壁のモニターに「はーい」と答えると、画面には橙色の髪が。胸中に浮かべた彼でなかったことに、影を深める一方でほっとしてしまうのは仕方のないことだった。

「よォ、いま大丈夫か? ちょうど、」
「ゆかさーん! いまお時間ありますかあ?」

 一護が話している途中で織姫がずずいと割り込んだ。二人揃ってどうしたんだろうと傾げながらもそれに構わずに「どうぞー」と快く一階入口の扉を解除した。次は玄関前の呼鈴が鳴る。
 そうして中に招き入れて二人には仲良くソファへ掛けてもらった。

「いまお茶出すね。今日は急にどうしたの? って家、教えたっけ?」

 台所で茶葉を入れながら訊ねると、一護がこちらに顔を向けて答えた。

「さっき井上と浦原さんのとこ行ったんだ。そしたら今日からゆかさんいねェって言うからよ」

 家は夜一さんから聞いたと続けた。

「ゆかさんにたくさんパンを持って行こうと思ったんですよー」

 なるほど今日の廃棄パンか、ゆかはこの訪問を理解した。一護が口にした名に胸奥がきりきりと痛んだものの、存外その程度で済んで平気なようだ。

「そうそう、さっき戻ってきたんだよ。あっパン、食べていいの? ちょうどお腹すいたなって思ってたんだよねー。織姫ちゃん、どうもありがとう」

 ゆかは声を弾ませてお茶を運んでいく。

「粗茶ですが、ゆっくりしていってね」

 二人はパンをテーブルへ広げ始めた。焼きそばパンやこの間のチョコクリームパン、様々なものがあってどれにしようか迷ってしまう。さっきまではあんなに沈鬱としていたのに腹は減る。想いは一時的なもので大したものではなかったのかなと思わされた。

「いただきまぁーす」

 がぶり。先に食べ始めた織姫に次いでゆかも好みのパンへ手を伸ばす。勢いよく頬張っていると一護が何か言いたげに織姫の方を見ていた。
 食べっぷりに感心しているのかと思いきや、それを受けた彼女は首を縦に振ってうんうんと首肯く。恐らくもぐもぐと食べていることが優先で、飲み込むからちょっと待ってね、という意思表示なのだろう。織姫らしい。

「あー美味しい。それでなあに? 黒崎くん」

 一護は、はあ、と諦めたようにゆかの方を見た。

「えっと、ゆかさんが聞かれたくなかったら答えなくていいんだけどよ。なんで浦原さんとこ出たんだ? 何かあったのか?」
「黒崎くん! そんな急に聞いたら……!」

 織姫が驚いたように顔を赤くして一護を止めに入る。

「全然聞いてもいいよ? 浦原さんに監視下は終わりですって許可もらっただけだから」

 祝ってもらったよと普通に受け答えすると、一護と織姫はキョトンと目を丸めた。

「え、本当にそれだけなのか? さっき浦原さんも同じこと言ってたけどよ」
「浦原さんに何かされたんじゃなかったのかあ。なら良かったね、黒崎くん!」

 織姫は「はい、どうぞ」と安心した表情で目前のパンを配った。

「それだけだよー。元々期限付きの居候でね、それがいつまでかが不透明だっただけだもん。なんだか期待に添えなかったようで、逆に申し訳ないねえ」

 分け与えてもらったクリームパンを一口含み「うわ、これ美味しい」と頬を緩めた。

 ──若者の発想は展開が早いよね。……早とちり、でもないけどさ。

 何かされた? と聞かれれば、頬の傷口を舐められました、くらいしか出てこない。その上その出来事が大きい切っ掛けかと問われたところで首を縦に振ることはまずない。

「これからも地下勉強部屋には行くんだろ?」

 一護が問う。さっきまで深く刻んでいた眉間の皴は和らいでいた。

「うん、もちろん。あと今度、夜一さんと尸魂界に行くことになったからその時にも行くよ」

 それを聞いた織姫は「いいなあ、私も朽木さんに会いたいなあ」と目をきらきらと輝かせる。
 確かにルキアには会ってみたいな、と胸中で同意していた。

「おお、ゆかさんもついに向こうへ行くのか。あっちに何かあんのか?」
「うーん。行く理由は多分向こうの学校で鬼道を学ぶとか? 夜一さんが先生やってるんだって」

 すると二人は声を合わせて驚いて、一護に至っては「まじかよ」と半笑いだった。

 ──今の情報、言って良かったんだよね?

 もしや喋ってはいけないことを、と不安に駆られた。
 この世界の出来事に介入してはならないとわかっていても、世間話くらいは許容範囲だろうと。

「だ、だから鬼道の本読んで勉強してたんだあ」

 話を逸らすように教本を見せた。一護の質問は咄嗟に誤魔化して、これからも勉強部屋へ行くとも答えてしまったけれど。彼らに妙な心配をかけてはいけないと、勢いで嘘を重ねてしまったことは心苦しい。一方、二人はパンを食べてはテレビを見て、穏やかな時間を楽しんでいた。

「ゆかさん、頑張ってんだな。安心したよ」

 途端に一護から話を振られて「そんな、まだ何もできないよ」と謙遜する。

 高校生に心配されるとは、本当に駄目な大人だなあと哀しみすら覚えた。

 ──でも正直なところ、二人が来てくれて救われたよ……。

 やっぱり周りに人がいると癒されて。独りじゃないと認識できる。昨日まではたくさんの人がいる中で生活していたのだから心淋しくなるのは仕方がないと自身を慰めた。

「あ、もうこんな時間。二人とも、大丈夫?」

 門限を思い出した一護は残念そうな、そして面倒臭そうに立つ。織姫は「黒崎くんが帰るなら私もお暇しますね」と片づけ始めた。

「黒崎くん、遅いから織姫ちゃんをお家まで送ってあげてね。ってそこは言わなくてもするか」

 最後は独り言のように告げた。一護は鼻先をかいて、おう、とだけ返した。当の織姫はにこにこと可愛いらしく、とても嬉しそうにしている。ああこの溶けそうな笑顔は一護にしか向けられていない、特別で純粋で真っ直ぐなもの。なんて初々しいんだろうと微笑ましく後ろ姿を見送る。

「二人とも、今日はごちそうさまでした。来てくれてありがとうね」

 玄関で一礼すると彼らもお邪魔しました、と帰って行った。
 あんな甘酸っぱい空気をあてられると心も晴れやかになって、ゆかはリビングへ戻った。
 不意に職場復帰してもいいものか? と現実的なことを思いついたがまだ尸魂界へ行く用事もあるのでその発想はなかったことにした。

 ──……明日は空き地でも探しに行こっと。

prev back next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -