踵を返す先は、執務室にある横長のソファ。
 ちょこんと膝を立てて抱え込む。正直、恐怖以上に、ただ待つだけで精神衛生面がやられてしまいそうだった。

 ──早く終わればいいのに。

 抱いた憂いに対してもう一人の自分が、みんな強いんだからすぐ終わるよ、と言い聞かせる。
 このソファはみんなで談笑した初日を思い出す。あの日のことが遠い昔のことに感じられて。初対面に緊張していた頃が懐かしい。あんなに笑って、甘菓子を食べて。蘇る記憶が絶えないのは、みんなと親しい証なのだと思った。だけど死神たちは戦いと隣り合わせにいながらも、哀しみひとつ見せず、常に楽しそうに過ごす。どうしてそんなに割り切れるのか、心が追いつかなかった。

 ──みんなはすごいな、強くて。……大違いだ。

 ふと愁思に沈んだのも束の間、この静かな執務室内にも再び轟然と警報音が。

「緊急警報! 緊張警報!」

 何度目かの警鐘に肩をびくりと震わせた。

 ──この音に声、びっくりするし、怖いんだって……。

 少しの気の緩みも許されないのか。こちらの不穏など構いなしの放送に首を竦める。またさっきの警告。同じ内容に耳を傾けながら、膝をぐっと抱え込んだ。
 落とした視線は、目前の机をただ茫然と。

「南七十八地区、並びに北七十九地区へ各隊配置下さい!」

 ぴく、眉が上がって事の異変に気がついた。

 ──えっ? さっきと違う、場所。

 先ほどと同じ地区だと、聞き流そうとしていたのに。今度の場所は南と北。これで全方面じゃないか。流魂街の地理に疎い自分でもすぐに把握した。そんな、どうしよう、と不安がったところで、できることは何もない。遥かに能力が上の死神たちが応戦しているのだから。

 それからは繰り返し、南北への出隊要請が流れる。終いには慌ただしかった隊内も静まり、五番隊の小隊も出払ったようだった。ただ事ではなくなってきた現状に耐えるしかなかった。喜助の御守りを握り締めて、抱え込んだ膝に顔を埋めて。目蓋を下ろす。こうしてみんなの安全を願うことしかできない、己の無力さをひたすら嘆いた。

 突っ伏してからどのくらいの時間が経過したのだろう。五番隊が出動して辺りは静寂を保っている。またいつ響くかもわからない警報に構えながらも膝を抱え込むことで、僅かなこの空間で平穏を作っていた。

「緊急警報! 緊張警報!」

 顔を横向きにして、片耳だけを傾ける。

「西一地区、並びに東六十二地区へ各隊は配置下さい!」

 いま、なんて。瞑っていた目をこじ開けた。

 ──西……一地区……?

 頭で警報内容を復唱する。今まで大きな数字ばかりだったのに、ここに来て、一地区。待って。西の一地区と言ったら、そこは。気づきたくなかった事実に、勢いよく顔を上げた。

 ──潤林安だ。

 雛森と日番谷の故郷であり、数日前に訪れた場所。
 そんな平穏な土地に、なにが、どうして。呼吸が乱れていくのを感じた。

 途端に、がたがたがた、と執務室の戸が何かの拍子で揺れはじめ、外が騒がしくなっていく。
 直前まで静かだったはずなのに、隊士がまだ残っていたのか、他隊も総動員になったのか。あちらこちらで怒号や切っ先の擦れる剣戟音が飛び交っている。
 この状況下、もう全てに対して戦々恐々。けれどそれよりも外部への心配が勝った。恐る恐る執務室のすぐ隣を覗く分には大丈夫だろうか。居ても立っても居られなくなって、ソファから降りて屋外の確認へ向かう。

 がたん、開けづらい戸を引いて映る外。目前に広がる情景に、唖然とした。
 外には人っ子一人いなければ、戦闘どころか静まり返っており。聞こえていたはずの声や雑音の原因が、なにもなかった。なにも。たったいま、一体なにが起こっていたのかと、困惑を隠しきれない。いや、直前まで確かに、隊士たちの話し声が。だから様子を見に来たというのに誰もいないなんて。本当になにがどうなっているんだと立ち尽くしていた。

「だ、誰かー、居ませんかー?」

 おかしいな、と小首を傾げながら辺りへ声をかけた。がらんとした隊舎内から返事など聞こえる訳もなく、引き戸を開けたまま見渡した。
 すると突如として大風がざあっと吹き荒れて、身をよじった。ほら外は危険だ。やっぱり中へ戻ろう、と執務室へ戻る。再び戸に手をかけ、かたんと静かに閉めた。

 ──あれ、外は危険……なんでそう思ったんだ? 流魂街は危険だけど、瀞霊廷はまだ平気だって三人は言ってたのに。

 形容しがたい外への違和感、それがとても不気味に思えた。聞こえていた声の元が皆無なこと、吹き込んだ突風。本当にここは五番隊執務室だよねと可笑しな疑問さえ浮かぶ始末。やっぱり迂闊に外出するのは危険すぎると判断して、この屋内で待とうと内鍵をかけ直した。
 ソファで先ほどと同じように脚を抱える。ようやく警報が鳴り止んだ。しんとした静寂が訪れる。

 ──誰でもいいから、早く戻ってこないかなあ。

 この非日常を感じることに疲れてきた。普通の日に戻りたい、そう願うのは精神が脆いからか。
 けれど、ごく普通の日常がどれを指すのかさえも解らなくなっていた。術を覚えること、戦いを学ぶこと、喜助の傍にいること、元の世界に戻ること。それらのどれもが正解で、不正確でもあるようで。様々な事柄が自身で消化できずにいた。一人でいると、碌でもないことを考えてしまってよくない。一旦思考を止めて視界を暗く閉ざす。早く終わりますように、とひたすら願い続けた。

 そして戸の向こうでは変わらず風があたっているのか、がたがたと震えている。
 その不穏を遠巻きに眺めていた時──。

「お迎えに上がりましたよん」

 胸の奥底で心待ちにしていた声が響いた。
 それは決して聞き間違えることのない、あの声。彼だ、彼が迎えに来た。

 ハッと息を吸うように意識を現実へ戻して、考える間もなく立ち上がった。たたた、と引き寄せられるように駆けて行く。引き戸を前に、すぐに声をかけた。

「浦原さん、」

 待ってたんです、なんて直接的な言葉にはできないけれど、いつもの優しい声色が欲しくて。
 いつもなら喜助はそれに呼応して名を紡いでくれる。なのに暫く待っても向こうから返事は戻ってこない。聞こえてなかったのかな、そう思い、もう一度確かめようとした。

「……うらはら、さん……ですよね?」

 内鍵を開けようとした手が、止まる。

「お迎えに 上がりました よん」

 こちらの確認に答えることはなく。歪に途切れる同じ返答に、戸惑いと疑いが襲う。

 ──このヒトは、だれ。

 そっと、ゆっくりと摺り足で。入り口から後退りをしていく。
 この喜助本人ではない、まるでどこかで録音された台詞を再生しているようなそれに、恐怖ばかりか敵意をも覚えた。

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