§


「喜助はどこじゃ、どこにおる!」

 夜一の気迫のある怒声と足音が廊下に響き渡る。
 左頬に絆創膏を貼り付けたゆかはそれに苦笑いを浮かべて夜一を宥めていた。

「まあまあ、これくらい。どうってこと」
「ダメじゃ! 神野も許してはならん! 彼奴め、手合わせとは言えおなごに傷を……しかも頬とはどういう神経じゃ!」
「ハハハ……」
 と誤魔化すも、脳内で喜助の言葉が反響する。

 ──『夜一サンにも他言しないで下さいっス』

 他言するもなにも、意味も意図もよくわからないですし。ゆかの乾いた笑いは行き場をなくした。

「ったく店長もわかんねーよなー。あんなに心配してたと思ったら怪我させてまで闘うんだぜ?」

 そう言い放つジン太は本当に子供かと疑いたくなる。
 その隣の雨は興味無さげに煎餅をばりぼりと頬張っている。

「ジン太くんだって雨ちゃんを苛めて楽しんでたじゃん」
「ばっ! オレはちげーよ! そういうことじゃねぇし」

 でもいざ彼女が敵にやられたら真っ先に敵陣に乗り込んだことを知っている。
 ここに居る人はみんなそういう人たちなんだよね、と顔が綻んだ。

「顔が痛い! スミマセンって夜一サン! これには訳が」

 もちろんその訳が話されることはなく、廊下の奥で情けない声が響く。

「見つかったみたいだな。隠れてたんだな、店長」
「うん、そうみたいだね」

 さらに奥の方で、バキ、と鈍い音が鳴った。

「儂にじゃなく、神野に、じゃ!」
「謝りましたってー! ねぇゆかサン」

 名前を呼ばれるもゆかは微動だにせずにジン太の隣でお茶を啜る。

「オイ、お前。呼ばれてんぞ」
「うーん、めんどくさいかな。今は」
「結構はっきり物事言うのな……」

 ずるずると引き摺られる喜助。夜一は勝ち誇ったように部屋へ入って喜助を転がした。

「儂に怪我を負わせることはあっても、他のおなごに負わせてはならぬ」

 それを聞いたゆかは手に持っていた湯呑みを、コト、と静かに卓上へ置いた。

「そもそもこれ、私が派手に顔面から転んだ結果ですしね? 私も生傷の一つや二つ負わないと成長できませんし。だから浦原さんには感謝してますよ? それに、夜一さんもオンナノコです」

 ゆかは「こんな綺麗な人にも傷を負ってほしくないなぁ」と横目で夜一を持ち上げる。

「ふむ……神野は儂の麗しさがよくわかっておるのう。免じて良しとするか」

 毎度のことながら本当に煽てに乗りやすいな、と秘めながらもそんな彼女が無性に可愛く映った。

「それに、浦原さんがちゃーんと手当てしてくれるんですって! ね?」

 意気揚々と告げると夜一が「ほーう?」と企んだように口の端を吊り上げた。
 彼女は辛辣な目で転がった喜助に足をかける。

「喜助、神野に怪我をさせて自ら手当てを志願するとは。お主はついにそこまで極めたか。まさにでぃーぶい≠フ発想じゃのう!」
「夜一サン、どこでそんな言葉覚えたんスか。ボクそんな考えはなかったっス。いやらしいっス」

 その見解はあながち間違ってはいない、とゆかはゴクリと喉を鳴らした。少なくとも脱ドS宣言していた人のとる行動ではないことは確かだ。

「……で、向こうにはいつ頃出向く予定で?」

 夜一に転がされた喜助はむくりと起き上がり、胡座をかいて座り直す。
 急に話が変わったと思えば尸魂界旅行の話を始めた。

「未だあちらからの返答待ちじゃ。神野を連れてゆくと伝えたら何やらせわしくなったようでの」
「まァ、あっちでは人気者らしいっスからねぇゆかサン」

 話が飛び火してきて呑んでいたお茶を吹き出しそうになった。

 ──人気者って竜ノ介くんが勝手に話題だって言ってただけでしょ……。

 それ鵜呑みにした夜一がにやりと口角を上げる。

「神野に会うたら慕う者がさらに増えるのう? 変な虫がつかぬようにせんとな」

 ゆかは聞き捨てならないこの会話に飛び入り参加する。

「なんでその様な話に飛躍するんですか。真剣に考えて下さいよ」

 喜助は「そこは夜一サンに任せますよん」と夜一の言い分を肯定したように返した。
「夜一サン、ボクからのお願いですが、一ついいっスかね?」

 扇子を広げて口許を隠す喜助に夜一は「なんじゃ」と無愛想に訊いた。

「四番隊への接触も願います」

 夜一は暫く考えたのち、への字口で深く首肯いた。

「お主の言いたいことは把握した。そうしよう」
「スミマセンねえ、ありがとうございます」

 ゆかは見かけでは何の事かわからない振りをする。けれども四番隊は、救護と補給部隊だ。
 それはよく知っている。

 ──四番隊への接触。何のために。病状や現状の把握とか、か。

 いまこの場でその理由を言わないあたりがこの二人らしい。けれど行かないとわからないのか。そう思うともどかしくなった。今は亡き卯ノ花隊長がいた四番隊。一度は彼女の優しさに触れてみたかった、と寂しくなった。
 すると夜一が思い出したように、神野、と呼ぶ。

「話し中に申し訳ないが、風呂の湯張りを頼んで良いか? そろそろ子供らが入りたがるでの」

 隣にいたジン太と雨は風呂支度を始めていた。

「あ、もうそんな時間。お支度してきますね。二人とも、お風呂場に行こ」

 ゆかは二人を引き連れて、風呂場へ向かった。

§


 部屋には喜助と夜一が残った。喜助は口元に広げていた扇子をぱちりと閉じて手に握る。

「夜一サン、上手いっスねぇ。誘導させるの」
「何を言うとる、気が利くと言うてもらいたいのう」

 二人は子供たちとゆかが風呂場で話しているのを確かめてから続きを話す。

「他に話を聞いてもらっても?」
「ハナから一つとは思うとらんわ。言うてみよ」

 喜助は視線を落としながら、言葉を紡いだ。

「ボクは同行しないんで、何かあった時には駆けつけます。あまり起こらないことを祈りますが。まぁこちらに居るよりかは幾分安全でしょう」
「何かあった時、とは神野に対してか。儂にもか」
「……どちらもっスね。夜一サンに何かあったら、ゆかサンが危ないですし」

 夜一が眉根を寄せて「わかった」と首肯く。

「今日、神野に傷を負わせたのは、戦う意志を消沈させようと?」
「そんな。違うっスよ、放った紅姫で追い込んで。たまたまつけてしまったんス。ゆかサン、ああ見えて策士なんスよ」

 続けて喜助は「傷のことは本当に申し訳ないと思っています」と頭を下げた。
 軽薄でない謝罪に「すまん、神野も気にしておらん。もう良い」と夜一は慮った。

「事のついで、ですが。もう一つだけ聞いてくれますか」

 静かに扇子を置き、腹を据えた眼差しで夜一と向き合った。

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