──平和だ、と思った。
雛森と束の間の休日から数日後、再び規則的な生活へと戻った。京楽は息抜きをと助言したらしいが、忙しく過ごす中で稀にある休憩くらいが丁度良いのだと感じた。社会人も同様、連休や祝日が恋しい時もあれば、逆にそれのお陰で調子が狂ったりすることもある。要は人間、無い物ねだりなのかもしれない。
それにしても、明けから死神たちは頻繁に出払うことが多くなったらしい。もちろん自隊士でもない自分はなんの理由かは聞かされず。彼らの繁忙さを追いながら、今すべき事に従事していた。
──わあ、これが死神本来のお仕事なのかな。初めて隊を成して出動するのを見たかも。
真央霊術院からの移動中、どこの隊かはわからなかったが、外部へ出て行くようだった。少数部隊ではあるものの、腰にはみんな斬魄刀を携えて真剣な面持ちで向かっている。行き先は流魂街なのだろうか。しばらく立ち止まって様子を眺めていた。いくら平和になったとは言え常に危険と隣り合わせなのかと、直面する現実に少し悲しくなった。
──それでも私は五番隊へ向かわないと。
雛森の元へ足を早める。横切る隊舎の数字を確認すると、ここはまだ六番区域だった。
「ゆかさーん!」
前方から大きく手を振ってくる人は、六番隊の、──。
「あ、理吉くん! 久しぶりだね」
彼とはあの番号を渡してもらって以来、ちょくちょく顔を合わせていた。けれど互いに忙しくどれも挨拶くらいで、あまり長話はできていなかった。
「これから五番隊ですか?」
こちらの規則的な予定は、もう一目瞭然らしい。
「はは、そうそう。毎日同じところを行ったり来たりだから。これから稽古だよ」
すると理吉は、あの、と言い淀む。
「……もしかしたら、ですけど。雛森副隊長、いないかもしれないですよ。さっき緊急招集が入ったらしくて」
「え、そうなの?」
それは何やら大変だと、二人して眉を顰めた。
「そう言えば。私もさっき外へ出ていく隊を見かけて、どうしたんだろうと思っていたけど……」
「ああ、それ六番隊ですよ。さっき恋次さんを筆頭に出て行きました。オレは恋次さんに隊内での指揮を頼まれて残ってます」
恋次に頼まれてと嬉しそうに言う彼は誇らしげだった。
留守の間を理吉に頼む。互いに隊内での信頼、絆が厚いのだと感じた。
「そうだったんだね。きっと桃さんも大変そうだから、今日の稽古は止めにしてもらうよ」
六番隊が出て行った先や理由を、理吉は言わなかった。こちらもこの緊急性は機密事項なのだろうと察して、問うことはしなかった。
「この先も気をつけて下さい!」
「ありがとう! 理吉くんも怪我には気をつけてね」
別れ際にそういう注意を促したということは、なにかしらの危機が迫っているかもしれない、そう理解した。その危険度は全くわからないが、ただ漠然と危ないのだろうと。
隊長、副隊長の緊急招集。かつて起きた事件が頭を過る。以前は隊長だけの招集が多かった覚えがあった。京楽総隊長へ変わってからは、緊急時にも副隊長を呼んで情報共有しているのかも。
いずれにせよ、非常事態には変わりないことへ胸が痛んだ。
──このまま、何事もなく平和に過ごせたらいいのに。
虚が存在している限り難しい。戦いなど誰も求めてはいない。ここにいる人たちが血を流すのも、見知らぬ敵が襲ってくる姿も、なにも見たくない。そう願うことは、ただの平和呆けなのだろうか。そんなマイナスな考えを振る払うように、風を切って走る。
いつもよりも早く到着した稽古場に雛森の姿はなかった。周りを確認すると、五番隊もいつもより人気がないように思える。
ああ、理吉が言った通りいなかった……と項垂れると、次第に不安になっていく。
「遅れてごめーん!」
背後から明るいでとんとんと肩を叩いたのは、今まさに心配していた雛森だった。
「ああ良かった、桃さん! 緊急招集って聞いて、お稽古は止めにしようと伝えに来たんです」
するとその後ろから、見慣れた金髪の彼が顔を出した。
「緊急招集て誰に聞いたんや」
別に知っててもええけど、と濁す平子は顰めっ面で。
いつもより不貞腐れたような顔をしているようだけれど、招集で癪なことでもあったのだろうか。
「さっき六番隊近くを通ってたら、理吉くんにそう言われて」
平子と雛森は眉をぴくりと動かした。
「何か聞いたんか?」
「いえ、何も?」
嘘のないよう正直に「さっき出て行くところだけ見かけました」と告げた。
「実はやな、数日前から外が騒がしいねん。ほんで俺らが呼ばれたんや。七面倒この上ないわ」
不貞腐れの原因は、招集自体に対するものだったらしい。
「だからね、いつあたしたちも出るかわかんないから、稽古も疎かにしちゃうかも」
雛森は眉尻を下げて、ごめんね、と手を合わせる。
「そんな、皆さんのお仕事ですから、私には出来ませんし。謝ることなんて」
「あっでもここにいる限りはゆかさんも安全だよ! 外がうるさいだけだから」
言い方に小骨のような引っかかりがあったものの、触れないようにした。
「……中に入らへんうちはな」
その小骨を口にしたのは平子だった。
「平子隊長! あんまり不吉なこと言わないで下さいよ」
「しゃーないやん、隊長やもん。常にいろんな情況を想定してやな、」
様々なことが脳裏に浮かぶ。『中に入らないうちは』この説明の裏で、外に敵がいる現状を暗に伝えていると気づいてしまった。
──私はこのままで良いのかな……知ったところでなにも出来ないし……。
口元に弧を描いた平子がこちらの沈黙を破る。
「そないに心配せんでも、死神何人おると思てんねん。めェっちゃおんねんで」
よう知らんけどな、と本人ですら数の把握が出来ていないのを露呈させて。彼らしい気の抜けた返しにほっと心が安らいだ。
「そうだよ! みんないるから心配しないで、ね?」
いくつもの大戦を経験してきた、説得力のある言葉。戦うのは彼らなのに励まされてばかりで。
はい、と顔を上げて、今日はどうするか話そうとした、瞬間──。
ガンガンガンガン! 突如、瀞霊廷内に大きな警鐘が鳴り響いた。
一定の間を置いては、何度も何度も。気圧される緊迫感と共に降りそそぐ鐘の音。
ガンガンガンガン! 連続した鐘はこれから流れるその先へ、みんなの注意を誘う。
あまりに突然の轟音に、辺りの死神も宙をバッと見上げた。
「け、警報ですか……?」
初めて耳にする警鐘音に肩を震わせていると、平子が、来よったな天を睨んだ。
「大丈夫や、どこの奴らが行くんか今にわかる」
雛森はじっと黙ったまま、つんざくような警鐘音へ耳を傾けていた。
「緊急警報! 緊急警報!」
始まった警告は、これまでの平穏を即座に打ち砕いていく。
「西六十四地区、並びに東七十六地区にて魂魄消滅反応多数有り! 火急! 各隊は配置について下さい!」
彼らの表情は強張ったままだ。
「繰り返します、──」轟然と響き渡る警報は、その緊急性を強めていく。
「西と東や。俺らんとこはまだやけど、準備せなあかんな。行くで、桃」
「はい、平子隊長。ゆかさんは執務室を自由に使ってくれていいから、中にいてくれる?」
「あ、はっはい!」
緊迫を肌に感じて執務室へ足を向けた。雛森の言い方では、避難していてくれ、ということだろう。このまま邪魔にならないようにみんなと逆方面へ駆けようとした、その時だった。
「──待て神野!」
その声に振り向けば、瞬歩で現れた人影が目に飛び込んだ。
「夜一やないかい! どこ行っとったんや、こんの緊急時に」
自分が返事するよりも早く、平子が前へ出た。
「丁度教鞭を執っておったのじゃ。警鐘が鳴る前に西流魂に異様な圧を感じての、即時休講した」
流魂街に圧を感じ、と言ったあたりで平子が「相変わらず流石やな」と口端を上げた。
「夜一さん、五番隊の執務室にいていいって言われたんですけど……」
「ああ、儂も伝える事があっての。喜助からはお主と共にするよう言われておるが、二番隊の情報じゃと瀞霊廷は今のところ無事と見ておる。儂も上より戦力としての命を受けての、すまんが神野は一人で五番隊に居てもらえぬか?」
「はい、もちろんです。そのために頑張ってきましたから。私のことは大丈夫なので皆さんの職務を最優先に」
一人でも最低限戦えるようにこれまで準備をしてきた。そろそろ過保護は卒業しても良い頃合いだろう。夜一はとても急いでいるようで、用件のみを伝えると「ほれ、受け取れ」と小瓶を渡された。手に持ったそれに目を落とせば、中身はどうやら錠剤のようだった。
「これって……お薬、ですか?」
「そうじゃ。ここへ来る途中に四番隊へ寄っての。虎徹に手配してもらった」
夜一は、飲めば回復する、と安心させるように目許を緩ませる。ただそれは、見慣れぬ彼女の、本職を思わせる重い決意を宿した眼だった。その鋭い顔つきに、慄然とした暗澹が一気に襲った。
まだどこかで、平和だ、と思っていたかった。
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