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 ──浦原商店 地下勉強部屋

 木々は全て残らず枯れ、終わりの見えない地平が続く。雲は微動もせず、常に晴天である。
 遂に自分も訓練する時が来たのは数日前のこと。夜一に呼ばれついて行くと、見覚えのある勉強部屋へ案内された。そこに喜助はおらず、全ての指導は夜一から受けるのだと状況を把握した。喜助お手製の運動着はまだ手許に届いていないので、私服のジャージを着ている。そして久々の運動ともあり、気合いを入れ、黒髪を一つに束ねた。

 指導をする当の夜一は、崖の上で脚を組み、ゆかの様子を上から見守る。時折り、欠伸をしては眠気を飛ばしており、その表情はとても退屈そうに見えた。

「ふんぬ、」

 両手には丸い球体。夜一はそれを霊珠核と呼んでいた。これは志波空鶴邸にて瀞霊廷への侵入を準備した際に、一護達が持っていた物に似ている。あるいは霊王宮へ向かうために死神達が使用した、霊力集めの珠のようだ。空鶴邸での珠と同様ならば、それに霊圧を込めて制御することで自身の周りに障壁が張られる。それは瀞霊廷への侵入を可能にした代物だ。障壁や結界自体は必要ないのかもしれないが、霊圧のコントロールが重要なのだろう。そう理解した。

「んんーっ」珠を持ち、どこに力を込めたらいいのかもわからないまま、踏ん張る声だけが響く。

 ──本当に大きな霊力、なんてあるの……。

 実はこれを数日繰り返しているのだが、一向にコツも掴めない上に、自分の霊力の有無さえ認識できない。岩鷲が一護にコツを教えた時はどうだったかな、と記憶を遡る。
 心に円を描いてその中に飛び込む。と呟いた言葉しか思い出せないし、それを試してみても上手くいかない。

「神野、暫し休憩じゃ。ちょっと良いか」

 見兼ねた夜一は崖の上から軽々と飛び降りた。

「助言、という訳でもないんじゃが……どうも未だ不安定じゃ。神野には確かに立派な霊圧がある。じゃが、強弱もある。今は中間くらいじゃろうが、最大値の時には暴走とも言える程になるのじゃ。その最大時のまま安定させ、固める事が重要での」

 夜一はゆかが行き詰まった時に声をかけては、その度に気分調整をしていた。

「はい、何度もすみません」

 珠を持ったまま、滲む汗を拭う。夜一は「案ずるな」と前置きして続けた。

「一つ確認じゃが、霊力の暴発により霊圧が暴走した記憶はあるかの?」
「いえ。恥ずかしながら、正直、私自身で霊力をしっかり感じることがまだなくて。でもはっきりと死神が視えるようになったので、霊力が大きくなったんだな、と客観的には感じます」
「そうか。ではこの話はお主にしても良いのか、儂もわからんな。故に喜助を交えて話をするぞ」

 何やら難しい内容なのだろうか。あの夜一さんが顎に手を当て考え込んでいる。あまり手古摺らせて面倒をかけたくない。ゆかは静かに肯いた。

「わかりました」

 言下、夜一は駆けて喜助を呼びに去る。珠を抱えたゆかは立ち尽くしていた。
 この広い部屋を改めて見渡すと、自身の不甲斐なさを痛感する。夜一が訊ねた霊力の暴発、霊圧の暴走。そんなの、過去にない。憶えている限りでは。あえて確認するということは過去にそれがあったのか? もしそうなら、いつそんなことが?

 一人で回想を始めたその時、ドクン、と鼓動が体内で響いた。
 唯一記憶のない期間。二度目に寝込んでいた理由はなんだっただろうか。夜一たちの帰宅を待っていて、そのまま寝てしまったのだろうと。誰が教えてくれた? いや、再び寝込んだ虚弱さに呆れて、勝手にそう思い込んでいただけだ。あの時になにがあったのか、本当は知らない。

 ──そう、あのとき。消極的になっていた。心が苦しくなっていって。
 ──どうしてこんなことに。

 そうだ、漠然とした不安の中、自身を塞ぎ込ませたばっかりに。この異物感など認めない、自身に起きた異変を知られたくないと。心の在処を保とうとしたこと。それらを思い返すごとに、あの時の黒く淀んだ心胸が再び体を支配した。

 ──ああ嫌だ、この感情は。思い出したくない。

 その瞬間。珠が光を放ち、バチバチと百雷のような音を立てる。掌は火傷を負ったように熱い。

 だが吸い付けられるように珠を掴んでしまい、全く離せない。これが自分自身から放たれた霊圧か、と頭で理解するのも束の間、体が言うことを聞かない。自分の意思とは反対に、溢れ出る霊圧が吸い込まれるようだ。これでは霊圧を込める、というよりかまるで奪われるかのようで。更には呼吸も浅くなっていく。

「──あの時と同じじゃな。神野、早く霊圧を固めろ!」
「夜一サン、もう少し様子みましょうよ」

 この異様な霊力放出に気づいたのか、二人は瞬歩で地下へ戻った。

「えっと、どうしたらいい、ですか。これ」

 ゆかは苦しそうに息を途切れさせながらも助けを求めた。
 前回のそれとは違い、倒れることも記憶を飛ばすこともない。

「一旦、アタシが中断させます。動かないで下さい」

 見兼ねた喜助がゆかの背後へ回るとうなじ近くの首元に、トン、と数本の指先を置いた。すると勢いよく両手が珠から離れて直立の体勢になる。持っていた球体は鈍い音を立てて地面に落下した。

「はあ、はあ」

 両手が拘束されたように固まった。膝が地面につき、前方へ倒れそうになる。倒れまいと膝立ちでぐっと堪えたゆかは、荒くなった呼吸を落ち着かせた。

 ──力が入らない。まるで、縛られたみたい。

 いつの間にか夜一が正面に屈んでいて。肩を持って体を支えていた。

「喜助、縛道とは随分と手荒じゃの」

 夜一は眉間に皴を寄せ、喜助を見上げた。

「スミマセン、ゆかサン、夜一サン。これが一番手取り早いんで、つい」

 帽子を押さえて告げる喜助に、ゆかは自身の失態を謝罪した。

「いえ、すみません、お手を煩わせてしまったようで……」
「大丈夫っスよ。霊圧が膨大になる原因がゆかサン自身でわかれば前進ですから」

 飄々と柔らかく。いつもの返しだ。「あ、これ解きますね」と喜助が再び首あたりに触れると、目に見えない何かから解放され、ばたりと夜一に倒れていく。

「──っと、大丈夫か神野。戦闘経験もないおなごを縛り付けるとは、悪趣味な奴じゃなあ」
「いやあ違いますよぉ、なにごとも慣れが大事ってことですから!」

 愉快げに笑むと、ゆかに「じゃ、また後で」と言い残して消えていった。
 会話がなくなり地下には静寂が戻る。言葉数が減ると、夜一が口を開けた。

「なんじゃ、素っ気ない奴じゃのう。腹立たしい」

 夜一の気遣いに「浦原さんの優しさです」と何でもないように笑って返した。思うところがあるのか、夜一は無言でじっとこちらを見据えた。彼女の鋭い視線からは逃れられず、ゆかは今起きていた事象に考えを巡らせていた。

「……夜一さん、聞きたいことがあります」

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