来るか、身構えた。一歩、また一歩。近づくマユリが鞘から抜いた刃を輝かせ、口を開ける。瞬く間に彼の霊圧が上昇していくのを感じた。肌にじりじりと相手の霊圧を受けながら、伏し目がちに俯いて神経を集中させる。

「──掻き毟れ、」

 そして、彼が斬魄刀の名を発する直前まで、こちらも静かに霊圧を上げていく。
 紡がれた解号にかぶせて「ごめんなさい」と詫びてから放った。

「縛道の……六十三、鎖条鎖縛」

「んなっ」驚くマユリに、金色に光る太い鎖が勢いよく巻きついていく。
 すると奥から突っ走ってきた阿近が立ち止まる。前例のない隊長の姿を見て硬直していた。

「……ま、まじかよ、聞いてねえよ」

 鎖条鎖縛に捕らわれているマユリを直視して、こりゃやべーな、と慌て始めた。
 はあはあ、荒れる呼吸を整え、目先に映る男を見据える。

「……良かった。こちらに来てからの報告は……されていないようで。私は、あくまで客人として来ていますので……帰らせていただきます」

 マユリは捕らえられたまま、噴き出したように哄笑を上げた。

「君は……! 何か勘違いをしているようだネ……。あくまで客人? 何を言っている。そもそも何故、君の魂魄が此の世界へ踏み入れたのかもわかっていないのに、だヨ。体内の虚侵入をも超える事象に無関心とは、呆れてもはや滑稽だネ」

 この期に及んでの戯れ言にはこれっぽっちも興味がない。申し訳ないが阿近にも霊圧をあてながら「すみませんが、開けてください」と退出を急かす。

「君が現れた、いや君の魂魄が出現したと言おうかネ。その様子だとあの日の事象については、浦原喜助から聞いていないようだ」

 浦原喜助、という名にこめかみが疼いた。どうやら自分はいくら無駄口だとわかっていても、あの人のことだけは素通りできないらしい。慕い心に忠実というかなんと言うか。単純だ、なんて思われても否定はしない。

「……喜助さんが、なにか」

 口角を上げたマユリは厭らしく嗤う。

「……あの男の名を出すと耳を傾けるのかネ、まぁいい。君の存在が浮き上がった日のことだヨ、知りたくはないか? あの日、実に未知なる霊子並行移動があってだネ、──」

 口を閉ざしたまま冷ややかに目を送る。

 ──なに言ってるの、この人。

 怒りに任せて放った鬼道でアドレナリンが上昇しているのか、まともに頭が回らない。仮に回っていたところで理解に及ぶとも思えないが。

「涅隊長! それはまだ未報告の件で、現世からの確証は、」

 事柄の露呈を阻止しようと、阿近が声を荒げた。

「五月蠅いヨ!」マユリが一吠えすると阿近はぐっと拳を握り、怪訝そうに顔を顰めた。内容のこそさっぱりだったが、まだ公表もしていない情報はそんなにも機密なのかと勘ぐるまでに留まった。

 すると、突然──。バチバチッ、と電子的な何かが大きく音を立てる。それと同時に、パソコンよりも巨大な画面が一気に明るく光り、通信中へと切り替わった。画面は砂嵐で乱れるも、雑音は入ってきているようだった。

「──どぉーもォー!」

 鼓膜を貫くような声に、整えたばかりの呼吸が再び乱れ始めて。

「お疲れさまっス!  涅隊長に阿近副隊長。どうっスか調子は」

 徐々に目頭が熱くなっていき、堪らず、叫んだ。

「っ、う、浦原さん!」

 呼ぶと画面の砂嵐が止んで、ようやく鮮明な映像が映り込んだ。大画面には帽子を外した喜助が。机の前に座っているのが見えた。どうやら自室のようだった。カメラに向かって片手をひらひらと、大口を広げている。こんな状況なのに、久しぶりに見る彼がこんなにも嬉しくて、恋しくて。
 自ずと体がそれに近づいていく。

「これはゆかサン! 貴女が此処にいるってことはァ、あれ? ……どぉしたんスか、そんな大層なもんに巻かれて」

 あら偶然、とマユリに視線を移した喜助の声音は低かった。

「そこで。何か、あったんスか? 涅隊長」

 どことなく漂う不穏を察した阿近は、慌てふためいてマユリを隠すように大画面へ近づいた。

「これは! 別にっ、あんたに喧嘩を売ろうとした訳じゃ」
「あなたに言ってるんじゃない、君は下がっていて下さい」

 態度こそ落ち着いてはいたが、どことなく怒気を感じた。接した中でも訊いたことのない色だった。何か声をかけようにも出てこず。平気です、なんて取り繕うことも躊躇せざるを得なかった。
 当のマユリは残念そうな面持ち、かつ面倒そうな表情でこの大画面を見上げている。

「涅サン。それ、鎖条鎖縛ですよね。状況から見て判断するに……抜いた刀で逃げたゆかサンを捕らえようとして、斬魄刀の始解を試みるも、彼女の縛道の方が早かった、てとこスか」

 その憶測を鼻であしらったマユリは「何処までも不愉快な男だ」と画面から顔を背けた。

「悪いが、不愉快なのは此方の方だ。僕、言いましたよね。彼女に手をかけるなら、失うモノが多いことを承知の上でって。あの時の言葉、おふざけじゃないっスよ?」

 最後の発言こそ飄々としているものの、言っている内容と声色は脅しそのもので。失う物とは。

「噛み砕いて言えば、此処での権威、地位失墜をも覚悟の上で、てことっスけど。……もうわかりますかね。先に言いますが、コレちっとも大袈裟じゃないっスから」

 マユリは小さく舌打ちをして、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。権威や地位など、彼にとっては然程大事ではないのだろうが、それらがなければ娘として手塩にかけている被造魂魄計画『眠』は無となってしまう。この研究に身を捧げることが、彼の全てなのだとその苦悶が物語っていた。離れた円柱瓶の中でぷかりと浸るネムを見て、静かに察した。

「もう一度聞きます。『何か、あったんスか?』」

 喜助はなにをしようとしていたか、とまでは聞かなかった。マユリの気質を知っていれば先の行動はわかる。だから理由など聞く必要もないのか。それとも聞きたくないのか。初めて対面する彼の荒れた姿に、恐れるとはいかずともほんの少しだけ萎縮してしまった。

 その問いにマユリは太々しくも「何も、未だしていないヨ」と開き直る。
 得心しない喜助は、当然のように「未だ?」と訊き返した。

「ッ、胸糞悪い男だネ! 何もしなければ良いのだろう!! 科学者としての侮辱行為だがな」

 縛られた状態の言い分は、何処ぞの遠吠えそのものだった。

「はい、そしてゆかさんに近づかないで下さい。妙な事も耳に入れずに」

 妙な事。それは先ほどマユリが放った聞き慣れない言葉のことだろうか。その言葉を知ってしまった以上、ちょっとは告げ口をしても良いかと口を開いた。

「あの、浦原さん。霊子並行移動ってなんのことですか」
「──ッ!」

 阿近とマユリが慌てるだろうとはわかっていたが、喜助までもがこの表情をするとは。流石に想定外だった。出すべきではなかったのかと今更悔やんだところで、後戻りは出来ず。

「涅さん、阿近さん、まさか話したんスか」

 すかさず「俺は止めたんだ」と阿近が非を逃れようとする。実際のところ、彼は止めようとしていた。不運にもマユリが発した後ではあったが。その張本人は、無視を決め込み沈黙を保っている。

「ゆかさん、その事については帰ってから改めてお話しします」

 意を決したように「すみません」と詫びを入れられた。
 事情は呑み込めなかったが「はい」とだけ返す。

「貴女にお話があるように、アタシからも話があります」

「はい、わかりました」と堅苦しくしないように心がけて柔らかく笑んだ。大丈夫とは言えずとも、騒つく不穏を喜助に悟られたくはなかった。なるべく困らせないように、物分かりのいい女を演じることは出来ただろうか。喜助の持つ話が良い方面のそれではないことは、訊ねなくてもわかった。

 速く帰って逢いたい、ただ逢って共に過ごしたい、それだけなのに。話をしたらもう、あの頃のようには戻れないような気がした。けれど、いつまでここにいればいいのか、なにをすれば終わるのか、行き場を失う想いに全てを投げ出して嘆きたくなる。

 ──こんな姿は見せたくない、絶対に。

 逢いたい、でも話をするのは怖い。我が儘ばかりなこの強情にほとほと呆れてしまう。本当に自分は甘い蜜ばかり啜ってどうしようもないな、と自嘲して「では、また現世で」と喜助にさよならした。

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