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 ──南流魂街七十八地区 戌吊

 警報内容に従い、この地区へ配備についたのは五番隊だった。彼らが着いた時には、その場はすでに惨状と化していた。

「……酷い、こんな」
「桃、あんま見んとき」

 気分悪なるだけや、と平子が目を落とす先は、倒れる人や散らばった着物、飛沫血痕。
 魂魄消失反応と聞いて訪ねてみれば、その原因は案の定、虚だった。破面でも大虚でもないこの下級の虚が、流魂に出没することは珍しくない。だが、ここ最近の動きは目に余るほど活発で、その数は再び戦を起こし兼ねないほどに頻発していた。
 このレベルの奴が何故ここまでのことをしたのか、平子は腑に落ちない面持ちで虚を見上げる。

「……難儀やなァ、お互い」

 こうしてまた虚が厄介事と厭忌を残し、悪の連鎖が紡がれてしまった。虚圏と尸魂界は相反する場所ではあるものの、三界として同一世界での共存を強いられている。破面と戦った後には、互いに牽制することで事実上の停戦とし、面倒事を避けていた。にも拘らず、事態を知らぬ低級虚には無関係だったようだ。
 爬虫類のような四肢。気色の悪い図体をさらに巨大化させたような虚。忌まわしいそれは、死神側の気も知らずに奇声を上げるばかりで、魂魄を喰らいたくて仕方がなさそうだった。

「なんや、モノも喋られへんのか」

 その程度の敵に隊長自ら手を下す必要があるのかと、眉間に深く皺を寄せる。

「平子隊長、斬りますか」

 雛森の斬魄刀はすでに始解状態であり、この惨状を終わらせたい一心が行動に表れていた。

「お、珍しくやる気やん、ええで」

 副隊長に斬ることを委ねつつ平子も念には念を、と戦闘態勢に入る。
 彼女が間合いを詰め、口を開いたその時──。虚はなにかに操られるかの如くじりじりと後退りをはじめた。そのまま退散していくように、敵意すら発せず背を向ける。

「えっ」

 離れていく虚をは逃すまいと雛森は追い詰める。
 すぐさまこの巨体を得意の高等縛道で捕縛した。

「荒らすだけ荒らして弱い上に逃げるて……ホンマなにがしたいねん」

 平子は呆れたように捕らえた虚へ問う。
 口が聞けない化け物は、絶叫や嘆息に近い奇声を上げ続けながら天を仰いだ。やかましいやっちゃなァ、と平子が独りごちる。そして同じように宙を見上げた、瞬間。
 天から射し込まれた光の柱が、虚を導いていく。
 捕縛したはずの縛道は一瞬にして消え去った。これは、あちら側の者しか干渉が許されぬ光芒。この異常性に気づいた二人は顔を顰めた。

「そんな、」雛森が驚きの声を上げ、
「……反膜、やと……」平子は口を開け驚愕した。

 上の隙間からは大虚が覗き、こちらを見下ろしては、うようよと蠢いていた。
 低知能の虚らに小さな流魂街を荒らさせた挙句、ただ腹の足しになっただけで。終いには反膜で同胞を撤退させる、だと。

 この不気味さは雛森も感じていたようで「隊長、何かおかしくないですか」と語気を強めた。

「ああ妙やな。後味悪い違和感や。えらい荒らして腹満たした思たら、上で大虚が下っ端を餌付けしとったんか。……おかしすぎるな。第一、上級と下級が仲良うしとるなんて眉唾モンやで」
「それに、仮にいくら敵わないと理解できたとしてもですよ。普通であれば多少なりとも戦ってきますよね。それがすぐに退散だなんて」
「……せやな。他の地区も同じなんやろか」

 もし上下の力関係がない虚同士であるならば、同胞あるいは仲間。いずれにせよ目前の敵が助けを呼んで戻っていったこの事態に、二人で釈然としないまま天を仰いだ。

「平子はおるか!」

 後方の隊士を抜かし、ポニーテールを揺らしながら彼女は現れた。

「夜一、またどないしてん。えらい血相かえて」

 それがの、と口火を切れば「儂は西の一に出没した奴を捌いたんじゃが」と訝しむ。

「あっあの、西の一、潤林安はあたしの出身で」

 雛森が心配そうに声を挟んだ。

「知っておる。先日に神野を連れて行ったのもな。だから儂が向かった。案ずるな、潤林安の者は皆無事じゃ」
「ありがとう、ございます……」

 ほっとした雛森に笑んだ夜一は用件を端的に伝えていった。

「其処の虚は鬼事のように逃げ回っておったが所詮は雑魚じゃった。北の地区でも瞬時に片付いたが、別の西へ赴いた者へ聞けば、戦闘はおろか、反膜で帰ったと」

 異変に勘づいたように「ひょっとしてお主らのも」と訊ねると、平子が首肯いた。

「せやねん。戦いもせんと逃げ出したんや。そんで、空からパックリと大虚が覗いとったで」

 雛森も「逃げないように縛道をかけたのに、急にあれじゃあね」と諦めたように答える。

 一通り話を聞いた夜一はどうも納得がいかないようだった。そして暫くふむ、と顎に指をあてて考え込むと、いきなりその形相が一変した。

「──まずい! 皆、瀞霊廷へ戻れ!」

 取り乱したように叫ぶ夜一に、平子は「はぁ? なんや急に」と呆れ気味に訊き返す。

「良いか、東西南北の流魂街に雑魚を置き、其奴らを逃げられるだけ逃がして、瀞霊廷から目を背けさせる。隊長格の死神は瀞霊廷に若干は残っているものの、通常よりは手薄じゃろう」

 そして最後に「奴らの使い駒すら犠牲にせず、戦いから逃げる理由……それは奴らの任務が完了したからじゃ」と付け加えた。

「やから任務完了て、なんのこっちゃねん」

 夜一にもう少し砕いて話せ、とイラつきを露わにした。

「お主らが此処におって、手薄の瀞霊廷には誰がおる!」

 その荒声を理解すると共に、絶句した。先ほどまで巡らせていた見解を、その本質を、完全に見誤っていたのだと。これは退散なんかではなく、完遂。青ざめた雛森も両手で口を押さえて。

「おまっ、まさか、初めっから奴らの狙い言うんは」

 夜一は目を伏せ、「恐らくな、」と片手で頭を抱える。

「……狙いは、神野じゃ……最初から」

 力無く吐かれた最悪の顛末。憤怒を滲ませた平子は、至急隊舎へ戻るよう指揮をとった。
 これは狡知に練られた敵陣の策。事の全てを了知した平子と雛森は、怒声も出せずに流魂から去る。それに続いて夜一も瞬歩で五番隊へと踵を返した。

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