今日は夜一に無理を言って練習を早めに切り上げてもらった。
 そろりそろりと廊下を歩き、指導してもらったように霊圧を出来る限り抑えて店先へ向かう。

「……ちょっと出かけてきまーす」

 喜助に頂いたダッフルコートを纏い、聞こえているのかいないのかの声量で後にする。
 一人で出かけることについては正直なところ正式な許可を貰ったわけではない。
 だが少しくらい訓練の成果が出ているだろうと、今日だけは急いで外へ駆け出した。

「オイ、お前。いいのかよ、店長にも夜一さんにも内緒で出てってよ」

 外出に気づいたのはいたのはジン太だけだったようで。ほっと安堵の息が漏れる。

「すぐ戻るからさ、私がいないことは上手く誤魔化してくれないかな?」

 両手を合わせ、お願い、と頭を下げるとジン太は「ったく、しょうがねーなぁ」と承諾した。
 全くどちらが子供かわからない。恐らく彼もそう感じているだろう。

 ──今日しかないんだ。終わったらすぐ戻ってこよう。一人でも平気。

 白いコートに御守り。これらがあれば単独での行動も不思議と怖くはなく。むしろ勇気が湧いてきた。すると『アタシを思い出せますよん』と、喜助がお店で放った冗談を思い浮かべてしまって。
 奇しくも彼の予言が的中してしまったこの現状に、ゆかは頬が緩んでいくのを感じた。
 そうやって一度でも懐古するとこの間の言動も一緒になって連想される。
 けれど焦った出来事の翌日も至って普通だった。変にぎくしゃくしなくて良かったと思う。

 ──ジン太にもお願いしたことだし、行きますか。

 一歩また一歩と、久々に外を踏みしめた。空座町について元々詳しいわけではないからどこに何があるのか迷ってしまう。辺りの標識や看板を頼りにしては、道なりに沿って進んで行った。

 ふと。目に止まったお店からいい匂いがする。くんくんと鼻をきかせてみれば、焼き立てのパンの香りが漂ってきた。考える間もなくゆかはその匂いに誘われるがまま敷地内へ入っていく。
 すぐ戻ると宣言しておきながら本来の目的ではない場所に寄るのはよくあることで。
 おまけに美味しい物がその先にあるとわかっているのに敢えて避ける理由が見当たらない。
 からん、と鐘が鳴る。扉を開けると店内には欲望の香りが充満していた。

「いらっしゃいませー。……あっ、ゆかさん! お久しぶりです」

 名前を呼ばれて振り返れば、なんとも可愛らしい店員さんがカウンター越しにいた。

「織姫ちゃん! ここで働いてたんだね、知らなかったよ。とってもいい香りがしてきたから入ってきちゃった」

 記憶を辿れば、廃棄パンを黒崎家へお裾分けしていたのを紙面上で見た気がする。
 どこのパン屋かを確認せずに入ってしまい、チラシを一瞥すれば『ABCoockies』とはっきりと店名が。猪突猛進と言うかなんと言うか、いい匂いだけで入店した自分はいかに周りが見えていないのだろう。

「せっかくだし、織姫ちゃんのオススメをもらおうかな。甘い系のパンはある?」
「そうだなあ、これなんかどうですか? 今ちょうど出来たてホヤホヤですよぉ!」
「チョコクリームパン、美味しそう! じゃあこれにしようかな」

 練習後の疲れた体には甘い物が一番だ。織姫にパンを包んでもらいお会計をする。
 まだお客さんが少ないこともあって、その場で立ち話を始めた。

「あのぉ、ゆかさんって浦原さんの所で住み込みなんですよね? 地下の部屋って見ましたか!?」

 きらきらと目を輝かせている。どうやらあの時の感動をわかち合いたいらしい。

「あの無駄に広い刑務所のような地下室のことだよね。今、そこで訓練してるよ」

 こちらの苦笑に対して織姫は「刑務所っぽくはないけどなー?」と首を捻った。
 見た目は青空と土壌だがあの着想は紛れもなく刑務所そのものだろう。

「もしや訓練って、浦原さんとですか? 変なことされてません?」
「いや、練習は夜一さんとだよ。後から浦原さんとテッサイさんも加わってくれるらしいんだけどね。変なことは……まあ、浦原さんのことだし……」

 織姫は心配そうにカウンターから身を乗り出した。
 彼女の予想は遥か上の上まで及んでいる可能性がありそうで、可笑しな想像をされたら困る。

「大丈夫ですか!? 浦原さん、意地悪に変な衣装作るから気をつけて下さいね!」
「あ、うん。気をつけるね」

 とは言ったものの、それって気をつけようがないのでは。お願いしている衣装については諦め半分で待つことにした。そうしているうちに客足が増えてきて、ゆかは「じゃ、そろそろ行くね」と買ったパンを手に提げる。
「また来てくださいねー」とかけられた声に会釈して店を出た。

 ちらりと腕時計を確認すると、予定していた時刻を少し過ぎている。
 でも焼きたてのパンが食べたくて、さっそく買ったパンを頬張った。空腹は我慢しないほうがいい。勢いよく数口かぶりついた。お勧めするだけあってか大変美味で、あっという間に胃の中へと消えていった。
 腹が満たされると本来の目的を思い出し、急ぎ足で栄えている街中方面へ向かった。

 ──人が多くなってきて都会っぽくなってきたな。こんなに人間を見たのはいつ振りだろう。

 駅前あたりまで来て、ようやく目的の店たちが見えてきた。腹ごしらえもしたし、よし買うぞー、と気合いを入れる。街にも慣れていないが、そもそも人混みに慣れていない。

 人酔いしそうな中、一人で買い物を進めるには更に気合いを入れないと足が止まってしまう。
 まずはあっちのお店、次はこっちのお店。あちこち移動しては吟味して。買い物をするだけで随分と体力を消耗するらしい。世の女子たちは凄いなと感心する。
 ゆかはお店をハシゴしては購入して、を繰り返した。
 そうして両手は様々な大きさのショップ袋でいっぱいになっていた。

prev back next

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -