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 尸魂界旅行とは勝手に言っていただけで、観光の予定はない。
 霊術院での座学に雛森の稽古、夜一による白打組手を連日、ルーティンのようにこなしていた。こちらに来てから数日、また数日と過ぎ。瀞霊廷を一人で歩いても初日や二日目程の緊張はかなり薄らいでいった。
 公式な客人として訪れているせいか、瀞霊廷内になにかしらの通達や連絡は入っているらしい。だが、その掲示も言ってみれば研修生紹介程度のようなもの。なので関わらない場所では、全くと言っていいほど絡みがない。毎日ほとんど見知った相手にしか会わない上に、十三もある隊全てに顔を出す必要もないのだから、慣れるのが当たり前かと一人で納得した。

 ──気分も稽古も落ち着いてきたし、少しは成長してるかな、どうだろ。

 今日も雛森との実戦稽古を終え、湯殿の流し場で汗を流そうと五番隊隊舎の廊下を急ぐ。時刻は午後の三時あたりだろうか。そろそろ小腹も空いてきて、お団子屋さんへ寄りたくなってきた。
 瀞霊廷内には美味しい甘味処があると、乱菊と雛森に聞いていたのだ。

 ──お団子、何にしようかなあ。

 早く着替えて甘いものを補給しよう、そう小走りで進むと、前方から五番隊には珍しい子が。

「あれ、竜ノ介くん?」

 こちらから呼ぶと、向こうも手を振って急ぎ足で近づいて来た。彼の表情を見るあたり、偶然、という訳でもなさそうだった。

「なんで五番隊に、珍しいね」

 竜ノ介の前まで駆け寄って止まる。
 よく見ると、彼の後ろには初めて見る男の子が立っていた。

「ゆかさん、やっと会えましたぁ……。探していたんです」

 くたびれたように言う竜ノ介は長いこと自分を探していたようで、手間をかけさせて申し訳ないと手を合わせた。

「そうだったの? ごめんね、中で稽古つけてもらってたの」

 続けて「何の用事だったの?」と聞けば、竜ノ介は口籠もりながら隠れていた男の子を引っ張り出す。「ゆかさんに会って欲しい人がいて、」とその子を前に突き出した。

「は、初めまして! 竜ノ介の兄の行木理吉と言います!」

 そう挨拶する竜ノ介の兄、理吉は恭しく直角くらいまで腰を曲げた。その名を聞いて瞬時に思い出した。ああ、恋次に憧れて入った子だと。過去、よく地獄蝶を追いかけていた子だ。

「……あ、六番隊の、」

 思い返したついでに口からぽろっと零れた。
 なんで知ってるんだと思われてもまあ適当に言い訳すればいい。

「そうです! オレのこと、知っていてくれたんですか!?」

 何番隊かを零しただけなのに、理吉はお辞儀をしたまま、嬉しそうに顔を上げた。それにしてもこの反応は、思い浮かべたそれよりも随分と大袈裟な気がするが。

「えっと、ほら。この間、六番隊へお邪魔したからさ、それでいろいろと」

 そう、あれは数日前。六番隊にお邪魔したのは嘘ではない。ただ、その時は特に彼を見ていないし、話題にすら上がっていないのだけれど、うまく取り繕うことは出来ただろうか。

「光栄です! オレあの時、四楓院さんと出て行くゆかさんを見かけて。挨拶したんですよ!  竜ノ介に前からあなたの話だけは聞いていたんです。それで……」

 流れ出る理吉の言葉に、うんうん、と傾聴しては、彼らの目的は何なのかと頭を捻らせた。

「それで、先日から客人が訪問されてるって。後から恋次さんに聞いたら、あの人が話で聞いていたゆかさんだったと知って……その、」

 理吉の視線が下がり、その目は右往左往と泳いでいる。
 その上、どこか落ち着きがなく、語尾を弱めて弟を見つめた。

「兄さんはゆかさんに声をかけられなかったのが悔しかったみたいで。だから、今日は空き時間があったので、兄を連れて探していたんですよぉ」

 意図がよく掴めず、はあ、と返しながら竜ノ介の話に耳を傾ける。きっと兄は弟の土産話を聞くうちに、虚の入った人間へ興味が湧いたのだろう。
 理吉は照れくさそうに笑う。弟の言葉に遠慮気味に「そうなんです」と同意していた。彼の揺れた前髪からちらりと覗く眉毛の入れ墨が、恋次を連想させた。

「その眉毛に入れてる入れ墨、阿散井くんとお揃いみたいでいい感じだね」

 気づいたまま告げると、理吉は喜びを露わにしながら前髪をかき上げた。

「ありがとうございます! オレ、恋次さんに憧れて入って。しかも、素敵な方に褒めてもらえて良かったです!」

 彼の飾らない真っ直ぐな言い様に「すてき……?」と返答に詰まる。これはまさか、と勘繰ってしまうのだけれど。ただの勘違いで済めば良いのだが、自分もそれなりに数十年を生きている。竜ノ介も探しにきた、と言っていたあたり、こちらの予想は凡そ65%ほどだろうか。

「そ、そんな、大袈裟だよ」

 謙遜しながら苦笑すれば、理吉は間髪入れずに「大袈裟じゃないです」と真顔で言う。
 予期せぬこの対話に正直困ったな、と別の話題を振った。

「せっかく足を運んでくれたから、何か聞きたいこととか、あるのかな?」

 ただ声を掛けたかっただけでは本当に間が持たない。それに虚の入った人間に関心があるけど切り出せないのなら、と察しての提案だったが。すると竜ノ介が理吉を小突き、こっそりと耳打ちを始めた。なにかを決心した面持ちの理吉は、こちらに向かってはっきりと訊ねた。

「ゆかさんは伝令神機って持ってますか?」

 思っていたよりも普通な質問に、「いや持ってないなぁ」と即答で返すと、理吉は残念そうに眉を下げた。

「あっごめんね。こっちで言う携帯電話かな? そういうの持たせてもらってなくって、」

 なにも考えずに答えたばっかりに、曇らせてしまった表情を戻そうと慌てて言葉を重ねた。しかし理吉はそれに構うことなく、両手である物を差し出す。

「……これ、を」

 渡したくて、と理吉から渡されたのは、漢数字が書かれた紙切れだった。
 ああそうか。瞬時に状況を飲み込んでいく。ただ数十年をのうのうと生きていた訳ではない。こちらの予想は、ほぼ確信に、一気に90%まで上昇した。

「番号、オレの伝令神機です。ゆかさんがいつか持った時でも、誰かの物を借りた時でもいいので。良かったら、現世に戻っても友達でいたいな、なんて」

 これは所謂、お友達から、というものだろう。友達と割り切られている以上、これを好意と呼ぶのは相応ではないと悩む。が、まさか歳下男子に積極的な感情を持たれていたとは。あまりに予期せぬことで驚いた。歳下といっても、自分より何十年は長く生きているはずだが、見た目にあどけなさが残る。だから竜ノ介と同様、歳下という括りに入ってしまったのだけれど。

「もちろん。お友達としてどうぞよろしくね、番号をありがとう」
「良かった、急に押しかけたのに受け取ってもらえて嬉しいです」
「こちらこそ、死神のお友達が増えて嬉しいよ。理吉くん、大切に保管しておくね」

 初めて名前を呼ばれた理吉はそれは嬉しそうに頬を緩めた。

「はい! オレ、恋次さんと黒崎さんを見ていたので……なんていうか、憧れがあって!」
「うん、私も阿散井くんと黒崎くんの繋がり、本当に素敵だと思う。朽木さんと織姫ちゃんもね」

 彼らの関係性を思い浮かべては、脳裏で死神と人間の境界線が色濃くなっていくのを感じた。

 最後に「オレもそう思います」とはにかんだ理吉に、竜ノ介が「もうそろそろ戻らなきゃ」と遮った。行木兄弟が目的を達成すると、律儀に感謝の念を述べてから、兄弟仲睦まじく。廊下を真っ直ぐ行く。彼らを見送ったあと、指先に持った紙切れへと目を落とした。

 ──理吉くんは、偉いな。……私と違って。

 独り残されて。理吉の言った『現世に戻っても友達』が酷く胸に焼きついた。彼は人間と死神の立場をしっかりと弁えている。最初から友達として、割り切っては互いの立場を認識し、自分のような中途半端な自覚の持ち主ではなかった。
 あの月光に照らされた夜道、夜一へ告げた自身の決意が、頭に蘇る。

 ──『私、弁えているつもりです』

 つもりなだけで、全くなにも、実行にすら出来ていなかった。なにもわかっていない、区別しようともしていない。みんなと同じだと、知らぬ間に意識が戻って。この世の理ですらも頭からすり抜けていた。さらには、喜助に向けるべきではない真逆の感情が、厭というほど心にこびりついている。それは苦しく鬱陶しいくらいに。
 けれど、たった今。立場を弁えない馬鹿者にはちょうど良い薬を与えられた気がした。
 人間と死神は相容れないのだ、と。

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