瞬時に、ああ霊圧か、と立ち止まったことが無意味だと知らされた。失礼します、と平常心に努める。

「テ、テッサイさんの指導が終わったので……」

 緊張を解くのは不慣れで余計に気まずい空気を出してしまう。
 喜助は机に向かってなにやら作業をしていた。
 以前に用意してもらった丸椅子はなく、一旦手を止めると顔をこちらに向けた。

「お疲れさまっス。前ーにお話した運動着兼、戦闘着っスよ。結局戦闘する方向になってしまいまして。こんな感じにしてみました」

 すっかり頭から消えていた戦闘衣装。そういえばそんな会話してたなと記憶を遡る。
 手渡されたそれは、織姫から受けた忠告には及ばず至って動きやすそうなものだった。

 ──腰丈が長めの長袖かあ。肩が大きく開いてる。……オレンジ色のこの服、どこかで。

「夜一サンの戦闘着をベースに、ゆかサンに合わせてみました。肩の部分は霊力増加に合わせて霊圧の流れを良くするために空けましてですね、ほんとうは背中も広くしたかったのですが、流石に怒られちゃうんで残してますよ」
「ああ、道理で。夜一さんの格好とどことなく似てますね。下も同様に動きやすそうで」

 肩が開いている服は若者の着こなしで見たことがある。
 自分には少し若すぎるかと思ったが、これはストレッチが効いていてあまり違和感がない。

「そっス! 夜一サンのモノに肩を少し出したものと考えて下さい」
「可愛くて素敵です! 着るのが楽しみになります、ありがとうございます!」

 大好きな夜一に似せた一着。歓喜が湧いてぎゅっとそれを抱き締めた。

「やっぱり女性に喜ばれると嬉しいもんスねぇ」

 久々に喜助のおちゃらけた声を聞いた気がする。これまでの行き違いは気のせいだったのか、機嫌が悪かっただけなのか。とにかく本来の調子に戻った喜助にほっとした。
 一つだけ確かめたいことがあったゆかは、今なら大丈夫だろうと意を決して訊ねた。

「ところで浦原さん、この間のクリスマスのことなんですけど。……覚えてます?」

 喜助は「ああ、」と思い返すように机に視線を移した。

「あーんまり覚えてないんスよねぇ。アタシ、酒癖悪くって。スミマセン」

 なんかやっちゃいました? と。申し訳なさそうに眉を八の字に下げる。

「い、いえ。ただ悪酔いしなかったか心配になっただけで、何もなかったですよ。こちらこそ変なこと聞いてすみません」
「二日酔いはなかったんで安心して下さい。って覚えてないヒトが言っても説得力ないっスけど」

 楽観的な喜助にゆかは「次はほどほどにしましょうね」と苦笑いで返した。
 じゃあお邪魔になるのでそろそろ、と服を抱えて部屋を後にしようとする。

 襖に触れたところで喜助が「あ、ゆかサン」と呼び止めた。
 僅かに開きかけた戸を戻し、首を傾げて振り返る。
 直後に喜助は「すいませんでした」と座ったまま頭を下げた。

「どうしたんですか、急に」
「いえ、今日は部屋に来るように呼びつけてしまってご足労かけたな、という意味です」
「ああ、そんなこと。謝らないで下さいよ。じゃ、失礼しますね」

 かたりと閉じた戸からゆっくり離れた。ゆかは再び胸中を落ち着かせる。
 すたすたと廊下を経て。部屋へ入り、やっと装った偽りの平常心を解くことが叶った。考え事でもしたらこの不出来な霊圧制御では感じ取られてしまう。だから無にして戻ってきた。

 ──……あの夜のこと、喜助さんは覚えている、多分。

 どうしてこの答えに至ったか。それは経験でなんとなくとしか言いようがないけれど。
 彼のクセで恐らく嘘を吐く時は視線を他所へ向けている。以前、ゆかの家でどうしてあの場所を知っていたのかと問いただしたことがあった。あの時はテレビに眼を向けたまま、さらりと嘘を言ってのけた。先ほどの質問も同じことで。些細な仕草の変化に気づいてしまうことが、凶と出た。

 ──あの最後の謝罪だって、うそ。きっと覚えていたことに対して謝ったんだ。

 ただ消極的に物事を捉えているわけではない。彼の所作や物言い、態度。
 全てを近くで見てきたがためにいつしかその違いを強く感じるようになってしまった。少しずつ、少しずつ。まるで歯車が崩れるように、厭な雑音が鳴り響く。
 どくん、と高鳴る心臓も壊れゆく音の一つなのか、そんなことは知る由もなく。逆らえない濁流の中へと足を踏み外したような、そんな恐怖さえ感じはじめていた。

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