「あ、今日は雨が降るそうですよ。ほら」

 ゆかが画面に映る天気予報を見て指差した。

「では降られないうちに、戻りましょ」

 喜助は食べ終わったお皿を持って立ち上がる。

「私が片付けますので、座ってて下さい」

 彼の持っていた皿をゆかが代わりに手に取り台所へ向かった。
 座っててと言ったのに、隣を見れば喜助も付いてきている。何をするつもりだろうか。

「なにか?」
「なんだか新妻みたいだなぁ、と思いまして」
「……新妻って。誰がですか全く」

 ちら、と喜助を一瞥したものの、直視はせずに皿洗いに徹する。
 急に何を言いだすんだこの人は、呆れてまともに顔が見られない。これも彼の揶揄い文句の一つだとは重々わかっているが、その内容が唐突過ぎるのだ。

「ゆかサンがですよ。そしたら旦那は誰っスかねぇ?」
「なっ、何言って、」
「冗談スよぉ。ほんと真面目なんスから」
「……真面目で純真無垢な人を苛めるのはやめて下さい。夜一さんに言いつけますからねー」
「つれないっスねぇ」

 毅然とした態度で言い放ち、ささっと片付けをする。

「あ、浦原さん。お風呂使っていいですよ。昨日そのまま寝ましたよね? 私はその間に荷物をまとめてるので」
 遠慮しそうな彼に「どうぞ、」と促せば、「いいんスか? まだ知り合って間もないのに」
 こちらの配慮は無用だと思わされる返答が戻ってきた。

「変な意味合いを加味しないで下さいよ。昨晩入ってないから貸すまでです」
「では、お言葉に甘えて」

 彼はどこか嬉しそうだった。
 そこまで気を許した相手という訳でもないが、お世話になっている恩人にそのくらいは当然だろう。そう思っての提案だったが、どうして違う意味を込めるのか。さすが自称エロ商人だけある。
 ゆかは、洗面所にバスタオルを用意してあげてから、自室へ戻った。
 しばらく自分の荷物をまとめては、リビングへ置いていく。
 それを数往復繰り返して、「はー終わった終わった」とソファへ腰を下ろした。
 すると、何わか経ってからリビングの扉が開いた。

「お風呂、ありがとうございましたぁ」
「いえいえ。私もちょうど支度が終わり……」

 ──途中で言葉を失った。
 目に映る光景に体は正直なようで、急に鼓動が速くなっていく。扉へ目を移すと、リビングへ入って来た喜助の作務衣は大きくはだけ、胸元が露わになっている。首にはタオルがかけられて水滴が滴り、いつもは外へ跳ねている金糸の髪も濡れて、しんなりとしていた。

「どうしました?」

 本人はなんとも無いように、扉を開けたまま立っている。

 ──天然か、いや、わざとでしょ……! その格好でどうしたもこうもない!

 頭の中は騒がしい自分の声でいっぱいだ。視線を喜助から他所へ移し、直接見ないよう努めた。
「浦原さん、服はちゃんと着ないと風邪ひきますよ!? あとしっかり拭いてから来てください!」
 勢いよく言い切ったが床を見つめたまま。逆に喜助から眼差しを感じて、ぷい、と反対側へ向く。

「ゆかサン、こっちこっち」
「いえ、見ません! 断固見ません」

 その声色は笑っている。むきになって顔を合わせずにいると、向こうから近寄ってゆかの右隣へと腰かけた。ギシ、と沈む音に反応してしまい、俯きながらも眼を喜助の方へ向けてしまった。
「水も滴るいい男ってとこスか?」

 そう言いながら、どんどん体を寄せてくる。ゆかは後ろへ仰け反って、ソファの隅まで下がっていく。しかし二人掛けのそれは思った以上に幅が狭かった。

「近い、近いですって! わ、わかりましたよ。服、ちゃんと着ましょう?」

 降参だと言わんばかりの困り顔で伝えると、喜助は「顔、ゆでダコみたいっスよ」と色気もない言葉を言い放った。く、悔しい、絶対に遊んでいる。それはもう新しい玩具を見つけた子供のように。その羞恥を更に煽るかのように、ぴちょん、と襟足から滴る水がゆかの手の甲に落ちた。

「冷たっ、」
「ああ……スミマセン」

 手に付いた水滴を喜助が拭き取る。その行為にも緊張してしまって自分が阿呆らしい。
 少しでも何かを期待してしまった自分を殴りたい。この気持ちも悪い考えも、全部このエロ店主のせいだ。自分もいい歳だが、彼のようなあからさまな行動には慣れていない。離れた喜助は何事もなかったようにテレビへ視線を向けていた。
 そんな彼の掴み所のない態度に救われ、緊張感のあった空気は消えていった。

「ゆかサンのお風呂が終わったら出ましょ?」
「え、でも早くしないと、雨降っちゃいますよ?」
「アタシが入って、女性に我慢させる訳にはいかないっス」

 そういうところは紳士的なのだろうか。

「すみません、すぐ上がります」

 急いで脱衣所へ入り、へなへなと扉に背をもたれてしゃがみこむと、落ち着くどころか再び鼓動が早くなった。さっきのやり取りもとりあえずだが、女性扱いはしてくれているらしい。
 思えば、家に帰ってきた時の喜助の言葉もそうだった。

 ──『一応、アタシも男なんで』

 かあっと熱が上がっていくのを感じた。
 すぐに風呂場へ駆け込み、その熱をシャワーで上から被せるように流した。これは熱いお湯のせいだ、そう思うことにしよう。頭に浮かぶ気持ち悪い考えも全部、全身の泡と一緒に排水溝へ洗い流した。考える間も与えないくらいの早急な浴びようは、まるで烏の行水。
 ぽかぽかと湯気を立てて、風呂場を出る。不意に。悪戯で脱衣所に勝手に入って来たらと思ったが、そういう悪趣味な悪戯はしない人だよな、と一人で納得した。

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