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 来たばかりの頃、出歩く際は夜一が常に付いて回ったが、いつしかその必要もなくなっていった。
 彼女は教師、そして貴族という立場からか訪客が絶えない。互いに煩忙な日々を過ごしていると、たまに宿舎で顔を合わせる程度で、一緒に朝食をとったり。その合間に日常を報告し合っていた。
 そして今朝も、夜一に今日の予定を教えたあとに草鞋を履いて、外へ出る。

「いってきますね、夜一さん」
「あまり遅くならんようにの、何処ぞの腑抜けが心配なようじゃからな」
「ハハハ……でも今日は夕方までには帰る予定なので大丈夫ですよ」
「そうか。……お、待て。帯に括ったそれが緩んでおる」
「あ……ありがとうございます、」

 照れ臭くなりながら、夜一に指差された御守りの紐を固く結び直し、宿舎を後にした。
 澄んだ晴天の下、いつもの急ぎ足も、今日はゆったりと。清々しい気分で五番隊へ向かっている。

 ──なんだかこっちの空気も気候も気持ちいいな、こんなにのんびりしたのって久しぶりかも。

 改めて見渡してみると、尸魂界は様々な大戦を経て、本当に平和が訪れたんだなと実感する。もちろん戦いなど経験したことはないし、戦争なんて知りたくもないが、みんなにとっては久方ぶりの平穏だ。それはすれ違う死神の会話からも容易に感じとれた。本来これがあるべき姿なのだろう。

 微睡みそうなぽかぽか陽気を背に、出そうな欠伸を噛み殺して歩く。珍しくも今日はお休みを頂いたのだ。霊術院も休日があれば、図書館にも休館があった。おまけに夜一の体術指導もない。そうして雛森の非番も重なり、瀞霊廷の外へ出てみないか、とお誘いを受けた。

「お待たせしましたぁ。おはようございます、桃さん」
「おはよー、ゆかさん。これからお外へ出るけど、念のため刀も持ってくね」
「はーい。外で使うことってあるんですか?」
「うーん、滅多にないかな。特に今は虚もそんなに出てこなくなったし」

 雛森は「でも一応ね」と腰元に斬魄刀を携えた。
 五番隊から一番近い門を通って瀞霊廷を出ていく。行き先については凡そ予想がついていた。向かう先は、雛森の出身地区である潤林安なのだろう。非番に里帰りをしているのは同地区出身の日番谷も同様で、それは記憶に新しかった。


 ──西流魂街一地区 潤林安

 やっぱりここだ。得した気分でその先へと入ってゆく。これまで流魂街に行ける機会がなかったため内心で大いに喜んだ。この辺り一帯は実に緩やかな空気が流れている。小綺麗な身なりに、豊かな物資。安住の地、と呼ぶに相応しいのかもしれない。ただ、流魂街において番号だけで治安が異なってしまう性質は、なんとも不憫なものだと感じた。

「あれ、シロちゃん!」

 前方で揺れる白髪。かつて住んでいた家屋へ向かう途中、雛森は旧い名を呼びながらぶんぶんと手を振った。彼が振り返ると、その呼び方にいち早く反応し、怪訝を露わにする。

「……日番谷隊長、な。なんだ、今日は珍しく神野も来ているのか」

 日番谷と会うのはあの飲み会以来で。会話という会話はあまり覚えていない。

 ──初めて日番谷くんに認識された気がする……。

 自己紹介した程度だったが、一度盃を交わせば知り合いにまで昇格するのだろうか。

「桃さんに誘われて流魂街を初体験です」
「日番谷くんもおばあちゃんのとこ?」

 おばあちゃんと聞いてか、些かフランクな敬称については苦言を呈すことはなくなった。愁眉を開いて「ああ、少し顔出しにな」と答えると、潤林安について教えてくれた。

「ここは一番安全な流魂街だ。安心してぶらついていくといい。どこかに甘味処もあっただろう」

 そう言われると、無性に茶菓子を欲してきた。
 流魂街にも甘いものや美味しいものがあるとわかれば、そこへ行くしかない。

「桃さん、甘いものが食べたいです!」
「あたしもー!」

 やっぱり甘いものが一番ですよね、と共感し合った。

「日番谷くんも来るー?」
「俺は行かねーよ、二人で腹一杯食ってこい」

 態度から察するに、彼は隊長呼びへの矯正を諦めたようだった。一隊を率いる者からすっかり家族の顔に戻っている。じゃあね、と雛森が別れを告げて甘味処へ向かった。
 すぐ近く人あった店の暖簾をくぐると、いらっしゃーい、という挨拶の直後に「あら、おかえり桃ちゃん」と女店主から声をかけられた。どうやらこの甘味処は、雛森との馴染みが深いようだった。今日は天気が良いから外で食べたら? という店主の提案に二つ返事で受け入れる。
 早速、あんみつとお団子を頼む。外に置かれた長椅子に腰掛けて、この安らぎを満喫した。

「そうそう。昨日ね、隊首会であたしたちも呼ばれてね。最後に総隊長から声かけられたの」
「なにかあったんですか?」

 京楽総隊長からお呼び出しとは不吉な予感がして心配になる。

「ううん! そういうのじゃなくって、京楽隊長が心配してたよ、ゆかさんのこと」
「えっ? 私のこと?」

 京楽さんが、どうして。もしやマユリにしてしまったことだろうか。あれは十二番隊内、隊外関係なく絶対に口外するなとの阿近からのお達しで、知っているのはその日の晩に愚痴った夜一とあの場に居た喜助に留めたはずだった。忠告を受けたのにも拘らず、早々と一人だけに愚痴ってしまって、阿近さんごめん、と胸中で謝罪する。

「うん、京楽隊長がね、ゆかさんが休みなく真面目に励んでるから、たまには息抜きさせてあげてねって。だから今日はお外に誘ったの」

 とんだ杞憂だった。拍子抜けをしながらも、ほっとする。それにしても自分の多忙さは京楽隊長の耳にも入っていたようで。総隊長ともあろう方に要らぬ心配をかけてしまい、その心配りには頭が上がらなかった。

「そうでしたか。学びに来ていたのですっかり忘れてましたけど、確かに初めての休日ですね」

 体術と座学、実践稽古に回道だけだが、復興活動に勤しむ瀞霊廷の人たちからしたら、生き急いで見えるのかもしれない。和やかに談笑していると「はぁい、お待たせね」と店員さんがみたらしとあんみつを持って来てくれた。

「わあ、美味しそう!」
 手を合わせて喜ぶと「ゆかさん、わかりやすい! 甘いもの大好きなんだね」と眦を緩めた。

「花より団子な性格なのかもしれないです」

 そうはにかみながら返せば「あたしも一緒!」と串団子を一本手に取った。
「んー美味ー!」二人して もぐもぐと甘味を頬張る。

 すると雛森は目を細めながら、ぽつりぽつりと語り始めた。

「……尸魂界もね、いろいろあったんだ、こうなる前にも」
「こうなる前、ですか」
「まだ建物とかボロボロだけど、そのもっと前にも大戦があって……。あっ違うの。ゆかさんに戦いのことを言いたかったわけじゃなくって、えっと。じ、人事異動とかが結構あってね!」
「あ、いえ、私で良ければ……あの、お話とか聞きますよ。桃さんがお辛くなければ」

 人事異動とはまた綺麗な。──人望の厚かった、憧れの上司が起こした謀反、から始まった長き戦争。その話を彼女が自ら切り出した。重いであろう話題にぐっと口籠もりそうになったが、自分が狼狽えてどうする、と雛森の方へ体を向き直した。
 ただその俯き具合から「あっでも。無理はしないで下さいね、無理は」と咄嗟に気遣ったが、彼女は「ううん、聞いてもらえればいいの」と何かに踏ん切りをつけるような声で続けた。

 これまでにあったこと、日番谷との思い出や過去の話。それらの所々を掻い摘みながら、教えてくれた。雛森は随分と前へ進んでいるようで、かつての悲しみや落ち込む様子は一切見せなかった。その時々に魅せる遠い目は、過去を蔑むものではなく、あの日々を懐かしむものでもなく。決して忘れることはない、全てがあったから今がある、そんな強い双眸だった。自ら忘却しようとはせず、全てを受け入れ、未来を見据える彼女は強くて、逞しくて。初めて映る雛森桃だった。そして彼女の中でその過去は、善し悪しあれど大切な記憶として蹴りがついている。そう思うと、とても感慨深いものがあった。

「あのねっ、知っててほしいとかじゃないんだけど……ほら、ゆかさんだけ何も知らないなんて、なんか引け目感じちゃうしね!」

 その言葉に目を細めて、小さく首を横に振った。

 ──ごめんなさい。でも、ありがとう。

 言えないこと塗れの心中で、謝罪と感謝が犇めき合っていた。

「……私も、そろそろ前へ進まないといけませんね」

 ひと通り聞いてひしひしと感じる。区切りの良いところ、然るべき時に、元の世界へ戻った方がいいのかもしれないと。生きるべき本来の場所へ。そんな選択が叶うのかは不明だけれど。

「ゆかさんは常に前へ進んでいるじゃない」

 雛森が「いつも成長してるのを感じるよ」健気に温かく励ましてくれる。
 確かに今の居場所を維持するには、力を身につけることでしか成長はしないと思う。

「えっと、ありがとう……ございます、いつまでも自信が持てない性格で」

 まだ生半可、精神も未熟。不甲斐ないながらも、雛森にはこちらの事情も喜助に対する想いも知らないでいて欲しいと願った。それはもし仮に自分がいなくなって、残される雛森を考えて。今でこそ芯の備わった彼女だけれど、心への影響が強すぎる性質も存じている。

 今を幸せだと感じているなら、尚のこと、彼女には知らない優しさも必要だと思った。

「大丈夫だよ、自信持って! あたしもみんなのお陰でここまでこれたの」
「だから、周りに甘えていいんだよ」

 そう、あどけない表情で言う雛森だけは、そのままで居て欲しいと切に願っていた。

「はい、ではもっと甘えられるように心がけますね」

 ふふ、といつもより自然に笑えた気がした。

「桃さん。……外に連れ出してくれて、本当にありがとうございます」

 ようやくこの世界に来た現実としっかり向き合えたようで、彼女に心からの謝意を告げた。

「そんな、全然! また来ようね!」
「……はい! またぜひ一緒にお願いします」

 彼女にとってはたまの休日にふらっと出歩いただけ。そんな大袈裟には感じないだろう。けれど話せたお陰で、一歩、いや半歩ほどでも前へ進めた。本当にありがとうと今一度、胸中で唱える。
 ただ、戻るかもしれない選択が前進となってしまう皮肉には、気づかない振りをして。

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