最後のお料理からしばらくして、夜も深くなり始める。そうしてそろそろお開きの時間となった。
 楽しい時間は本当にあっという間だ。厠へ向かったり、ちらほらと立ち上がったり。酔いを冷ませるため、先に外へ向かっている人も。隊舎内の自室へ戻る女性たちは、方向が同じ男性陣に送ってもらうようだった。そんな会話がどこからか、襖越しの廊下あたりから聞こえてくる。
 一方、宿舎に戻る自分はみんなとは別の道だ。それを知っていた乱菊は、平子に見送りを依頼していたようで部屋の外から二人の声が近づいた。

 すぱん、と開かれた襖で二人が佇む。平子はほろ酔いのまま、しゃーないな、といつものように面倒臭そうにしていたが、乱菊が「じゃあ他の男に頼みましょうか」と訊けば「それはアカン」と自ら渋々と名乗り出た。

「なんだかんだ言って心配性なんですからぁ平子たいちょー」

 乱菊が揶揄いながら平子を小突くと「俺は桃の上司やからな、ゆかちゃんは桃の弟子やし」などとよくわからない理論で見送りを承諾した。遠巻きに二人を眺めたら、そろそろ帰り支度を。

 ──ん、ちょっと、飲み過ぎたかな。

 気分が悪いことはないのだけれど。お座敷から立ち上がるとぐらり、視界が揺らいだ。
 悪酔いはしていないはず。ただこの状態での自意識の主張はあまり当てにならないだろう。

「オイ、大丈夫かよ」

 そう言って、左肘を掴んだのは一角だった。彼は驚いたような照れたような色を浮かべた。

「あ、斑目さん、すみません。ちょっと酔いが、」
「……あんた、腕折れちまうぞ。こんなんじゃ力出ねェだろ、もうちっと食えよ」

 一角は強者だと誤解していた自分を逆に心配したようだった。それに「ああ、はい」と軽く首肯く。

「ハイ、そこ。お触り禁止やでー」

 しっかりと掴まれている体勢を、平子がたまたま見かけていた。

「違いますよ、こいつがフラついてるから、手伝ってやったんすよ」

 彼は勘違いのないように、直ぐさまパッと左腕を離して目を伏せる。

「ゆかちゃんは、マッチョ目的に来てんねやないねんから、気にせんでええ」
「でも確かに筋トレはしていないので、筋肉つけないとですね」

 半分真に受けつつ答えた。
 そしてようやくお座敷の部屋を後にしてから、入り口へ向かう。段差で屈み、慣れない草鞋を履く。他の人たちはすでに外へ出ており、其々が店前で話し込んでいた。最後の自分が、急いで暖簾をくぐって店先へ出る。ぽかぽかと酒で火照った頬に、外のひんやりと冷たい空気が当たってとても心地良く感じられた。現世と同じような真冬の気温で、吐息も白く浮かぶ。

「皆さん。今日は、本当にありがとうございました。とても楽しかったです」

 深々とお辞儀すれば、乱菊が「いいのよ、またご飯行きましょ」と優しく返してくれた。

「ゆか殿は宿舎なのだろう? 一人ではないな?」

 心配そうにルキアに問われて「平子さんが送って下さるそうです」と伝えた。

「平子たいちょー、送り狼しちゃダメですよぉー」
「ちゃんと送ってあげてくださいね」

 隣で腕を組む平子に、乱菊と雛森が後方から念を押す。
 彼女らの配慮をあしらうように「へいへい」と手を振った。
 ふ、と見上げた空。こっちの星も現世のそれに劣らず綺麗で、手なんか届かないくらいに遠くて。世は違えど、あの人も同じようにこんな寒空を見ているだろうか、なんて不本意にも。

「瞬歩で帰ってもええねんけど、酔い醒ましにゆっくり歩いて行こか」
「はい、そうします。私もちょっと、お酒が回ってしまっているようで」

 息を整えてから向かえば、平子もこちらの歩調に合わせて進み出した。
 以前に夜道を歩いた時は、隣に夜一がいて、優しくて儚い空間だった。暫く日数が過ぎると、今度は平子が隣にいて、ここでの生活に慣れ親しんだような不思議な感覚を纏わせる。

「昼間は元気なかったんが、戻ったようやな」

 彼から見てもそう映っていたのか。この人もよく気づくなあと感心する。

「さすが、隊長さんですね。下の者をよく見てらっしゃって」
「ゆかちゃんは隊士とちゃうけど、一応はそうゆう立場や。堪忍な」

 きっとこの堪忍は、嫌なことに触れてたらごめん、という意味なのだろうと火照った頭でも考えることができた。

「いえ。隊をまとめて、部下を見て、強くて。隊長さんって大変なのに凄いなぁって思います。こんな単純な言葉でしか上手く敬意を表せなくて、」

 抱く敬いの念を十分に伝えられなくて、「すみません」と己の語彙力を嘆いた。
 平子は、ハァ、と溜息を吐いてこちらに体を向ける。

「あんなァ、俺やからあれやけどな、自分もうちょい自覚持った方がええで」
「と、言いますと?」

 一体なんの自覚かその意図が読み取れず、平子に答えを求めた。

「男は誰でも狼っちゅうことや」
「……なんでそんな話になったのでしょうか」

 隊長を貴ぶ話をしていたはずなのに、急に男は狼だと告げられても、全然ピンとこない。

「ま、ええわ。自覚ないならないで気ぃつけや」

 平子は淡々と続けた。

「六番隊のガキだけやなくて、他からも言い寄られて困るん自分やで」
「それは、ないと思いますけど。なぜに困る、とお思いでしょうか」

 これ以上言い寄ってくる物好きはいない、と思っている。仮にいたとしても、彼の言う通り少し困ることにもなりそうだけれど。はっきりと言ってのける平子の本意は知っておきたい。

「さっきも言うてたやろ。人間と死神が、てな」

 ああ。瞬時に納得した。確かに理吉の一件から死神に好意を寄せられても困るだけかも。そしてそれは、逆も然り。

「それに、や」

 他にもあるのかと「なんでしょう」訝しめば、平子は歩む足を止めた。なにを考えているのか、視線を僅かに宙へ向けて。月明かりに輝く金色の髪が、視界いっぱいに広がる。

「ゆかちゃん、喜助んこと好きなんやろ」

 なんの前触れもなく。突如、告げられた事実の破壊力は凄まじく。硬直してしまった。同時に見下ろされた。いつもみたいに、へらりともせず、こちらの目を見据えている。

 ──言葉が、出てこない。

 そんなことはない、そう言わなければいけないのに。刺さるような眼から、逸らせない。

「あれやで? 友達としてェなんて甘ったるいこと聞いてんのとちゃうで」

 固まった脳みその向こう側で、平子の声が遠方から響いているようだった。

「……んで。どうなんや」

 平子は笑いもせずに、続けて訊ねる。
 夜一と交わした意志表明が頭によぎる。あの夜の決心を言霊のように口にする。

「そんなこと、ないですよ。尊敬している人、ただそれだけです」

 意地の張り合い、諦観。なんでもいい。
 平子は「ハァ、まだ言うんか自分」と溜息混じりに吐く。

「人間と死神って理由付けはあのガキに対してやなくて、ゆかちゃんが喜助に感じてんちゃうん」

 己の心の渦を、まるで映し鏡のように跳ね返されて。困惑した。

「さっきも言うたけどな、そんなんどうだってええねん。自分がどう思てるか、やろ」

 再びまじないのような声が、胸を縛り付ける。捨てたはずの想いを、半ば強引に掬い上げられた気がして息苦しい。諦めなきゃいけないのに、これは迷惑なのに、どうしてまた掘り返されるのか。

「なにを根拠に、そんなこと」

 直ぐさま俯いて、ぐっと唇を結び堪える。痴態を晒すもんか、と拳を握ってもなぜ意に反してしまうのか。この脆さが厭で、一層醜くて仕方がない。そうやって口では平子の予見と真逆の答えを出したものの、歪んでいく表情が本心の全てを語っていた。

「……そうか、とんだお節介やったな。ごめんな」

 辛抱することが精一杯でそれに声を返せなかった。
 ゆっくりと屈む平子は目線を合わせて「でもな」と続けた。

「もう目から溢れ出そうやん、」

 あともう一回。瞬きをしたら溢れる、恥ずかしいほどに愚直だった。今にも零れ出そうなそれを、ぎり、と奥歯を噛んで。飲みの席のように拭ったら、この想いを認めることになってしまうから。

「……なにも、出てませんし」

 これは隠さなければならない、平子も自分も騙してまでも。
 すると平子は、先ほどのように隊長羽織で目尻にあてた。薄っすら滲みかけていたものを「ん、」と相槌を打って拭う。

「ああ、俺の勘違いや、目にゴミ付いとっただけやった」

 明らかに隊長羽織の袖口は濡れている。頑なに拒否をするさまを察してか、平子はそれ以上は問い質さなかった。彼がおもむろに星々を仰ぐと、静かに深呼吸をして言った。

「こっからは、おっきな独り言や」

 どこか清々しく映る平子を見上げる。

「俺らからすれば人間の寿命は短すぎんねん。その短い間に、なんでようさん我慢せなあかんのやろな。もっと自由に生きられたらええのに、そしたらもっと幸せなはずなんやけどな」

 最後に、難儀なもんやな、と落とす声は穏やかで。
 彼の中でこちらの答えはわかっているのだろう。けれどそれにはもう触れてはこなかった。
 見つめる先に浮かぶ、月明かりに照らされた透き通るような金糸は、輝いていてただただ綺麗で。その人から紡がれるひとつひとつが、すっと心に浸透していく。

 ──もっと、自由に、幸せに。

 色々と難しく考え過ぎているのかも。自分の思考回路を初めて疑った。平子によって掘り返されたものの、行き場所が定まらない。良いのだろうか、もっと幸せに、なんて求めても。求めたところで、この想いに幸福という終着点はあるのだろうか。それでも、本当は。

 ──……喜助さんに逢いたい。声が聞きたい。

 ただ自由になにも考えずに曝け出すのであれば、これが真実なのだろう。じりじりと迫り滾る慾望を告げられたのなら、こんなにも感情に不自由さを覚えていないのだけれど。

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