その後は互いに無言のまま。十二番隊へ辿り着くまでの時間がとても長く感じられた。行きたくない、このまま逃げたい、次第に負の感情が大きくなっていく。

「何をぼさっとしている、さっさと入り給えヨ」

 ぼやぼやしていたらもう研究室へ着いたようだった。

 ──ここが、喜助さんがかつて隊長を務めていた、ところ。

 そう思うと、さっきまでの不安が少しだけ和らいだ。
 広々とした部屋へ入って目に飛び込むのは、パソコンよりも遥かに大きな作業画面に、円柱詰めにされている肉塊。如何にも研究所というものは見慣れず、肩を窄めた。喜助の自室にはなかった。敢えて隠していたのかもしれないが、生き物の標本や瓶詰めなんてなかった。ここへ来て、初めて科学者という職業を認識した。気乗りしないまま、室内の奥へと進む。
 一つ、培養液が満たされている円柱瓶に、やけに人型へ近い肉塊が目に止まった。

「此奴は眠八號、私の娘だヨ」

 この子があの、思わず瞠る。まだ培養液からは出させてもらえないようで、浮かんでいる姿はすやすやと眠る新生児と変わらない。かの大戦でマユリが大切に抱えていた大脳。それがもう、ここまで。その成長と技術に圧倒されていた。

「あ。お客さんすか、隊長」

 更に奥から白い割烹着のような服で現れたのは、必死に助けを求めていた阿近だった。

「あの、初めまして!」

 味方に付けようと自ら名乗り出た。今は阿近が副隊長にまで昇進していた。

「……ども、こんちは」

 彼は物静かで落ち着いた性格とあってか言葉数が少ない。会話が続かず止まる。他の人にも挨拶をと、周りを見渡すも、おかしい。阿近の他に隊士が見当たらない。むしろ、人気が皆無。

「意外に人が少ないんですね……?」

 研究室の割に、と。それとなく鵯州たちを意図したが、阿近はすぐに答えてくれた。

「ああ、俺以外の奴らは別用で表へ出てる。サンプリングだかなんだか知らねェが、隊長がいない間にサボってんな。ありゃ」
「えっ」

 ──まさかそんな、サンプリングとは。大戦中に残された元敵軍の何かを採取しているのか? 
 どうでもよい疑問が過る。いずれにしても被験という最悪な出来事は回避せねば。今にも落胆しそうな表情を平常にと努めた。この二人へ身の安全を確認しよう。

「えっと、あのー。私は実験にされるのでしょうか。あと、浦原さんの被験体ではないので、そこは先に伝えておきます」

 こちらの問いに彼らは肯定も否定もせず。
「先ずは座り給え」とマユリに促され、用意されたステンレスの椅子へ腰掛けた。大型の機械にもたれる阿近は腕組みをして傍観している。

「さて、本題に移るとするヨ。あの男は何処まで君の体に手をつけたのかネ。被験体では無いと言うのなら、治療名目としての観察記録くらいはあるだろう。君はそれ程に珍しい魂魄なんだが」

 言ってる意味がわからなかった。手をつけられたという内容も、観察記録の存在も。
 理解すら程遠く。浦原喜助は、ただこちらが勝手に尊敬し、慕っているだけの男。これっぽっちも研究者として接されたという印象はなかった。到底、解りたくもなかったのかもしれない。

「……わかりません。なにも、されてない、と思います」

 喜助さんはそんな人じゃないと言えたら良かった。でも、そんなこと百年以上も前から彼のことを熟知している人に向かって、とても言えなかった。結局のところ、十数年だけ一方的に知り、数か月だけ共に過ごし、解った風にしているだけ。彼の本性などほとんど何も知らない。

「何も……何もだと? 私を愚弄しているのかネ?」

 突如、マユリがヒステリックに声を荒げる。それほど変な事は言っていないと怪訝を露わにした。

「様々な調査報告を受けているのだヨ、あの男からは。調書があるが為に、君に出会った場合には触れないと契約を交わした。つまり、体のどこかしらを弄っているという訳だ。わかるかネ?」

 黙って聞いていた阿近が口を開いた。

「もしかしたら、眠っている間に検査を施して、本人は知らされていないんじゃ」

 それを言われて、「あ、」と思い当たる節があった。
 まだ悪夢を恐れていたあの頃、闇医者だと疑ったことがあったなと。

「確かに、投薬はされました。悪夢を見ないようにするため寝ている間に、です。あとは……初めの頃に、内部からの殺傷を防ぐ薬を」

 やっぱりな、と阿近は納得して首肯く。

「あの人は涅隊長と違って大々的に体を縛り付けて被験させる事はしない。だいたい、鵯州にも隊長は最近アグレッシブだって言われてるでしょう。研究に対する嗜好が違うんすよ」

 そう阿近がマユリを宥めるように告げると「フン、同じ科学者として嘆かわしい男だヨ」と反発したよう吐く。けれどもマユリが同じ科学者と、彼を同列視していた事実を聞き逃さなかった。

 ──そうだよね、喜助さんも……科学者なんだもんね……。

 普通の人間として見られていないこの現状に。喜助から『監視下は終わりだ』と告げられたあの夜のことを重ねていた。あくまで危険を排除するまでに過ぎなかったことは、敢えて自分に伝えなかっただけなのでは。それが彼の優しさだったのでは、と。

「此処にはあの忌々しい男も居ないことだ。私がしっかり魂魄を調べ直しても誰も文句は言われないだろうヨ。寧ろ感謝されるべきだろう」
「え、それってマズくないすか。仮でも喜助さんと契約交わしたんすよね?」

 黙ったまま、彼らの会話を目で追う。

「そんなもの。所詮は口約束にすぎんネ。実際には何の意味も持たない。此の娘は尸魂界へ足を踏み入れた時から、既に私の被験体だ」

 背筋がぞくりと震えた、──怖い。

「……それは、隊長命令ですか?」

 阿近が溜息を吐きながら、マユリに問う。

「命令する迄もないヨ。公にするとなにかと面倒なんでネ、此の中だけの極秘として処理するヨ」

 マユリが聞きなれない専門用語を告げると、阿近は奥からがたがたと実験台を運んできた。

 ──……ほ、本当に、実験体にされる、

 目を見開いた。鼓動が秒を追うごとに速くなっていく。
 マユリは恐らく本気だ、いや、見るからに大真面目に言っている。
 すぐさまこの部屋から出るしかない。出ないと。

「──い、嫌です……!!」

 せめてもの意思表示だけを叫び、ガタッと椅子から立ち上がった。入り口まで走り、扉を開けようと手をかける。ところが力を入れても何故か開かない。あいてよ、あいてってば、何度も願いながら叩いても効果はなく。一旦振り返り、今こそ阿近さんに助けを! と姿を探すも彼は準備中のようでどこにも見当たらなかった。必死に指と腕でぐっと押す。びくともしなかった。

「やれやれ。滅却師もそうだが、興味深い魂魄は頭の緩い奴が多過ぎるヨ。こんなにも素晴らしい被験体を、簡単に逃すと思うかネ」

 全く、と呆れ返るマユリの声が、すぐ後ろで聞こえる。
 無防備な背中を晒すことすら恐ろしくて、マユリと向かい合った。

「そっそんなこと絶対に嫌! 私、本当に普通の人間なんです!」

 こんなことを言っても無駄とはわかっていた。それでも、言って解るなら。まだ希望があるなら。とにかく決死の形相で抗議し続けた。

「喧しい上に執拗いネ。嫌、だの以前に、言ったろう。君は此の土地を踏み入れた時点で私の被験体だと。つまり、拒否権は愚か選択権すらないのだヨ」

 再び一歩近づく。そして、鞘に手をかける仕草が見えた。

 ──なっ、まさか。こんなところで斬魄刀を解放するの、この人おかしいんじゃないの。

 ゾッとした。話の通じぬ相手なのだとようやく全身で理解した。

「ゾンビ娘の連中と同様、ピーピー五月蠅い奴等には少々手荒な真似をするしかないのでネ。悪く思わないでくれ給え。ああ。心配しなくていいヨ、今回痛覚を伴うことはない。稀少な魂魄を削ぐことは、私としても極力避けたいのだヨ」

 先ほどよりも愉しそうな色を含んだその声から遠のくように後退りする。
 背中が扉へ激突し、がたん、と音を立てた。
 嫌だ嫌だ触られたくない。その一心で、斬魄刀の効力を思い出した。……まずい、恐らく四箇所を切って四肢を動けぬようにでもするのだろうか。痛みを失くすと言っていたが、お得意の能力改造で変化したのか。彼の斬魄刀を事前に知っておいて、幸か不幸か、奥歯をぎりぎりと噛み締めた。
 そうこう思案しているうちに、彼が間合いに入り、ついに刀を抜いた。

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