黒崎家を後にして、住宅街から栄えている街の方面へと向かう。買い出しって近くのスーパーじゃないのかと小さな疑念が浮かんだが、喜助の行きつけがあるのだろうとついて進む。
 ちらちら、と車道側を歩く喜助に目をやってしまうのは仕方のないことで。自分ばかりが変に意識してしまってこの無言が苦しい。以前は無言でも心地良いと感じたのに、普段とは違う装いに惑わされて全く落ち着かない。そんな喜助はゆかの心境など知らずに、下駄ではなく革靴を鳴らす。

「ここを曲がれば、ゆかサンの家がある道っスけど、寄っていきます?」

 ああ、そう言われれば。この風景は見たことがある。
 自分はどれだけ周りが見えていないんだ、と無性に恥ずかしくなった。

「今日は大丈夫です。このまま向かっちゃっていいですよ」
「ご近所さんに見られるかもしれない、スか?」

 喜助は口の端を吊り上げて言った。それはいつも放つ冗談とはどこか違う自然な物言いだった。

「そんなこと気にしないですよ」
「アラ、前は見られるのを気にしていた素ぶりだったような」

 そうだったかな、と過去の記憶を辿る。──あ、家へ戻った時にそんな会話をしていたっけ。

「あれって浦原さんからもらった御守りを探していたんですよ?」

 くすくすと笑むと喜助は、
「なぁんだ、そうだったんスか」と納得したようだった。

「だから嫌だったとか、そういうことは全くなくて。浦原さんはそこまで気にしてないと思いますけど。一応、誤解のないように」

 もしかして今日の服装を敢えて変えたのも、あの時の様子を気にしていたからなのか。いや、それは考え過ぎか。でもどうして今日は洋服姿で出かけようと思ったのか、不思議でならなかった。
 毎日着てる作務衣姿でも良かったのに。そのことを聞いてもいいのか、少し悩んだ。

「それは聞いておいて良かった。誤解はよくないっスからね」

 やはり嫌だと思われてたのか? と彼の返しで驚く。いくら頭脳明晰だとしても、勘違いや早とちりもするんだなあと妙に感心した。非常に失礼な感想だとは自覚している。

 ──あの喜助さんが。勘違いをするなんて、ねえ。

 ちらり、と再び喜助のコート姿に目をやる。似合うなあと感嘆すると同時に右手にある不似合いな杖、斬魄刀が視界に入る。常時持っていたのだろうが、普段の恰好には実に馴染んでおり、これまで気にしたことはなかった。初めて斬魄刀を見たのは助けてくれたあの夜のこと。戦いが終わった直後だった。紅姫の一振りを目にした時は、今でもよく憶えている。刀の輝きが美しく柄の装飾までも繊細だと感じた。それ以来、この杖について触れたことは一度もない。自分自身が無意識に避けていたのかもしれない、『死神』に関することを。けれど先ほどの一護との会話で自我に気づいてしまった。深入りしてはいけない、でも少しくらいは、──。

「その杖、持ってきてるんですね。いつもは服に馴染んでたから、なんだか目に入っちゃって、」

 それとなく。なんでもないように斬魄刀の話題に触れてみた。話を振ってから、胸の鼓動が速くなる。勝手に緊張してしまって、ほとほと呆れる。

「これは手放せないんスよ。アタシの大事な相棒っスから」

 そうなんですね、と当たり障りなく相槌をすると、喜助が続けて言った。

「それに。ゆかサンの身に何か起こる前に、護らなきゃいけない。こいつはそういう奴なんです」

 どきっとした。それは名を呼ばれたから、じゃない。
 彼の戦う意志が強くて、自分とは真逆の言葉が深く突き刺さった。力の使い方だとか制御するだとか、なかでも戦闘は避けたいと願っていた。そんな平和呆けしたあやふやな立場だから、皆も死神に関する話はしないのだと気づかされた。

 ──私には、覚悟がない。この世界で生きる覚悟も、前の世界へ戻る覚悟も。

 何もかも半端な心持ちでは誰も面と向き合ってはくれない。

「……私を助けてくれた時、それを使ってくれたんですよね。戦いの後、声をかけてくれて。右手に持っていた刀が美しいと思ったんです」

 俯き加減で、あの時感じていたことを喜助に打ち明けた。

「輝いていたから、単純に美しいとそう思っていたんです。でも、浦原さんが持っているから、戦う覚悟と意志が強いから、その姿が美しいんだと気づきました。今更、ですよね」

 ありありと告げると、喜助は歩いていた足をぴたりと止めた。同じように足を止める。喜助は立ち止まったままこちらを見ない。不穏な空気に、感情任せに可笑しなことを口走ってしまったと反省した。

「……急に変なこと言ってすみません」
「ゆかサン、」

 喜助が名を呼ぶと、突然。体をぐっと寄せて左腕で肩を抱いた。

「え?」戸惑っていると、「少しの間、アタシを離さないで掴んでいて下さい」といつもよりも低い声音で強く抱き締めた。一体なにが起こっているのかよくわからないうちに、ぎゅっと目を瞑る。
 言われた通りに喜助のコートを掴み、顔を埋めた。
 途端、動いた、──と思ったらすぐに落ちついたようだった。

「……怖かったスか? もう離れていいっスよ」

 恐る恐る体を離すと、周りの風景はさっきまで見ていたものではなかった。

「ここは」
「今日の目的の場所っス。ちょっとズルしちゃいました。アタシたちはちょっとした技法が使えまして。今のは『瞬歩』と言います。……またお話させて下さい、アタシらのことも」

 思ってもみなかった出来事。そして喜助の吐露。じん、と涙腺が刺激されるのを感じる。

「私も……いつか覚悟を持てるでしょうか。いえ、持てるように、したいです」

 まだ諦めたくない。この世界で生きることも。ただ護られているだけの自分も、傍観するだけの自分も、変えられるなら。初めてそう思った。

「焦らずゆっくりでいいっス、ゆかサンに出来ることからしていきましょ。覚悟はその過程で自然と湧き上がる。自分で前に進む意志が出ただけでも、十分な進歩っスよ」

 喜助の優しい声は胸に広がっていく。焦燥に追いやられていた心を和らげてくれた。己の未熟さに気づかせてくれた喜助へ、潤みそうになる眼を堪えて、感謝の気持ちを伝えた。

「今日はそんな顔させに来たんじゃないんスから。あっち行きますよ?」

 喜助の指差す方向には大きな建物が奥まで続いている。

「というか。どこですか、ここ?」
「行けばわかりますよ。見てのお楽しみっス!」

 喜助は楽しそうに言った。帽子が無くて表情がわかりやすいせいか、笑みに変な動悸がした。
 いつものなにか企んでいそうな笑みではなく、無邪気なそれに胸が躍る。

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