内心で案の定、と呟きつつ口では「おかえりなさい」と笑顔で迎えた。
「夜一センセ、長いこと待っとったで、ゆかチャン」
背後から平子がひょっこり顔を出せば、彼女は怪訝そうに目を細める。
「その呼び方はやめんか、平子。それに何故お主が此処におる?」
「サボりらしいですよ、おかっぱさん」
「ちゃうわ! だーれがオカッパや、オシャレやオシャレ! 俺は様子見に来てんのにやなぁ。夜一の躾はどないなっとんねん」
問われた夜一は安堵の息を落としながら言った。
「やっと神野が神野らしく戻ったようで何よりじゃ」
言われてみれば、十三番隊隊舎を後にしてから考え事ばかりしていた。隊舎内でも終始恐縮しっぱなしだったのを見ていたのだろう。
「俺は躾はどないや聞いてんねん。なんでこんな態度で安心できんねや。アホか」
彼はまたもや口を曲げて、眼つきが悪くなっている。
「じゃが、あまり遊びすぎるでないぞ、平子」
夜一は腕を組み、ニヤニヤと平子に歩み寄った。
「なんなん。ああわかった、アレやろ、ゆかチャンは喜助のゆうてんねやろ」
平子は手をヒラヒラと振ってつまらなそうな顔をしている。どうしてそういった発想になるのか。そう抗議をしようと小さく挙手をした。
「それは竜ノ介くんたちの解釈に誤りがあって、」
平子と夜一は何の話だ、と言わんばかりにこちらを見た。しまった。これはルキアにしか報告していない事案だった。冷や汗がじわりと滲む。
「なんや自分、喜助に手ェ出されてへんのかいな」
呆れ気味で言い放った平子は面白可笑しそうにへらりと見下ろす。その物言いに堪らず「んなっ」と眉根を寄せると、関西弁の悪魔が悪ノリをし始めた。
「ほんなら、俺がゆかチャンに遊び教えてもええんよなァ」
そう夜一に問いかければ「面白そうじゃから好きにしたら良い」と息を吐くように答えた。
「えっ、いや、夜一さん?」
遊びと称して調子の良い輩に絡まれたら疲労困憊するに決まっている。
──待って夜一さん、見捨てないで。
あわあわと慌てふためくゆかに、ぷぷ、と平子は笑いが堪えられず口許を押さえる。
「なかなか遊び甲斐のある娘じゃろ?」
「いやァホンマにのう。こりゃ喜助が囲う訳やで」
あの! と二人の会話へ割って入り、夜一と平子を交互に見る。
「すっすみませんが」と前置きして、必死に勘違いを解こうとした。
「京楽さんも平子さんも夜一さんも、囲ってるだの匿ってるだの言いますけど、もう浦原さんの監視下は外れてますから! 帰宅命令でてますし!」
勢いよく言い切り、鼻から息を吐き出した。鼻息が荒いと言われようが内容に嘘はなく真っ当な事実だ。途端に平子は神妙な面持ちに。すっと視線を背けた。
「そうなん? ……そりゃ初耳や、報告ないで」
平子はちら、と夜一に目配せをして、なにか言いたげにしている。
急に変わった空気。この会話に訳がわからず、ゆかは大人しく口を閉ざした。
「喜助の奴、言うとらんのか。儂は報告の内容までは関与しておらんからの」
「……ええんか?」
初めて隊長らしい平子の一面を見た気がする。失礼ながらに感心の目を向けてしまった。
「此方におる間は儂らが匿っとるようなもんじゃ。喜助に任せておけ」
報告など面倒だという態度で平子をあしらう。
「まあええわ、聞かへんかったことにするわ。そういうことや、ゆかチャン」
ええな? と口角を上げる彼に名を呼ばれて、そっと事情を察した。
「今のことは他言しないよう心がけます」
自分のことだ、うっかり出てしまうこともあるかもしれないと明言することは避けた。
「話がわかる子で助かるわ。せやけどもうちょい肩の力抜いて喋られへんの? 堅苦しいやろ」
平子が半目を開いてダルそうに問うと、それを聞いた夜一が口を挟む。
「神野はこういう奴での。じゃが神野らしく発言すると、『平子さんは肩の力を抜きすぎなんじゃないですか』と返ってくるぞ」
「なんやと?」
平子が顔を顰める。ゆかは夜一の予言した返答に、おお、と感動の眼差しを送った。
「このくらいが神野にも平子にも丁度良いという事じゃ。儂らとも長いが毎度こんなもんじゃぞ」
はっは、と彼女が大口を開ければ「何がおもろいねん」とばつが悪そうに不貞腐れた。
「神野の事は心得ておるつもりじゃ」
いつもと変わらない安心感を届けてくれる。それは互いに信頼関係が築けているように聞こえて、心の底から嬉しかった。二人で和やかに微笑み合うと、平子は「砕蜂が妬くで」と呆れ返っていた。
「お、せや。その古くっさい本、鬼道集やろ」
抱え込んでいる本を指差した。
幾分旧めかしい表紙でも目を凝らせばしっかりと『鬼道集教本』と印字されている。
「はい、テッサイさんにもらったんです。まだまだ難しくて」
「神野は謙遜しとるが結構な素質じゃぞ。霊圧も申し分ない。喜助も策士じゃと言っとった」
喜助が自分のことを策士と報告したのか、思わず驚喜が湧いて胸中でガッツポーズをした。
顔に出さないように努めるも、意に反した頬は緩んでいく。
「せやから砕蜂が妬く言うてんねん……」
こちらのやり取りに勘違いしてそうな平子が「そうやなくて、」と本題に戻った。
「鬼道習いに来てんねやったら、桃に教えてもろたらええ。俺んとこの副隊長や」
その名を聞いた途端、ぱあっと一層心が晴れやかになった。
鬼道の達人と一目置かれる雛森に教えてもらえるなんて。
「なんや、面識あるんか?」
喜びが隠しきれていなかったのか、急いで「いえ! 副隊長さんに直接教えて頂けるなんて!」と面識も聞いたこともないと否定した。
「それは良いな。雛森に稽古をつけてもらい、真央霊術院で白打と基礎を学んでみてはどうじゃ」
「ええやん、って俺が言うてもな。上への承認は頼むで」
そう言うと平子は「ほな」と手をひらつかせて、二番隊隊舎を離れようとしていく。
夜一は顎に指をあてて少し考えたのち、彼を呼び止めた。
「待て、平子。このまま神野をお主の隊舎へ連れてゆけ。儂は霊術院へ向かう用がある。当初の予定では神野も連れていくつもりじゃったが、な」
予定変更の旨を伝えると、平子は「ハァ?」と顔を歪めながらこちらを一瞥した。
あからさまに面倒がる平子を察したゆかは、あの、と先に提案を試みる。
「夜一さんが戻るまでだったら私は図書室とかで待っているので、場所を教えて頂けませんか?」
要は夜一が終わるまで鬼道の勉強が出来ればいいのだ。すぐに雛森に会いに行かなくても時間はたくさんある。それにこっちの書物にもとても興味があった。
だから図書室でなんら問題はない。けれども平子は溜息混じりに答える。
「……五番隊におってもかまへん。ええよ、俺んとこついてき」
夜一は柔らかく笑んで「行ってこい」と背中を押す。そんな彼女の優しさに頭を下げて「じゃあ、後ほど」と側を離れる。下ろしていたリュックを背負い、平子の後を追いかけた。
「宜しく頼んだぞ、平子」
前を歩く平子は右手を上げてひらひらと。無言の背中を返した。
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