り畳まれたそれを手渡すと、雛森は眦を濡らしながら「なんだか懐かしいね」と顔を綻ばせた。

「また、遊びに来てね。みんな待ってるから」
「うん」と目一杯の破顔を。
 そして暫く黙っていた喜助が「じゃ、そろそろ行きますかね」と切り出した。見送る三人に背を向ける。執務室の廊下へ出たところで、後ろから声が響いた。

「無理せんと、自由にやりや」

 それに喜助と二人して振り返った。あの夜、平子の発した優しさが鮮明に蘇る。

 ──『もっと自由に生きられたらええのに、そしたらもっと幸せなはずなんやけどな』

 この言葉にはどれほど勇気を貰ったのだろう。時には生き急いでいたことも、自分を見失いそうになっても。この地に来て本当に良かったと。だから覚悟を決められた。

「はい、自由に生きてみせますよ」

 そう言ってから、深々とお辞儀をした。
 こうして五番隊でのお別れを済ませ、十三番隊へと向かう。
 敷地を一歩出たところで、最後にまた別の声が。

「次に来たら聞きたいこと山ほどあるんだからねー!! 覚悟しなさいよー!!」

 他所の隊にも聞こえるのではってくらいの大声で。両手を口周りへ添える乱菊。それだけを叫ぶために入り口まで見送りに来ててくれた。姉御肌な彼女にも結局恋路の真実は告げられなかったな、と当初を思い返す。けれど今の、平子を宥めていた様子から察するに、彼女に嘘なんて通せなかったのだと気づいた。最初っからお見通しだったのだ、きっと。

 そうして振り向きざまに会釈を終えると、ゆっくりと進む。リハビリがてら歩く度に、喜助がこちらの足下をちらちらと見ては心配そうな素ぶりをして。その配慮は視線から感じていたが、体力の回復も兼ねていたので、敢えてそのまま触れないようにしていた。
 ところが遂に痺れを切らしたのか、喜助が開口する。

「……お姫様抱っことおんぶでしたら、どっちがいいっスかねぇ?」
「へ?」

 掴まって下さいとか、休みましょうだとか。そういった休憩を想定していた。あまりに素っ頓狂な声を上げたあと、なにその質問、と鳩が豆鉄砲を食ったような顔を晒してしまった。当の本人は至って普通に「特別に選んでいいっスよ」とにこやかに問いかける。よくもまあ羞らいもなく言えるもんだと感心の目を向けつつ適切な返答を探した。

「え、いや。じゃあさっきと同じでいいです……」

 おんぶで、と口にするのも気恥ずかしく、誤魔化した。
「そっスか!」と返ってくると同時に、目の前に屈む。再び「お邪魔します」と暗色羽織りへ乗って、その逞しい両肩をぎゅ、と。少しだけ強めに掴んでしまった。背後だし、見られていないのをいいことに、その広い背中へ顔を埋めた。温かい人肌に彼の香り。ゆるゆると頬が緩んでしまう。

「なに独りで楽しんでるんスか? 子供みたいに嬉しそうにして」
「んな、なにもしてないですよ、」

 どうして今の表情がばれたのか。慌てて否定すると、あはは、と喜助が笑う。

「でもまぁ。お姫様抱きは一番最初の救出時にしましたもんねぇ」
「っ、よくそんなこと憶えてますよね……」

 こちらの羞らいなど彼は露知らず。直後に「動きますよー」と聞こえたと思ったら、また秒速ほどで移動が完了した。おぶられたまま十三番隊の敷地へ入れば、実にタイミングよく。出動する隊士たちを見送るルキアとばったり遭遇する。

「浦原! ……それにゆか殿! おぶられてまで一体どうしたのだ? ゆか殿はまだ四番隊にて治療中ではなかったのか?」

 ルキアは疑問が尽きないといった顔をしていた。

「実は……今日帰ることになったんです。それでご挨拶に、」

 そう告げ、喜助の背中から降りる。駆け寄るルキアは「なんと!」と両手を握り締めた。驚くよりも早く身を近づけて、しかも乱菊と同じ言動をする彼女にまた口許が綻んだ。

「それはとても寂しいが、別れは仕方ないな。体調が良くなったら甘味処にでも行こうかと思っていたのだが……また此方へ来た時にでも行こう!」

 甘味処と聞いてふわりと思い出していく。雛森と行った流魂街やルキアの好物。ルキアは朽木家の貴族、きっと兄様譲りの素敵なお店をたくさん知っているのだろうと思った。

「いいですね! 朽木さんと一緒にまたご飯行きたかったですよ、美味しい白玉屋さんも知ってそうですし」

 羨むように目を細めると、ルキアは僅かに小首を傾げた。

「よく憶えているな! 実は白玉で名高い店があってな。紹介しようと思っていたのだ」

 そう言われてから数秒。……よく憶えている、のではない。好物に関しては誰からも聞いてなかった、とハラハラしながら気づいて「お酒の席でも記憶力だけはいい方なんですよね、私」とお食事会で知ったことにした。当たり障りのない嘘を重ねることも、もう慣れた。ルキアはその言い訳を信じてくれたようで「酒に呑まれぬことは良いことだぞ」と誇らしげに首肯く。

「では次回に来た時にでも連れていって下さいね」

 こちらの勝手な約束に「無論だ」と胸を張ってくれる。
「阿散井くんに竜ノ介くんと理吉くん。結局会えなかったけど志乃さんにも宜しくお伝え下さい。……朽木さん、たくさんの心遣いをありがとう」

 この億劫な性格を考慮して六番隊にいた恋次を遣いに出してくれたこと。お食事会でも気遣ってくれたこと。この場所に来て、一番最初に出迎えてくれたこと。──彼女の心温かな存在全てに。

「ああ、こちらこそ。恋次たちに伝えるよ、うちの隊士たちにも良くしてくれて有難う」

 また会おう、絶対にだ。彼女はそう告げて、優しく手を振って。御礼をしてからその場を離れようとした時、あっと思い出したように「浦原には気をつけろよー!」と溌剌な声を上げた。最後まで彼女らしい忠告に、ちらりとその彼を横目で見やる。「はーい!」と答えながら手を振り返せば、喜助は「何をどう気をつけるんスかねぇ……」と興味無さげに呟いた。

 逢えた人々に別れの挨拶を済ませ、ようやく現世へ足を向けた。その矢先、後方から大きな駆け足の音がどたばたと近づいた。

「ああ待って待って! ゆかさーん! 浦原さーん!」

 歩む足を止めると、息を切らした竜ノ介が膝に手を当てながら立っていた。

「ギリギリ間に合いましたぁ」と眉を垂らす彼の隣には兄の理吉が同じように肩を上下に揺らす。

「驚いたあ、竜ノ介くんに理吉くん! ここにいるってよくわかったねぇ」

 急遽決まった帰還は他の誰にも告げていないのに、と二人へ近づく。

「僕がさっき遣いで五番隊へ行ったら、雛森副隊長がいらっしゃって。血相変えて言ったんです、早くお別れ言ってきなさいって。それで六番隊に行って理吉に……。ほんと良かったですよ……」
「オレもまさか今日帰るなんて思わなくて……でももっと元気になったら、また会いましょう!」

 寂しげな竜ノ介とは対照的に、理吉は兄らしく構えた振る舞い。病室で先に帰ることを聞かされていたからか、理吉は心の準備ができていたのだろう。

「僕も志乃さんと駐在任務でまたそちらへ行きますから……!」

 竜ノ介は「それに、浦原商店にもきっと沢山お世話になると思うので」と苦笑する。
 ああきっとお店に居候し続けると思われているんだなと察した。なんでもない未来の約束に首肯くことを一瞬だけ躊躇したけれど、それを感じさせないように精一杯の笑顔を贈った。

「うん、またどこかで会おうね。私と出逢ってくれて本当に、ありがとう」

 止めていた足を喜助の佇む方へ。歩みながら振り向いて、右手を宙へ伸ばしてゆっくりと揺らした。この別れを惜しむように、二人も同じように手を振り続けて。後ろ髪の引かれる思いを断つ。

「そんじゃ、行きますか。ウチへ帰りましょう」

 結局任務中とあって、通りかかった知り合いの死神はあまりいなかった。けれど当初の目的は果たせたのでこのまま戻る決意を固めた。「はい」そう答えてから今一度、この広い瀞霊廷をぐるりと見回した。それは初めて来た日と同じ、清々しいほどの群青が広がる。濁りなく晴々として出逢いにも旅立ちにも相応しい。意外にもすっきりとした気持ちを抱きながら、天を仰いだ。

「さようなら、」

 彼に届かないほどの幽かな声で呟いて。この異質な魂は消え去る。

 ──尸魂界。魂の輪廻を司る世界から、本来いるべき世界へと。

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