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 師走を駆け抜け、時は睦月へと移りゆく。
 気がつけば新年が訪れ、ゆかはそれを挨拶以外に実感することもなくひたすらに鍛錬を積む。
 その間には大好きな二人が誕生日を迎えていた。触れたくても触れられないもどかしさには蓋をして、当座の目標だけを念頭に置くように心掛けた。

「はあ、ふう。破道の……何番だっけ」

 相も変わらず、教本片手に岩石へ向かって唱える。
 様々な破道や縛道を詠唱しては、失敗と成功を繰り返した。凄みのある圧にびくっと肩が跳ねる。誰か来た、降りてくる霊圧に上を見た。

「どーもォ、精が出ますねぇゆかサン。調子はどうっスか?」
「あ、浦原さん、おかげさまで。毎日これで良いのかなって思いながら練習してますよ」

 ハハハ、と難儀しているさまを伝えた。

「ついこの間始めた割には霊圧探知も制御も随分良くなりましたし、鬼道も問題ないでしょう」

 言われてみれば。どこかで微弱な霊圧が動いているのは感じ取ることができた。
 普段の彼は霊圧遮断型義骸に入っているせいか、全く圧など感じない。だが地下へ来る際には何かを変えているようで。いずれにしろ上級者の霊圧は隠すのも上等とあって、近くに来ないとうまく探知できない。ようやく喜助や夜一の接近に気づけるようになった。

「ありがとうございます、がんばります」

 一礼すると、なんだかこのやり取りが久しぶりに思えてが胸奥がじんわりと温かくなった。
 それに二人で居るのもご無沙汰な気がして、不真面目にも胸が躍った。

「そこで、ですが。……どうです、アタシと一戦でも」
「ええっ! そんな、無茶すぎますよ。一戦ってレベルでもないですし」

 遠回しに断るも、喜助は至って普通に続ける。

「そう言わずに。お手合わせといきましょうよ」

 拒否という選択肢すらないようで。喜助の仕込み杖は鋭い切っ先へと変貌していた。
 うそ、とゆかは絶句に近い表情を晒す。とてもこの間まで脱ドS宣言をしていた人とは思えない。
 自分も正々堂々とドM発言したこともあって、立場が悪くなるのを感じた。

「本気ですか……」

 その前に喜助は、何も説明しないのは不公平と、斬魄刀の説明をしはじめる。
 それはもちろん熟知している事実の提示ではあったが、実際に言葉で聞くのは初めてだった。

「夜一サンから尸魂界に行くと聞きました。行くからには、斬魄刀の持つ威力や能力も知っておいた方が良いかと思いまして。まあ、斬魄刀も各々で違うので一概には言えませんが」

 最後の一文にゆかは胸中で、でしょうね、と呟いた。斬魄刀の能力は其々に違いすぎてこの練習試合は役に立つのかさえも疑問だ。そもそも喜助の紅姫は訓練には向かないのでは。余分な知識が邪魔をして背筋が凍りそうになる。
 こちらの返事を待たずして喜助は「起きろ、紅姫」と解号を唱えた。刀は瞬く間に銀に輝く斬魄刀へと変貌していく。
 思わず「やっぱり綺麗な斬魄刀ですね、」と熱い眼差しを送ると喜助が笑った。

「いくら練習でもうっとりされては困りますよ。褒められて彼女も満更ではないようっスけど」
「あ、すみません。つい……」

 ゆかは気合いを入れ直して間合いを計った。

「どこからでもいいっスよ。なるべく怪我はさせません」

 夜一といい喜助といい、自信家の言うことは恐ろしい。喜助に至っては彼自身が怪我をすることではなく、相手にあまり怪我は負わせないと言う。しかもそれは保証されていない。

 ──なるべくって。どこかしら怪我させる気じゃないですか……。

 もういいや、ゆかは半ば諦めで型を構えた。ふう、と呼吸を整える。

「……縛道の四、這縄」

 まずは衝撃ではなく縛りを試みた。掌から放たれた縄状の霊子が紅姫を握る喜助の腕へ絡みつく。
 そしてすぐさま小さく別の術を詠唱したのち、
 君臨者よ、地肉の仮面……、──覚えたての完全詠唱を再現する。

「破道の三十三、蒼火墜!」

 おお、と自分でも思った以上に威力が大きく、蒼い炎が喜助を覆う。

 彼の霊圧が掴めないと臆した一瞬、閃く蒼色膜を裂いて紅い刃が飛んできた。

「……啼け、紅姫」

 その声が鼓膜に届いた時にはすでにいくつかの斬撃がゆかに向かってきたあとだった。
 瞬時に身を伏せ、それらを避けながら走る。

「うぉ、わぁ」

 ただ逃げることに頭がいっぱいで、とにかく当たらないように必死に走った。
 途端に足を捻らせてしまい顔面からズサッと派手に転ぶ。すぐに起き上がって左腕で土埃を拭った。紅い斬撃から逃げ惑っては、どうしようと考えを巡らせたが、彼の連続攻撃に何かできる訳でもなく。ああこのひと本気だと理解した直後、喜助の霊圧が上がるのを肌に感じた。

「縛り紅姫、」

 きっと彼を羨望する者ならこの上なく嬉しいのだろう。
 そんな余裕もないゆかは見事に紅黒く光る網に捕らえられてしまった。
 うつ伏せに強く抑えられる。数珠繋ぎの火技でやられると覚悟した時、目の前に喜助が現れた。

「正直、ここまでする気はなかったんスけど。ゆかサンが思いの外、策士に来られたので」

 策士とは。何のことかと紅姫に捕らえられたまま眉を顰めると、喜助は言葉を重ねた。

「蒼火墜の詠唱の前、聞こえないほどにさりげなーく入れましたよね、『伏火』。あれにはアタシも驚きましたよォ。『這縄』で片腕と『伏火』で足の動きを封じてから完全詠唱っスもん」

 この状態では褒められているのか小馬鹿にされているのか。黙って聞きに徹する。

「まるでこれまでの誰かの戦いを見てきたようだ。なんででしょうね」
「そんなこと、」

 ゆかは声を荒げた。疑うのも無理はないのかもしれない。現に這縄や伏火で隙を作り、完全詠唱する方法は朽木ルキアや雛森桃の戦いを見て学んでいた。

「しかし貴女は着実に力をつけている。経緯はどうであれ、貴女自身が成長してるんスよ」

 こちらを見下ろす喜助から、すっと視線を逸らした。

「浦原さんに褒められると無駄に嬉しいですね……」
「いえいえ事実っスから」
「それより。いつまで紅姫で縛ってくれてるんですか?」
「ありゃ、結構いい光景だなと思いまして。もう解きますか?」

 見上げておいた顔を横に倒し、呆れ気味にふくれっ面になるとすぐに解いてくれた。
 喜助がゆかの手を取り体を起き上がらせたら、向き合って腰を下ろす。

「……手に、傷があります。紅姫から受けた傷はどれっスか」

 紅姫から受けた傷、──紅い斬撃から逃げ回っていた時か。

「ああ、手のこれは自主練で負ったもので。でも今のも仕合ですから。傷なんて気にしないですよ。承知の上で受けたんですし」

 彼の言葉はよく覚えている。何度も何度も、何百回も読んだから。

「しかし、ゆかサン、」
「浦原さんは、私を斬る覚悟の上で刀を振ったんですよね? 私はひたすらに逃げては躱してました。かわすのなら、斬らせない。それが出来なかった。私の覚悟が半端だった証拠です」

 あっ、と一人で喋りすぎたと自覚した時にはすでに全てを吐露したあとで。
 喜助は物哀しそうに、その視線が脇腹や左頬に落ちてゆくのを感じた。彼が見つめる先、自身の脇腹には切り傷が。出血してじわりと滲んでいる。
 思慮に欠けることを言ってしまったと、ゆかは慌てて戯けてみせた。

「ですから、つまりですね。逃げている間に斬らせない鬼道を考えれば良かったなーなんて! 今日の反省点です!」

 脇腹を隠しながら、あはは、と誤魔化すも喜助の表情は変わらなかった。

 そんな顔をさせるために仕合を受けた訳じゃないのに。
 こんな顔を見るために怪我をしたのではないのに。
 事の全ては全部、自分が未熟で至らないせいなのに。

 ──喜助さんは何も間違ってない、なのにどうして。こうも私は上手くいかないんだろう。

 近頃は特に。喜助との意思疎通がうまく噛み合っていないように思う。
 不安と申し訳なさが犇めいて喜助の顔を覗きこんだ。
 やっと目を合わせられた、途端、大きな掌がゆかの左頬を包んだ。

「頬に傷があります。すみません、本当に。こんな風に怪我をさせるつもりではなかった、ただ」

 紡がれたものは最初に出逢った時と同じなのに、その後にこだまする『アタシに手当させて下さい』という言葉は脳内で流れた映像で、その景色は訪れなかった。
 ゆかはあの時とは違うこの感覚に気づき始めた。

「……ただ、貴女が戦いに恐怖さえすれば、冒さなくても済むだろうと」

 彼の大きな右手に左頬は包まれたまま。喜助が震えるような声色で見下ろす。
 帽子のつばから覗くその瞳に吸い込まれそうで、逸らすことができない。

「なにを、言っているんですか……?」

 ゆかは喜助の真意がうまく呑み込めなかった。
 彼の意図していることがわからずに、ただただ困惑した。

「いえ、今のは聞かなかったことにしてもらえませんか。夜一サンにも他言しないで下さいっス」

 喜助が伏し目がちに答えると頬に当てた指を傷口へ這わせる。触れられた刺激に顔を歪めると、喜助がさらに近づいた。

「痛っ」と発したあと、傷口にぬるく湿った感触が残る。即座に舐められた、と理解すれば喜助はいつものように戯けて「消毒っス」と。何事もなかったように言ってのけた。

「なななな、何を! 何をするんですかあ!」
「アラいい反応。この傷を隠さないとアタシが夜一サンに怒られちゃうんスよね」
「知らないですよ、そんな事情は」

 疲れているせいか赤面せずに呆れ返ると、喜助は目を細めて微笑んだ。

「アタシに手当てさせて下さいな」

 ──ふ、とあの時の光景が蘇る。
 けれど先ほどまで流れていた映像とはまるで似つかない喜助の声色に、心臓が大きく高鳴った。
 この音もあの時とは違う、気がした。

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