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 正午が近づく頃。チェック柄のレジャーシートの上にリュックを置いて、サンドイッチと水筒を取り出した。夜一に似たこの衣装は気が引き締まる。ゆかは弓親や乱菊たちが斬魄刀と対話していたところのような、静閑な自然を鍛錬場所と定め、キャンプ気分で腰を下ろした。鍛練と言いながらも今日は髪を束ねている訳でもない。正直ピクニックと言った方がしっくりくるかもしれない。

 こうして独りでいると物想いに耽ることが多くなるが、今回はどうだろう。

 緑地の木々の合間から蒼い空をぽかんと見上げては、まばらに散った雲の動きが早いなあ、なんて呑気にそれを追う。けれど次第に、必然的に。意図せずとも、彼との想い出が蘇る。それに抗うことなく静かに追想していった。ただその行動によって特に激しい情が伴う訳ではなく、脳内に映像が流れていくだけ。その代わり、まるで普段使っていたポケットにぽっかりと穴が空いたような、不思議な感覚に囚われた。感じるはずの悲しみも苦しみも、全てその穴に落ちていくような。

 ──短い間だったけど、喜助さんたちと過ごせて良かった。

 帰ってきた日に思慕を吐き出したあとは、一つの想い出としてすっかり落ち着いた。まだ他人に好意を抱くことができたなんて、人生捨てたもんじゃない。そう自分に関心を示すも、この先これ以上の人が現れるのかと疑問にも思う。ゆかはそんな考えを打ち消すように急いで水筒に口をつけ、お茶を喉奥へ流し込んだ。

 ──今はそんなことより練習。この世界にいる限りは自分で身を守らないと……。

 そう、この世界にいる限り。いつかは何事もなかったようにひょんなことで元の平和な場所へと還る日が来るかもしれない。同じ所へ戻ることができたらの話だが。様々な考えがよぎるも、体内に虚の一部が潜んでいるうちはそんなことは起きないだろうなと面倒事を考えることはやめた。

「よっこいしょ、と」

 また歳不相応な声が出てしまった。そのまま、おもむろに立ち上がって、体勢を整える。
 この場所では炎や爆発系の破道は使用しない方が良い。山火事にでもなったら大騒ぎだ、とゆかは鬼道の教本を片手に試せそうな術を探した。あ、と目のついたものは、ちょうどこの場所で効果がありそうなものだ。物は試し、と見よう見真似で構えて声を出す。

「破道の五十七、大地……転踊──」

 術を詠唱したものの何も起こらず、ちゅん、と小鳥のさえずりが耳に残る。
 暫くしたのちいくつかの岩石が浮いて、飛ぶのかと思いきやそのままドスンと落下した。

 失敗したと落胆するも「まあ五十番台だしねえ」と自身の技量不足を早々に受け入れた。
 うーんと首を傾げてやっぱり地下勉強部屋で稽古をつけてもらった方が良いのかと腕を組む。
 すると突然、背後でパキッと枝木の折れる音が鳴った。

 ──虚か!? 反射的に振り返ったが誰もいない。

「悪くない反応じゃな、神野」

 その声で勢いよく周りを見渡すと、涼しげな顔をした夜一が背後に立っていた。

「よ、夜一さん。驚かさないでくださいよぉ……」

 胸に手をあてながら寿命が縮まったという顔で彼女を見る。

「久方じゃの、元気にしとったか?」

 すっと目を細める。こうやって優しい双眸を向けてくれる夜一が大好きで。心に明かりが灯った。

「元気も元気ですよ! 気合いは入れたんですが……五十番台は不発に終わりました」

 そう自虐気味に伝えると、夜一は高らかに笑って、
「五十番台を試そうとは良い心意気じゃ」とがしりと頭を撫で褒めてくれた。

 彼女は何故このへんぴな場所で鍛錬しているのかについては問わなかった。
 きっと察しているのかもしれないが、訊ねられても白を切ろうと決めている。

「おっとそうじゃ、儂とともに来い。向こうへ行く準備が整っておる」

 向こう、とは尸魂界のことかと把握した。もう小旅行の準備ができたのか。
 思ったよりも早くて若干戸惑った。心の準備ができていない上に、力の使い方もまだまだで。
 行ったところで挨拶くらいしかできないのだけれど。

「はい」とだけ返したゆかが続ける言葉に迷っていると、夜一が心配そうに眉を下げた。

「あまり気が進まんかの?」

 憂いた声色にハッとした。おそらく喜助と顔を合わせるのが辛いのかと、そんな風に聞こえて。
 もちろん決してそういう意図で声を返しあぐねた訳ではない。

「そんな違いますよ。今すぐ行った方がいいですか? ……できたら、その前にですね」

 そう言いながら、自分のすぐ後ろを指差した。

「せっかく作ってきたので、少し食べてからにしません? サンドイッチ」

 小さく照れながら夜一を誘った。喜助に会う顔を気にするよりも食への関心が勝っている。
 この状況下、花より団子ではないが食い意地は張っている方かもしれない。

「はっは、お主らしのう。どれ、神野の手製を儂が毒味してやろう」

 大らかにレジャーシートの上に腰を下ろした。

「ど、毒味って! 仮に毒が盛ってあっても夜一さん相手じゃ効かないと思いますけど?」
「ほー、言うようになったのう。ま、そのくらいの威勢は大事じゃからな。免じてやる」

 二人してサンドイッチを食す。流行り好きの女性たちがするようなピクニックを楽しみながら。
 夜一は美味いと一言呟いて、黙々と頬張る。そんなに腹が減っていたのかとまた一つ手渡した。

「……儂ばかり食べては勿体無いな」
「……まだあるので食べてもいいですよ」

 数個ずつ食べたところで、商店にも土産で持って帰らぬか、と提案された。
 確かに二人で食べるには時間を割いてしまうのでとそれを快諾した。

「散歩がてら歩いてゆくとするかの?」
「はーい」

 残りのサンドイッチをリュックへ戻し、浦原商店へ向かう。その途中、やはり考えないようにしても浮かぶのは喜助のことだった。気持ちを自覚してしまったばっかりに無駄な労力を費やしてしまう。苦手なポーカーフェイスでうまく凌げることを願いながら重い足取りを進めていった。

 そうして俯き加減で歩いて、次に顔を上げた時にはもう着いていた。

 がらりと開けられた入口には人気がない。夜一は声を上げることなく店内へ。すたすたと先を行き、地下勉強部屋を目指す。本来であれば誰かしら店先近くにいるのに、珍しく閑散としていた。おそらく、子供たちも含め全員が地下へ行っているのだろうと想像できた。

 ──尸魂界旅行、だんだん緊張してきた……。

 わかっている、この鼓動がそれだけでないことぐらい。あれから初めて顔を会わせる彼に対するものだって痛いほどに。でもできるだけそれは考えないように努めた。

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