地下へ着くと、ジン太が雨を追いかけ回して遊んでいる。ついこの間のことなのに、その微笑ましい光景を懐かしむ。どうやら今回も小言を零した雨がジン太の反感を買ったようだ。

「よぉっ、今日から向こうへ行くんだな!」
「ゆかさん……お久しぶりです」

 訪問に気づいた二人は、お遊びを中断して駆けてきた。

「二人とも、久しぶり。あんまりケンカしちゃダメだよ、ジン太くん」
「ケンカじゃねぇし! そもそもコイツが生意気になったからだ! なっ雨、これは遊びなの!」

 言ったそばからジン太は喧しく騒ぎ立て、雨はそれに息を吐いて呆れていた。

「……ジン太くん、うるさいって」

 まあまあ、と二人の会話を宥めてから視線を奥へ移した。遠くに佇む二人の方へ夜一と向かう。

「神野殿、ご無沙汰しております」

 先に気づいたテッサイに「ご無沙汰です」と会釈をする。修行のほどは如何ですか、と訊かれ、まだまだ難しいですね、と己の未熟さを謙遜交えて答えた。

 短い会話を終えて、見慣れた帽子の後ろへ。その広い背を前に立ち止まる。
 止まった足音が合図となったのか、支度をしていた喜助がゆっくりと振り返った。

「お久しぶりです、ゆかサン。準備、できましたよん」

 ああこの声だ……。ポンプが可動したみたいに、一気に心臓が跳ね上がった。
 ついさっき今朝まで、大きく空いていた穴に落ちていったものが、再び湧き出るような。

 ──この気持ちをなかったことにはできないんだな……。

「浦原さん、久しぶりですね。色々とご手配ありがとうございます」

 せめて笑顔だけは許してほしい、とゆるく笑んで一礼した。
 直後に後方へぐい、と。背後にいた夜一が背負っているリュックをがさごそと漁り始めた。

「餞別にの、皆の分じゃ」

 そうだった。食欲旺盛な彼女に「あ、ちょっと」と言い募る。
 こちらのことはお構いなしに、ほれ、と先ほどの昼食を取り出した。

「えっと、ピクニックしようと作りすぎちゃって。皆さんのお口に合えば、ってもう配ってるし」

 良かったらどうぞ、とあちこち点在している商店メンバーに声を張った。まさか即席のサンドイッチを全員に食されるとは予想していなかっただけに照れてしまう。はにかんで誤魔化すと、喜助も口へ運んでその頬を緩ませた。

「やっと貴女の手料理が食べられました。……台所がよく似合うというアタシの先見は間違ってなかったっスねぇ」

 とても美味しいっス、と細められた双眸に堪らず顔を背けた。台所がよく似合う、そう言ったのは確かクリスマスイブの夜だった。けれど酔っ払って覚えていないと告げられて。恐らく覚えているのだろうと一方的に疑ったまま、確かめないでいたのに。それが本当だったなんて。

「あの夜のこと、やっぱり覚えていたんですね」

 なあんだ、となんでもないように笑って。嘘を吐かれてしまったことには胸奥がちくりとしたけれど、それも彼の性格だからとこの些細な痛みを受け入れた。

「あーはい、スミマセン。やっぱりってことはゆかサンも感じていましたか。いやぁ侮れない」

 サンドイッチを食べ終わった彼は眉尻を下げていた。今は帽子を被っているのに表情がよくわかる。喜助が敢えて見せているのかとどうでもいいことにも疑い深くなって、勘繰ってしまう。じゃあどうして嘘を吐いたのと問えばいいものを、彼の前では面倒な女になりたくはないらしい。
 この気持ちの連鎖がすでに未練がましくて。吐き出せない黒い塊が鬱陶しい。

 ──けれど私も言えないことで固められた人間、のようなものだし。

 自分を棚に上げてまで彼に問い質すことはできない。此処へ来たこと自体が秘密そのものだから。

「誰だってそういうことはありますよ。お気になさらず」

 至って普通にかつ無難に返答した。苦手なポーカーフェイスも様になっているだろう。

「……あの夜、疑問に思っていたことは本当です。今でも常々考えています」

 突如真面目な声で紡いだ喜助に、自信に満ちた平常心は早々に乱され始めた。
「疑問、ですか?」なんてことないように装って、言葉をそのまま訊き返す。

「アタシや黒崎サンを名前で呼んだ件っス。特に前者に関して、アナタが本当に無意識の中で言ったのだとしたら、なおのこと。理解に苦しむ。普通は呼び慣れた方が出ますから」

 ふと落とした彼の視線に、後ろめたさを感じずにはいられなかった。
 一護に関してはうっかりだったとは言え、喜助と告げたことはきっと何かの拍子で出てしまったに違いない。しかしそんなこと言える訳もなく口を閉ざした。全てを伝えられたならその問題も一発で解決する。ただそれが意味することは自分の境遇を曝け出すということで。

「ですから、本当に、わたし……」

 身に覚えがないと言い張るしかなかった。

「初めて死神を目にした時のことも、鬼道で一戦交えた時のことも、どうも妙な違和感があるんスよ。それに以前に口走った『本当は』の先。……アタシも貴女のことを疑いたい訳じゃない」

 喜助は真っ直ぐにゆかを見下ろした。自宅で確信へ迫った最初の様子とは違い、今の言葉は弱く、彼にしては迷いがあるようだった。疑念の渦にいるような、彼の眼差しは耐え難い。けれどここで顔を背けては、さらに疑われる。眉根を寄せながら、交錯する瞳を逸らさないように徹した。

 ──どうしたらいい、どうしたら……。

 まるで偽証罪に問われたかのような混沌とした罪悪感が、胸底をずるずると這っている。
 けれど。涙した夜のことを、今まで触れられなかったあの日のことを、喜助の口から切り出されたその意味を、静かに悟った。もう、ここまでなのだと。
 互いに外れなかった視線が逸らされると、彼は後方を向いた。

「夜一サン! お昼はそこまでにして、そろそろ行くっスよ! 支度してくださーい」

 背後から彼女の気怠そうな返事と共に、足音が近づいてくる。

 ──このまま、しばらく会えなくなるなんて。

 どうにも変えられないこの状況を打破したかった。もう喜助も己すらも欺いて全てを偽り続ける気力がなくなっている。しかしどう考えても答えは一つしかなく。俯いたゆかは黙ってこの状況を傍観するかそれとも切り出すか、ぐっと唇を噛んでいた。

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