草木が生い茂る緑。透明から白濁を濃くしながら、本体を出現させる。この虚は思っていたよりも小さく、人型に近い。まず目に入るのは奇異な腕。次に、顔半分を覆い隠すよ白い外套。視える表情は、薄ら嗤う卑しい口許のみ。

 ──ただの虚、か……? いや、

 その腕は人間に近い形へ変化したり、瞬く間に鎌のような形態をしたり。
 これはもしや。破面特有の帰刃、刀剣開放なのだろうか。それとも虚自身の身体と刃を一体化させた形態なのか。

 ──そもそも中級の虚だと思い込んでいた奴が破面? あれはすでに終わったはずでは。

 得ていた知識とは遥かに遠い現実に、己の反証を疑った。この虚が本当に破面なのかさえ、確証が持てなかった。

「……やっと姿を現してくれて、どうも」

 宿敵の本性に思案を巡らせて。けれどこのまま視えなかったら戦えないし、という悪態は秘める。
 それに対しての返事はない。

「……気配が消せるのは、藍染の時の残党?」

 この敵に対してはもはや隠す気がなかった。
 自分の中に一部が潜んでいるのなら、事情も境遇も全て知っているのだろうと。

「随分と、懐かしい名を」

 マユリの声帯で嗤うそれに身震いがする。

「確かに。『藍染様』によって生み出された。が、暫く私は異種の線を漂っていたのでね」
「……? あの時は空座町にいなかった、ってこと?」
「はて、『あの時』がいつのどれを指すのか。その線にはいなかった故になんとも」

 虚はふざけているようでも、小馬鹿にしているようでもなく。少なくとも事実を言っているように聞こえた。でもこんな奴は知らない、記憶になどない。そしてほくそ笑む口から紡がれた未知の単語──『異種の線』
 それが指し示すものを解釈しようと無い頭を働かせる。しかし元の世界では存在しなかったそれに、困惑を覚えるだけだった。

「そうっスねぇ、ただ……かつての同胞の研究と体液には感謝してますが」

 急にまた声帯を喜助に変えてくる。正直やりづらい。これが奴の狙いなのだろうとはすぐにわかった。それに『かつての同胞の研究と体液』がなにを意図しているのか。理解が及ばぬ現状に憤りながらも、努めて冷静に返す。

「その声と喋り方、やめてくれません? ……嬉しいと思ってるなら逆効果です」

 感情的になるなと言い聞かせていても頭に血がのぼる。霊圧もそれに比例して上昇していく。相手の出自に意識を注ぐのはやめだ、今はこの状況打破を──。

「この声が一番アナタの好みだと思いましたが。それに、誰もここまで辿り着けないですから。最期には相応しいでしょうかと」

 こめかみが疼くと同時に、ぷつん、と張らせていた糸が切れた。

「縛道の六十一、六杖光牢」

 右腕を虚に向けて放てば、六つに光る帯状の霊子が胴周りを突き刺していく。

「いい加減、黙ってくれないですか」

 自分がこんなにも挑発されやすい人間だとは思わなかった。単純な敵の思惑に嵌っている気がしなくもないが、それを落ち着かせることすら難しい。慕わしい彼の声色を、口調を、使われることがなにより屈辱で腹立たしいのだ。

「お前に入れておいたものも一緒に返してもらうよ」

 六杖光牢に捕らわれながらも軽口を叩き、
「返すもなにも、元々要らないんですけどね」勝手に入れておいてよく言う、と呆れ返した。

「……その魂魄も全てだ、成果に霊力。高度な霊子圧搾にも耐え得る希少性、」

 実に目覚ましい、と虚は誇らしげに嗤う。その本質的な内容までは咀嚼しきれないが、マユリが研究室で言っていたものと関係があるのはそれとなく察した。饒舌な声帯は未だ喜助やマユリのそれなのに、喋り方だけが虚自身に戻っていく。やはり所詮は声真似だったのかと思わされた。

 だが「こんなもの、」と虚がぐっと力めば、六杖光牢はあっけなく解かれてしまい──。臆する間もなく、ダッと地面を蹴り上げた。木々よりも高く跳び上がる。周りになにもない方がまだ戦いやすいと判断して空中で足場を作った。

 ──……どうする、どうする……。

 咄嗟のことで上まで来たのはいいものの。六杖光牢が効かないとわかった今、正直なにを放ったら良いかわからない。鬼道の練り合わせは雛森から教授してもらっていても、現状使いこなせてはいない。でもここはとにかくやるしかない。一先ず藍染戦での喜助を思い浮かべた。全ては過去の記憶と、見よう見まねで試す。

「破道の三十二、」

 紡ぎながら、下方にいる敵に掌を向けた。

「黄火閃、からの…………鎖条鎖縛」

 手を緩めず、追撃を重ねる。黄色い幕が虚を包んだ。
 敵の視界を幾らか眩ませたあと、光を帯びた鎖が対象を捕獲する。

「効かぬ、と」

 耳障りな声は無視して「……縛道の七十九……九曜縛」と更に縛道を乗せた。

 ──六杖光牢が効かないなら、上位のものを重ねるまで。

 虚が「くっ」と苦しそうに反応を滲ませる。初めて試みた七十番台の縛道、少しは効くか。
 同番台が出せる今こそ攻撃ををせねば。息つく間もなく急いで構える。

 ──本当は、喜助さんが使ったやつを出せたら……でも今の自分じゃ八十、九十なんて、とても。

 連続して消費した術に、霊圧も体力も減り始めた。頬にはつうっと脂汗が伝う。

「君臨者よ 血肉の仮面……」

 ここでまともに放てるものを撃たないと意味がない。そう思い、完全詠唱を仕掛けた。
 両手首の内側をぴったりと合わせ、そのままを下方へ向ける。

「破道の七十三……双蓮蒼火墜」

 はあ、気息と一緒に蒼い炎が放たれた。周りの木々たちへもその威力が及び、どおん、と土埃を発生させる。どうだ、少しは打撃を与えられたのか。肩で息をしながら煙が消えるのを待った。
 ゆっくりと白煙が晴れていく。そこに虚の姿はない。擬態化でまた消えたかと考えたのも束の間、下方にいたはずの声が、今度は前方から響いた。

「……終わりか? 小娘」

 喜助の声色で放たれた聞き慣れないそれに、じりじりと、着実に。絶望が迫り来るのを感じる。
 紗幕のような猛煙が消され、ようやく数メートル先に視えた。相手の意思で擬態化を解いたのか、もう擬態化など必要もないのか。それとも自分の視覚が敵より劣っているだけか。一欠片も変わらない姿を目前にし、再び後方へ距離をとった。

 ──まじか。……全然、効いてない。

 遠目で捉えた途端、奴は目にも追いつかぬ速さで零距離に接近していた。

 ──と、理解できたのは一秒ほど経ってからだった。

 眼は真っ直ぐ蒼天を見据えたまま、秒遅れで気づく。

 ──首元へ切っ先を当てられていたことに。

「茶番にもならんな」明らかな力の差を突きつけられたあと、腹部に鋭く強力な衝撃が走った。

 ──ザク、厭な殺傷音が耳につく。

 その音へ視線を落とせば、脇腹がざっくりと。斬り裂かれていた。知らぬ内に、へそから外へ半分。内臓が飛び出てもおかしくないほどに深く。このまま下半身が千切れ落ちれそうに見えた。

「ゆっくり血抜きをしてから戴こう」

 折角、距離をとったのに。どろりと止め処なく溢れる血液。次第に目の前が霞んでいって、ぐらっと足場が歪む。

「……かはッ」

 ついには正常に流動しなくなった血液が腹から逆流しはじめた。まずい、吐血だ。きっとそんな生易しいものではないのだろう。口内に広がる血だまり。幽かに鼻呼吸をするのがやっとだった。

「響転も使えぬ小娘が、笑わせてくれるわ」
「んぐ、」

 虚は瞬時に喉を、二股に割れた切っ先で挟んだ。気道が詰まる、苦しい。

「……此方では瞬歩、と言うのだったな。魂魄は発展途上だが、探査回路など使うまでもない」

 吐かれた単語からぼんやりと確信した、やっぱり破面の一人だと。そりゃ鬼道が効かないはずだと潔く戦意を手放していく。破面には鋼皮という表皮の硬質化があることを、失念していた。それはかつて、夜一までもが辛酸を嘗めたほどの強度。

 ──あ、無理だ。……これ。本当に、やばいやつ。

 在るべき戦闘では戦っている者の心理として、あっさりと負けを認める胸の内は描写されないのだろう。だがこちらは戦いを覚えたてのど素人。ここまで戦えただけでも褒めて欲しい。そう心の誰かに懇願しては、霞んでいく。平和だと思っていたのは勘違いだった。ただ平穏に生かされていただけだった、この破面に。

「嗚呼そうだな、此処まで足掻いたことは褒めてやろう。……妙々たる被験だったヨ」

 最期に望んだ賛称を告げられるとは。
 薄ら開けた眼で終焉を眺める。もう片腕の刃で頭を狙っているのが視えた。

 ──……喜助さんに、するか。マユリに、するか。統一……してよ……。

 ぶっ飛びそうな意識の中、眼球を下方に動かせば、深く刻まれた脇腹がだらんと広がる。滝のように飛沫をあげ続ける紅が、ぼたぼたと地上へ落ちていった。

「誰もこの空間へは辿り着けない、嘆かわしいな」

 誰の霊圧もないとはそういうことか。きっと結界か異空間。希望の断たれた状況をようやく悟ると、ゆっくりと目蓋を下ろした。

 ──でも……まだ、まだだ。あと少しだけ、

「が、」

 喉を挟まれたままで、うまく声が出せない。けれど潰れた音くらい出るはずだ。相手に届くか届かないかの声量で、独り言を吐く。

「さ……散在、する……獣の骨……」

 相手を映さなくてもこの距離なら、確実に。たとえ皮膚が鋼のように硬くても、一握りの抵抗を。
 幸い、こちらの呟きは向こうの耳に入っていないようで。

「それは遺言か念仏か」と半嗤いを浮かべていた。その間に幽かな詠唱を終える。

「……虚城に、満……ちる、」

 残り僅かな霊圧を全て注いだ完全詠唱。
 もうこれで終わり、と右手を敵の顔面へ向け、最後の力を振り絞って掌をゆるゆると広げた。

「破道の……六十三、……雷吼炮」

 片目を開けて確かめる。ドォン! 激しい雷を伴う爆砲が薄気味悪い笑みを直撃した。
 その勢いで、破面を覆う白い外套が吹き飛んでいく。一瞬、真白い面が視えたのも束の間。

「……舐めた真似を」

 そう聞こえたと同時に、掴まれた喉は更にぐっと絞められた。

「……っ、……」

 両腕はぶらんと力無く地上へ垂れ下がる。

「尊顔を晒して満足か小娘。……死に急ぐのならば冥土の土産をくれてやろう、私の名は──」

 ……厭だ。訊きたくない、耳を塞ぎたい。ぎり、と奥歯を強く力ませ抗った。
 そうして目蓋の裏に浮かぶ彼へ、ごめん、と。詫びるには短すぎる三文字を何度も唱えた。一番最初に命を諦めないでって言ってくれたのに、回道も学ばせてくれたのに。

 ──……伝えたいことが、言わなきゃいけないことが。まだまだあって、

 けれど最期には御礼を告げたくて。ありがとう、と音にならない唇を震わせた。

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