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 職場復帰という名の初出勤から早くも一週間程が経過した。仕事にも徐々に慣れてきて、今日はあのとき営業へ行けなかった取引先へ上司と謝罪行脚をしてきた。上司のフォローもあり、先方は全然気にしてないとむしろ自分の身体を気遣ってくれた。何とも人に恵まれている。取引先のビルを出ると、いい時間になっていたようで、二人共このまま直帰の予定だったが上司が声をかけた。

「この後、メシどうだ?」

 記憶障害だと思っている上司は、あまり時間を掛けずに軽く食事でもして帰ろうと誘ってくれた。
丁度作り置きしていたご飯も無くなったので、喜んでとお誘いに承諾し近くの居酒屋へ向かった。

 二時間ほどで食事を終えた。ゆかは酒を控えていたが、上司は嗜む程度に飲んで気持ちよさそうだ。あまり夜深くならない辺りで切り上げ、お互いの帰り道が同じ所まで歩いていく。ゆっくりと進み、上司の酔いを冷ましながら談笑していた。
 すると。暫く感じなかったあの背後の違和感を一週間ぶりに感じた。素面のゆかは勢いよく振り返る。やはりユウレイの悪戯なのか、と苛立ちを覚えた。今日は自分だけじゃないのだから他人まで怖がらせるな、と心中穏やかではなかった。

「神野、大丈夫か?」 

 ほろ酔いの上司は、不穏な空気で背後を見つめるゆかに尋ねる。

「何でもないですよ。さ、帰りましょう」

 ゆかはとにかく早く独りになってしまおうと思った。
 ふと、思い出す、この状況、──このシーン。
 なにかと酷似していないか。違う、デジャヴじゃない。何処かで見た既視感だが、思い出せない。
 少し早歩きで二股の別れ道へと辿り着いた。本来は上司と同じ道でも帰れるが、早く独りになってしまいたかったためコンビニへ寄ると口実を作り「今日はご馳走様でした」と上司を見送った。

「おーう、お疲れ。また月曜な」

 上司が右手をあげて、振り向きざまに声をかけていく。
 ああ、今日は金曜だったか。そんな事はすっかり忘れていて、とにかく早く家に帰りたいと思った。それはずっと背後の悪戯が消えなかったから。上司と別れてからやっとマンションへの一本道に。もうすぐだ、これで帰れると思った矢先、再びあの現象が起き始める。
 ザァーッと背後から吹く大きなつむじ風。かまいたちの突風、あの時はそう思った。今はそれを考える余裕もなく、威力を増して何度も突風が吹き荒れる。
 ビビッ──。右腕に三箇所、上着が裂けていくのがわかった。
 これは硝子が飛んだからではない、そんなに偶然は起こらない。困惑した。

 ──また、これ……!? 一体なんなの、
 ──ズキッ、後頭部にかまいたちの傷を感じた。

 まるで刃物で斬られたかのような痛みで、一気に恐怖を覚えていく。

「いっ、た!」

 後頭部を押さえると、ぬるりと嫌な触感。血だ、そう思った時には遅かった。一層強い風が吹いたと思えば、背中から腕、足元まで裂け目がついていく。後頭部の痛みに気を取られ、分厚い上着に上半身は守られているから平気だと思い込んでいた。
 腕の状態を見た瞬間、血の気が引いていくのを感じた。

 ──コートだけじゃない。皮膚まで、切れてる。これは、虚だ。

 見えない敵と自身の傷を自覚した瞬間、全身の裂け目から血がぶわっと噴き出していく。
 足も腕も背中も。斬られた事実を受け入れられず、助けを求めた手は、宙を掴む。
 その指先にも亀裂を入れられ、恐怖だけが五感を支配した。

「だれ、か、」助けて、という言葉は声にならず風音に消された。

 もう、駄目だ。立っていられない。ゆかは、膝から崩れ落ちていくのがわかった。倒れる瞬間に、やっと思い出した。さっきの出来事はデジャヴじゃない。あの時の上司とのやり取りもあちらで見てきたことだった。遥か遠くの世界で見た、織姫が力を覚醒させるシーンそのものだったのだ。
 あの時、違和感に気づいて早く帰ろうと促した織姫。
 仲間を護るのに必死だった織姫。
 上司と別れていて良かった。今の私には護るものなど何もない、覚醒される力もない。だからこのまま倒れても大丈夫、そんなことをぼんやりと考えながら、そっと目を瞑り前方へ倒れ込んだ。

「遅くなりまして、スミマセン」

 倒れたはずの地面は人肌のように暖かく、どこか懐かしい馨りがした。

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