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 あのあと、無事に虎徹隊長から面会許可も下りて、勝手に想像していた寂しい入院生活とは縁遠くなった。次は誰が訪れに来るのだろうと待ち遠しくなる日々には楽しみが芽生える。そうしてこの病室にはみんなの配慮もあってか、入れ替わりで見舞いに来てくれるようになった。けれど何故かその入室許可は喜助が行なっているようで、常に彼が室内に常駐している。コンコン、と扉をノックする音が響くと、寝たきりの自分に代わって椅子に座る喜助が声を上げた。

「はぁい。どちらサンっスかー?」
「……儂と平子じゃ、早よ開けんか」

 夜一の苛つく様がその声から窺えた。用心を兼ねて内鍵をかけていたようで、喜助が立ち上がる。

「スミマセンねー、四番隊側の方針でして! あちらへどーぞ」

 いつもの昔馴染みに声が弾んでいる。嬉しそうに招き入れる喜助を、夜一と平子がなにか言いたげに睨んでいた。それを後方から、ハハ、と困ったように眺めた。

「神野! 目を覚ましたか、良かったのう。これで喜助がおらんかったら安心なんじゃが……」

「なんや会話も問題なさそうやん、早よ遊び行かんと尻に根っこ生えて腐るで」

 二人は相変わらずな調子で再会の挨拶を交わしてくれる。
 ウィーンと機械音を発するベッド。ボタンで電動リクライニングのそれを起き上がらせた。布団からぞもぞと身を捩り、軽く首を垂らした。

「お二人にはご心配をおかけしました。助けてくれて、戦ってくれて本当にありがとうござ──」
「馬鹿者、礼など良いわ。そんなもの此処を出てから言え」

 ──ここを出てから言っても、また断られそう……。

 彼女の性格を察して、それには首肯くだけにした。

「ゆかちゃん、頭ん中におった虚はもうおらんらしいで。寂しなるなァ」

 平子から嬉しい事実を聞けて、ぱあっと心が明るくなっていく。『寂しい』その真意は恐らく仮面の軍勢の仲間が減ったからか。だからきっと彼が寂しいんだろうな、と捉えた。

「そうですか。じゃあ、もう寝る前の薬も……」

 そう言って喜助に振れば、彼は目許を綻ばせた。

「ええ。あれももう必要ないっスね。暫く眠っていましたが、悪夢の発現はありませんでした」

 その言葉に、ああやっと普通の人間に戻れたのだと、安堵の息を落とした。

「しっかし、よう頑張ったな。鬼道で引きつけてくれへんかったら、あの場所まで中々辿り着けんかったしなあ」
「あぁ、時間を稼ぐだけでも大変じゃったろうに。よくやったと褒めてやろう」

 思いがけない褒め言葉に、口端が緩んでいく。

「わ、私は、ただ戦うことに必死で。私の霊圧じゃ六杖光牢が効かなくて、力尽くで解かれてしまったので……もうどうしようかと思いました」

 苦悩したあの瞬間を「あれは怖かったなぁ」と笑えば、喜助が感心したように口を開けた。

「ああ、そうそう。ゆかサンの霊圧のログが残ってましてね。拝見したんですが、素晴らしかったですよ、お使いになった鬼道」

 それには自分だけでなく他の二人もぎょっと眼を向ける。

「なんやそれ、お前そんなもんゆかちゃんに付けてたんか。小っ恥ずかしいわ変態やん」

 すかさず喜助以外の思いを平子が代弁した。

「違うっスよー! 何度も言いますけど、ちゃんとした霊圧監視の一つですってぇ。あれがないと見つけられなかったでしょ?」

 誇らしげな喜助に、夜一も「そうじゃな……」と仕方なく認める。それは良しとしても、喜助の言った鬼道ログが気になる。彼の過去を倣った鬼道の数々に、妙な勘繰りはされてないだろうかと、渦巻く焦燥と羞恥をひた隠しにした。

「あの時はとにかく縛道を重ねたんです。その後に大きい物を当てたかったんですけど、さすがに八十、九十番台は無理で……七十番台が限度でした」

 思い返しながら告げていくと、先に感じた羞らいよりも己の未熟さを露呈させた。

「そんだけ打ったら大したもんや。そのおかげで喜助が見っけてくれたんやで」

「え、」と返答に詰まる。
 そう言えばどういう経緯で喜助が来たかなにも聞かされていない。

「喜助、えらい形相でこっち来てたなァ、『霊圧が空間移動した』言うて」

 平子はニヤニヤと喜助の方を見て、楽しんでいるようだった。

「儂も珍しいもんを見たのう。あの喜助の慌てっぷりときたら……」

 夜一も口角を吊り上げて便乗している。

「……はあ。『それほどゆかサンの行方に必死だったんスよー』って言わせたいのが見え見えっスよ、二人とも」

 やれやれと喜助は呆れながら、本心なのかそうでないのかわからない疑念を残した。
 煽った二人は変わらず可笑しそうにニヤついている。

 ──えっと今の言葉は、どっちで受け取ったら……? 冗談の一つ、かな。

 ぱちぱちと瞬きをして喜助の方を見た。

「えらく素直になったもんやなァ。前やったら、その手には乗らへんでェて言うてたのに」
「ボクそんな話し方しないっスよ」
「やかましいわ! 変換せえ、変換!」

 初めて目にする仲睦まじいやり取り。ほっこりしていると、夜一がベッドの傍に腰掛けた。

「……お主はの、破面によって一時別の空間に移動していたのじゃ。暫く儂らの霊圧も誰の霊圧も感じなかったじゃろ?」

 それとなく本題へ触れる。それは自分が混乱して油断を招いた出来事だ。

「そうなんです。五番隊から逃げて林へ入ってすぐのことでした。感じていたみんなの霊圧が急に消えて……」

 思い返すと、段々とあの時の戦慄が蘇る。

「驚いて、信じられなかった、です」

 目蓋を閉じて話せば、喜助が近くまで椅子を寄せて。布団の中に隠れた右手を引っ張り出した。

「……夜一サン、この話まだ早いんじゃ」

 出された右手に視線を落とすと、その掌は指先まで震えていた。自身でも気づかなかった潜在的な恐怖心。それへ彼がいち早く察したことに心底驚いた。予想しなかったフラッシュバック。「え、と」戸惑いが零れる。夜一が「すまんな、また今度にしようかの」と気遣って話を止めた。

「いえ。大丈夫です、もう……怖くないです」

 ですから続きを、と握られた手に意識を向ければ、夜一も「そうか」と安心したように続けた。どうやら喜助はこのまま夜一の話を聞くらしい。この状況はとても恥ずかしいのだけれど、墓穴を掘りそうなので触れないでおくことにした。

「お主の霊圧を感じて間も無く五番隊へ戻れば、喜助が先に来ておった。お主の霊圧が消えたのはそれからすぐ後のことじゃ」

 すでに喜助が五番隊まで来ていた事実を知り、驚きと不謹慎ながらも喜びを感じてしまった。そんなに早く来てくれていたんだと。だが五番隊と聞いてすぐに現実へ引き戻された。そういえば壁に丸穴を空けたままで。額に冷や汗が滲んでいく。

「あ、あの。話が逸れるんですが……五番隊執務室に穴を空けてしまって、すみませんでした。修理費なんですが、日本円って換金できます……?」

 悪いことをした子供のように竦める。平子に頭を下げれば、彼はけらけらと謝罪を一蹴した。

「んなもん、気にせんでええ。最初ビビったけどな。俺ん後ろえらい涼しなって振り向いたら穴空いとるやんて。せやけど修理も隊費んなるからな、問題ないで。ま、しばらく寒いんやけどな」

 冗談混じりの態度に嫌味はなく、本当に気にしなくても大丈夫なようだった。もし雛森にこの経緯を伝えたら、同じことをした彼女ならきっと笑って許してくれるだろうか、なんてふと頭に過る。

「ああ良かったです。ごめんなさい、話を逸らしちゃって。ところで五番隊を脱出する時に感知した霊圧で、浦原さんはこちらへ来たんですか?」
「そっス。五番隊で小さな霊圧反応があって。これは稽古のそれではないなと勘が働きまして」
「なにが、勘が働いた、じゃ。最初から此方が不穏な状況であったのを知っておったじゃろうに」

 呆れ口調で挟む鋭い指摘に、喜助は大きく口を開いた。

「あはは、そうなんスけどね。流魂街で騒ぎ始めたあたりっスかね。違和感があって準備していたんスよ。そうしたら、ゆかサンの霊圧が動き始めて、アタシも五番隊へ赴いた……」

 気のせいか、喜助の握る手がほんの少しだけ強められたように感じた。

「そして先に喜助がおった。神野を追おうとしたら何処にも霊圧が無いと慌てたのも喜助じゃな」

 喜助は苦笑しながら、あの時を振り返る。

「はい、敵サンが『即時に』時空移動ができる特殊なヒトだとは流石に……。探査に若干手間取りましたが、十二番隊の協力を得てアタシらもその空間へ辿り着くことができた訳っスね」

 めでたしめでたし、と入れたら終わる言い草に、待てや、と平子が突っ込んだ。

「ずいぶん端折った言い方やけど、確かその空間が別時空にあったんよな? 聞いたところでようわかれへんのやけど」

 目を細めた喜助は言葉を選ぶように続ける。

「……そっス。あの空間は別時空にあった。つまり、別世界のボクらが存在する世界線っス。本来であれば侵入は疎か、干渉すらも不可能な領域。だから霊圧を完全に消して入らなければ、例えば平子サンが二人存在することに気づかれてしまう。なので皆サンには霊圧遮断型外套の着用をお願いしました。……ま、それを考慮しての空間移動用仮装置が十二番隊で試作してあったんで、助かりましたよ」

 喜助の話を聞いて、まさか、と思った。
 ──別世界への介入、時空移動、世界線。
 この話は自分の体験と酷似していると。元の場所で存在しなかったはずの破面は、一体。この身に降りかかった境遇と関連しているのかは定かではないが、無関係ではないと考えるのが妥当か。

 ただ唯一の相違点を言うなら、『神野ゆか』という存在が単一のまま、前の世界の意識を引っ張って移動していること。こちらへ移動してから、もう片方の自分には出会っていない。ゆえに二人は存在していない。どういった経緯でマユリたちが空間移動の仮装置を作製したのかは不明だが、十二番隊でその類の研究が行われていた事実だけは偶然ではないのだろう。証明できない実体験に、不可解な時空移動。答えのない思案を巡らせた。

 ぎゅう、と僅かに強められた右手を感じて喜助を見上げれば、「どうしたんスか」と柔らかく口元に弧を描いた。

「……御守り、持ってて良かったなぁって」

 直前まで考えていたことは伏せて、先ほどまでしみじみと抱いていた本心を告げる。

「とても大切になさっていたようなので、念には念を入れました」

 彼の言う、念には念を、とは霊圧感知センサーのことなのだろう。そんなものいつ入れたのかと考えたが、ふと思い出した。ずっと前に御守りを落として探し回って、結局見当たらなかったこと。その後に喜助と自宅へ戻って、玄関先で実は彼が持っていたのだと返してくれた御守りを。それ以来、御守りはなくしてもいないし、戻してもいない。

 ──喜助さんは、ほんとうに狡いひと。もうずっと初めから心に棲みついていたのかもしれない。

 彼への想いはもうあの時からすでに始まっていたのかもと思うと、この慕い心もそろそろ容認するしかないかと、何度目かの諦めがついた。

「なんやこの感じー。俺ら邪魔なんか。なあ夜一、出て行こか?」
「はっは、そのようじゃな。神野も二人きりの方が良かろう、のぉ?」

 意地の悪い夜一を久しぶりに感じて、堪らず首を左右に揺らす。

「えっ、そんなことないですよ! せっかく来てもらったのに」

 ね、浦原さん? と同意を求めれば、喜助は「そっスねぇ」と気乗りしない返事をした。

「冗談や冗談! やけど、喜助は出ていって欲しい顔してんでー」

 にやついた平子は喜助の頭を軽く小突く。

「こめかみが痛い! ……あ、平子サン。もう遊びは教えなくていいっスから」
「なんやそれー! つっついただけやん」
「遊びって最初に夜一さんが教えていいって言ってた時の?」
「せやで! 喜助やって程々に教えたれって言うてたんや、それやのに……」

 およよと泣き真似をする平子は、冗談なのか本意なのか。だがふざけたノリには違いない。思い返せば、確か彼らが電話していた時にもそんな内容を話していたような。

「ボクは程々にって言ったのに夜中まで連れ回してたじゃないっスか」
「……お前、それなんて言うか知ってるか」
「よくわからないっスね」

 喜助がわからないと言ったので、割って入り助言した。

「それは夜遊びって言うんじゃないですか?」

 それを聞いた夜一が、あっはっは! と大きく声を上げる。

「すまんすまん! その通り、それは夜遊びじゃ。喜助は物を知らん男じゃのう」
「いやあー、そうくるとは思てへんかったわ。ま、仲良うしぃや、お二人さん」

 平子が、ほな行くで、と夜一の肩を叩く。

「もう行くんですか」と引き留めたが、「仕事サボって来てんねん」と言い残して出て行った。
「神野、なにかあったら儂に言え」
「なんでボクじゃないんスかね」と訝しむ喜助に、夜一が「がーるずとーくじゃ」と珍しい言葉を放ってから退室した。

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