店先に出ると、案の定いつもと変わらない恰好の喜助が立っていた。
──って、私もさっきとほぼ同じ格好ですけど。
お気に入りだった薄茶色のコートは、かまいたちの虚に切られて使い物にならなくなったし、仕方なく別のコートを纏った。まぁいっか、と身なりに関しては諦めかけている。もはや女として大事な部分が欠如しかけていた。だが憧れていた人と出かけるのにこの現状は如何なものか。憧れと言っても、もうあの頃の紙面上だけで抱いていた気持ちとは別の感情だ。今はむしろ尊敬に近い。ただのファン心とは違うこの慕う気持ちは、尊敬が一番近いと思う。
「じゃ、行きますか。ちょっと黒崎サン宅へ寄って行ってもいいっスかね?」
「はい、もちろん。珍しいですね」
暫く並んで歩くと、クロサキ医院の看板が目に入ってきた。
──わ、本物だあ。
この世界に対してのファン心など消えたと思ったばかりだったが、ミーハー的精神はまだ捨てきれなかったらしい。まじまじと外装を眺めていると喜助が家の呼鈴を鳴らしていた。
「ゆかサン、黒崎サンのお宅は初めてで?」
「はい、緊張しています」
いろんな意味で緊張しています、との思いを秘め口を噤む。初対面はやっぱり緊張する。何の用事だか知らないけど、お父さんや妹さん達もいるのだろうか。一方的に知っているだけあって、手に変な汗をかいてきた。そうして暫く待つと玄関の扉が開かれた。
「どーもォー!」
「おう、浦原さん。待ってたぜ。ゆかさんも上がれよ」
一護の口調から察するに、どうやら自分達が来る事は知っていたようだった。お邪魔します、と喜助に続けて中へ上がっていく。家の中へ案内されると、巨大な真咲の遺影に直面した。あまりに大きく笑顔が眩しいので目を向けてしまった。なんとも美人すぎる遺影。
『MASAKI FOREVER』と書かれた英文に一心の愛情を感じる。
「ああ、それは俺の母親だ。馬鹿親父の趣味でな、デカく引き伸ばした遺影なんだ」
一護は呆れた声で頭を掻きながら言い放った。
「だーれが馬鹿親父だ! んっ!!」
一護に飛び蹴りして颯爽と登場したのは、父親の黒崎一心。
彼の行動も熟知していたものの、あまりに急な登場に言葉も出ず、放心してしまった。
「くぉら、クソ親父! ゆかさんが驚いてんじゃねーか!」
「貴女がゆかちゃん!! 一護ったら可愛らしいお嬢さんとお友達になりやがって、隅に置けねぇなー!」
「そんなんじゃねーって!!」
一心の勢いに圧倒され、あはは、と苦笑いを浮かべてしまう。
ゆかの様子を察した喜助が「あのぉ、アタシもいるんスけど」と横から声を挟んだ。
そして持参していた菓子折りらしき小包を「詰まらない物でもドーゾ」と一心に手渡している。
「おう、浦原。今日はお前の用事だったな」
珍しい所に遭遇してしまった、と驚きが隠せなかった。一心と喜助が会話して何やら事情があるらしい。二人の絡みを全く予想していなかったせいか、てっきり一護に用があると思い込んでいた。
「俺はリビングにいるから、なんか用があったら呼んでくれよ」
一護は我々三人に声をかけると、リビングでテレビを見始めた。
リビングに妹達の姿はなく、どうやら彼女たちは出掛けているようだった。
そうして別の部屋へ一心と喜助が向かう。ゆかも喜助の用事に付き合うため、後ろから遅れをとらぬように追いかけた。すると一心の後ろを歩く喜助が、ぴたりと足を止めた。
「あ、ゆかサンはあっちで黒崎サンと待っていてくれますか?」
顔だけを後ろへ向ける喜助に懐疑心を抱きつつも、ゆかは「わかりました」とだけ言い残してすぐにリビングへ戻って行った。
理由なく無性に。何だか蔑ろにされたような気持ちになって、少しだけ心の奥が重くなった気がした。もちろん顔には出していないつもりだ。暫く同じ屋根の下に暮らしているからって、落ち込む理由もない。喜助の何を知っている訳でもない。内緒事なんて、今更どうってことない。彼自身が秘密の塊のようなものだ。自分の立場が彼らと同等だと少しでも勘違いした自分が、恥ずかしく烏滸がましかった。そんな自意識さえも鬱陶しく、小さく心に影を落としていく。
「黒崎くん、隣座っていいかな?」
「ああ、ゆっくりしてくれ」
ソファに座る一護に声をかけてから腰掛ける。彼もどういう事情で喜助と一心が一緒にいるかは知らないように見えた。それとも知ってても言えないのか。疑心暗鬼なことを考える自分がだんだんと嫌になってきた。
「今日のこと、浦原さんから何か聞いてるのか?」
「えっ?」
今の思考が筒抜けだったのかと思い、びくりと肩が跳ねた。
「いや、何も。私は買い出しについてきただけだからさ」
特に笑顔で返す訳でもなく、何で来たんだろうねぇ、と何事も思ってない素ぶりで。
「ゆかさんってさ、俺たちの、その……、何をしてるとか浦原さんから聞いてるか?」
一護は言いづらそうに、質問の語尾を誤魔化していた。言わんとしていることは理解していたが、此方の世界に来てからというもの、誰も自分にある言葉は使わなかった。彼らの本来の姿、『死神』という言葉について。これには知らぬ存ぜぬを通さなければならない。
「何をしてるって? うーん、何も聞いてないけど……霊媒師、みたいな?」
あはは、と戯けて見せた。少しはまともな演技が出来ただろうか。取り繕っている間、胸の奥がちくりと痛んだ。大好きな人たちに嘘を吐いて隠すことがこんなにも辛いことなんだと、身を以て感じた瞬間だった。
「いや、何でもないんだ。気にしないでくれ」
一護はテレビへ視線を移した。
彼の横顔からは何も感じない。ただ、自分の胸の痛みだけが感覚を支配した。此処の世界での立場がわからなくなりそうだった。その疎ましい考えを隠しながら、あまり深入りしてはいけない、と自身に言い聞かせていた。
「親父たち、そろそろ終わるんじゃねーかな」
何が終わるの、と思ったが声には出てこない。
「うん」としか返事ができず、反応にすっかり困ってしまった。
「そんな遠慮した顔すんなって。ゆかさんは気を使い過ぎだって言われてたろ」
一護は何故か励ましてくる。彼は喜助に劣らず勘の鋭い時があるが、そんなに表情に出ていただろうか。確かに皆で話し合った時、夜一にも喜助にも言われていたことだけれど。気を使うというか、出しゃばらないように、と心掛けてはいる。そんな仕草が知らずに滲み出ていたのか。
「そんな顔、してないよ。初めての場所で緊張してるだけだってー」
ゆかは戯け笑ってその場をやり過ごした。
ここが浦原商店だったらまだ心休まるのかなと、疑心を秘めたままテレビへ逃げた。
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