聞きたいことがある、と自ら声をかけたことで、制御の訓練は一時中断した。
「それで、聞きたい事とはなんじゃ?」
膝を抱えながら俯くゆかに、夜一は胡坐をかいて単刀直入に訊ねた。
一度落とした視線を正面へ戻し、抱いていた懐疑を告げる。
「力が生まれる瞬間は、誰しもが何かを護るため、ですか?」
「そうじゃな。人が戦うのは何かを護ろうとする時。良し悪しあれど、その意志に変わりはない」
「私は違った、みたいです」
「ほう。お主は最初の時を思い出そうとして、なぞっていったのじゃな?」
「最初なのかもわからないのですが。恐らくあの時、というのはあります。その時を思い出すと、息が苦しくて」
「とても護るとは云えぬ、と」
ゆかは無言で小さく首肯き、困惑の面持ちで夜一に質問を重ねた。
「このまま力を引き出して良いのでしょうか。何のために力を得たのか、わからなくて」
憂いを滲ませながら、葛藤の眼差しを向ける。
力を引き出したいのに、その根源が正当なものなのかと、ゆかの表情は硬かった。
「──だ、そうじゃ。隠れとらんで早う出てこんか、喜助。いい加減、嫌われるぞ」
夜一は紛い物の空に向かって声を上げた。
「あ、バレちゃいました?」
上から喜助の声が降ってきたと思えば、彼女の隣に大きく扇子を広げて現れた。
「隠す気など毛頭もないじゃろうに」夜一は「全く、」と呆れ返る。
「ボクは『また後で』って言ったじゃないスかー」
縛道を解いたあと、恐らく喜助は発端に関する何かを察していたようだった。にも拘らず彼は一度その場を立ち去った。彼の行動に違和感を覚えながらも、その真意にようやく気づいた。
喜助が離れることで夜一と二人だけにし、本心を吐かせたのではないか、と。
なぜそんな遠回しなことを、などと憤るまでもなくゆかは悟った。
──喜助さんには、話せなかったかもしれない。
もし二人とも残っていたら、喜助だけには知られたくなかったかもしれない。なにがどう厭なのか、明確にはわからないが、きっとそんな心境になっていたように思う。どうしてか、彼に弱さをあまり見られたくないらしい。夜一には指導してもらっている手前、相談や助言は日常だった。
だから彼女には、伝えなければ、と。ところが彼に対しては真逆だった。
「嫌だったかもしれませんがお話は聞かせてもらいました。スミマセン、このまま続けてもよろしいですか?」
「無論、儂は構わんが。神野の問題じゃ」
「いえ、私も大丈夫です。嫌でも、ないです」
自身の弱さが露呈してしまうのは致し方ない。それは諦めた。
その起因となる真実は告げられなくとも、本心は伝えてもいいのだろう。
「さて。お主は護るとは云えぬ方法で力が発生したと言っておったな。詳しく聞いても良いか?」
「……はい。未だに記憶が戻らないので、あの時、という確信はないんですが。夜一さんたちの戻りを待っていた時のことです。悪夢に襲われるのが怖くて、眠気覚ましに色々試しました。立ったり、本を読んだり……」
夜一は聞き上手なのか、話しやすくするように所々で相槌を入れる。一方の喜助は扇子を広げたまま、話を黙って聞いていた。その表情は、帽子の影に秘められている。
「でも、その途中で、私は、」
続きを話さなくては伝わらないのに、そこから言葉が詰まる。
「言いたくなかったら、言わんでも良い」
優しい心遣いだったが、ゆかは「いえ、大丈夫です」と喝を入れ、続けた。
「独りになって、私はただ漠然と大きな不安を感じてしまい……。でもそれを周りに知られちゃいけない、嫌だって。そんな感情は認めたくないって」
膝を抱え込んだまま伏し目がちに、あの瞬間の想いを告白した。
夜一は「お主を独り置いて出た儂にも非がある」と宥めはじめる。
「独り、とはあの時の状況ですか? ……それとも、貴女の存在が、ですか?」
これまで黙っていた喜助がようやく口を開け、その的確な問いに再び言葉を詰まらせた。
だがここで甘えてはいけない。ゆかは胸の内を伝えた。
「あの時は隣の部屋にテッサイさんがいると聞いていました。だから夜一さんは私を独りにはしていない。……ただ無性に、自分の存在が孤独だと勘違いしてしまったんです。そんなことはないのに。恥ずかしながら、私はとても弱い人間だと思います」
『非がある』と言った夜一に対しても訂正したくて。全ては自分の弱さが原因なのに、なぜ力が生まれたのかわからない。なのに彼らは得心の表情を浮かべていた。
「成る程。神野、それはじゃな、自身を護るためじゃ」
「ええ、ちゃんとご自身を護るために生まれた力ですよ」
二人が声を揃えた。ゆかの目を見据えた夜一がはっきりと答える。
「良いか。弱いことは恥じる事ではないのじゃ。傷つく己を護ろうとして神野に大きな力が生まれた。何も間違うてはおらん」
背中を押すように一瞬にして解決へと導いて、この悩みは一体何だったのかと思わされた。
「えっと……このまま続けていて、大丈夫ですか?」
「全く問題ないのう。なあ喜助?」
「はい、もちろん。ですが、──」
扇子を広げたまま、その先を止める。目許は帽子の奥に隠れて真意が読み取れない。
なにを言われてしまうのだろう、と緊張が走った。
「あの時アタシがいたら、寂しいゆかサンを抱き締めてあげられたのに、と悔やまれますねえ」
大口を広げて言い放った喜助は、呆れ気味の夜一に「阿呆か」と一蹴された。
いつものように冗談を言ってくれて良かった。ゆかはほっと胸を撫で下ろした。そしてこの弱味を単なる弱点と捉えないでくれた二人に救われる想いだった。
「わかったところで、今日はここまでじゃ」
今日の練習はお開きになった。むくりと立ち上がって、足や腰についた土を払い落とす。
夜一は「先に上へ上がるぞ」とそそくさして行ってしまった。
「夜一さん、なんだか急いでましたね。見たいテレビでもあるのでしょうか?」
残された喜助に問うと「さあ? なんでしょうね」と棒読みでに返された。喜助にしては幾分素っ気ない。溜息混じりに「困ったもんス」と零した。参ったような喜助を見るのは珍しくて。
「困ってるんですか?」
「あ、いえ。こっちの話っス」
なんだかよくわからないが、きっと難しい話が二人の間にあるのだろう。
特に気に留めることもせず、喜助と地上へ戻った。
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